And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

青い山脈

2015-02-11 11:20:07 | 日記
「カッコーの巣の上で」や「アマデウス」を監督したミロス・フォアマンの両親は強制収容所で亡くなっている。もはやその当時の当人はおろか子ども世代の証人も減ってきている。大江健三郎が「沖縄の戦後世代」という文章書いてから50年も経っているのを考えるともはや戦後世代もいなくなりつつあり、戦後という言葉は死語となっている。虐殺なんて空想の世界、映画の世界になっているのではないか。民族間の争いは旧約聖書の時代からあり今後もなくなることはない。映画も西部劇はとっくに滅び、戦争物もこの間ブラッド・ピットであったが滅多に作られることはない。すると今の映画の主流は何だろう。最近の映画を気にしていないが恋愛ものはいつの時代にもある。事件に巻き込まれるタイプもストーリー作りやすいからあるだろう。子ども向けSF。シェイクスピアや文学ものも聞かない。聖書ものもずっとなかったが、最近モーセのが上映されたらしい。コメディで大ヒットというのも聞かないし、自分は好きでないがホラーもなくならないジャンルだ。大きく分けるとそんなものか。小津安二郎をジャンルに入れると今挙げた中のどこに入るのだろうか。けなすわけではないが、原節子が佐分利信が出てたというのは覚えていてもストーリーなんて何も覚えていない。木下恵介の「日本の悲劇」のような忘れられない結末というのも1本もない。それが小津の個性か。黒澤明はオーバーな演出と三船敏郎の大根演技にうんざりさせられるし。溝口健二で面白いのは作品でなく変人の溝口自身で新藤兼人の「ある映画監督の生涯」が最高。新藤兼人は原爆を題材にした「原爆の子」「第五福竜丸」「さくら隊散る」自分の軍隊体験を証言した「陸に上った軍艦」など先に挙げた監督たちより骨のある映画を多数作っている。ハリウッドもアメリカンニューシネマが出て幸せバカから離れた時代はあったのにそのあとロッキーにスターウォーズだから。ヒッチコックの言うようにたかが映画、楽しめばいいじゃないかとも思うが、「禁じられた遊び」観たあとにプレスリー映画観たら誰もが馬鹿にするなよと憤慨するだろう。「禁じられた遊び」観なくていきなりプレスリーでも憤慨する自分なら。ジョン・ウェインが笑ってインディアンを撃ち殺すのを観て吐きそうになる。「史上最大の作戦」観たらオハマビーチでアメリカ兵が虫けらのように次々殺されたなんてわからない。勝ったことだけ映画にすればいいだけだ。自分の嫌いなスピルバーグの「プライベート・ライアン」冒頭シーン、これが実際に近いノルマンディだったと思うし、こちらに共感する。それならドキュメンタリーフィルム観ればではなく、映画もたかが映画でも嘘ついたらだめだ。戦争に行っても映画の主人公のように自分だけ弾が当たらないと信じる人間ができても困るだろう。