And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ハンガリーの不思議な役人

2015-02-03 18:49:09 | 日記
クラシックを聴き始めの頃、ストラビンスキー、バルトークはセットのような感覚でー全く音楽が違うのにドビュッシー、ラベルとひとくくりにされるのと同じくー聴いていた。ストラビンスキーは3大バレーがなじみやすく、特に「春の祭典」など何枚もレコード買った。それに対してバルトークは「管弦楽のための協奏曲」「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」であと何あるのというくらい。ヴァイオリン協奏曲もなじみづらいし、弦楽四重奏はベートーヴェンと並ぶくらいの名曲だというので、当時一番評判のよかったジュリアードの演奏ー3回目はまだ出てないので2回目ーを買ったがまったく面白くない。ドヴォルザークのようなメロディ出てくるとは思っていないが、乗らせるフレーズとかないのかと思った。4,5あたりはちょっとひっかかったが、聴くことなくしまったままだった。時は過ぎ、アルバンベルク四重奏団の演奏がCDで出て評判良かったので買ってみたら聴きやすくこれならいいと思った。今では聴きやすいだけのアルバンベルク四重奏団は聴かないが1番から6番まですべてが愛聴曲になったとはいえ、ハイドンの弦楽四重奏と同じ気分では聴かないので心構えが必要になる。バルトークは聴くほどに不思議な音楽だ。比較的誰もが聴きやすいのは「管弦楽のための協奏曲」くらいなもので、絶対サティのようなブームになる作曲家ではない。本当に付き合いづらい作曲家。埋もれていてもおかしくないのに、なぜストラビンスキー、バルトークと並び称されるくらい有名なのだろう。ヒンデミットも7曲弦楽四重奏を書いているが滅多に有名四重奏団が録音することない。それに比べたらバルトークは地味で難しいにもかかわらずハンガリーではないいくつもの弦楽四重奏団が取り上げている。代表作の「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」を聴いていると闇から音楽が始まるという気がする。そんな音楽あるだろうか。今日も暗く明日も暗い。その音楽を聴きながらどう日々の生活の疲れを癒やし音楽の楽しみを見出すのか。似たような思いをするのがバッハの無伴奏ヴァイオリン。バッハもこの曲だけは聴くのが修行のような気がする。聴くのがつらいとか退屈だとかいう意味ではない。哲学的な意味があるわけでもない。それを闇とするならばドストエフスキーもカフカも同じ闇を持っている。5分で嫌になるモーツァルトは別にしてもブラームスやドヴォルザークなどの美しい音楽を聴くのが安らぎであるはずなのになぜバルトークに向かっていくのか。バルトークは触られたくないところに入ってくるが、それを許しているときは自分が幸福なときという逆説で考えるとこれこそ安らぎの音楽なのか。