植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

故郷は遠くにありても帰るもの その2 健康編

2023年04月15日 | 健康
昨日は金曜日、書道の稽古の日でした。睡眠不足と疲労でボーっとしていて、このブログも誤字だらけ、(先ほど訂正しましたが💦)、書も思うに任せませんでした。
三日間の疲れで、昼過ぎから2時間以上も爆睡・昼寝をしてしまいました。

さて、その田舎に帰ることになったきっかけが、兄の病気でした。仕事柄お酒を飲む機会が多く、数年前から糖尿病を患い、免疫力が低下してきて罹ったのが「直腸がん」であったそうです。自慢ではありませんが、ワタシも、産業医から「境界型の糖尿病」と診断されてかれこれ10年近くなります。若いころからの過食・お酒・運動不足などが蓄積して腹回りには脂肪がつき、世の中の30%が糖尿病予備軍といわれる中、その仲間入りをしました。徹底したダイエットと、食生活の改善でなんとか病気の悪化を食い止め、飲み薬一錠だけで、ほぼ変わらぬ体調を維持しております。

糖尿病の程度の目安が血液検査で測定するHbA1c(ヘモグロビンA1シー)は、一時10を超えて「入院」まで行きかけましたが、気合でダイエットし、今はだいたい6.1-6.5程度を維持していて、たいしたことがないレベルではあります。HbA1c値 7% を超えないようにするのが大事なようです。糖尿病で死ぬ人はいない、恐ろしい合併症で命が縮まるのだそうであります。

兄の病気は先日亡くなった坂本龍一さんと同じ病気であったのだそうです。初期症状があまり無くて、気が付いた時には相当症状が進行していて手遅れになることも多いとか。坂本さんと決定的に違ったのは、兄の場合はがん自体の大きさが大きすぎて手術ができないことと、転移が見られなかったことにあります。抗がん剤治療が思いのほかよく効いて、がんが縮小してきた、と今回聞かされたのが、この帰省した三日間でもっともうれしい言葉でありました。

恐らく、一時は覚悟した命が長らえる可能性が高まったので、気持ちが前向きに明るくなり、園芸で日々暮らしたいと思ったに違いありません。そこで、ワタシに、園芸ができる環境にしてくれ、とお呼びがかかったのでしょう。

ワタシの体調は、実はあまり良くなかったのであります。自治会トラブルがあり、クレージーな人物から罵声を浴びせられ、地域を束ねる自治連会長からも冷たく高圧的な言動であたられたりしていたのです。2年の任期を全うするため多忙な仕事をするうちに「軽い鬱状態」となっており、なんとも嫌な気分、睡眠障害、フラッシュバックなどが続いて、かかりつけのドクターから精神安定剤を処方されていたのでした。なにしろ疲れやすく、物事に集中できない状態がひと月以上も続いておりました。

そこで、いわば短期間ながら転地療法となったのが今度の「庭師」ミッションであったのです。ガーデニングの最も良い効能の一つが「健康にいい」であります。
①立ったり座ったりの連続で、軽作業でもカロリーを使う運動になる
②草むしりなど「無心」になれるし、一人で何時間でも作業できるので人との会話をしなくて済む。
③日光を浴び、美しい花を眺め、植物の成長を体感できる。
④野菜にせよ果実にせよ、その気になれば無農薬の食べ物を自分で作れる。
⑤大きな穴を掘る、鍬で耕す、剪定鋏をつかうなど、力を使う作業、不安定な態勢で体を支えるので筋力もつく
等々であります

今回は、そのほとんどが力仕事で、①と⑤が該当しました。一日の歩数は15,000歩位ですが、大きな石を抱えて運んだりつるはしで石を掘り出し、スコップで土を出す、場合によっては穴に頭を突っ込んで手で掻き出すことも多いのです。勿論木の根っこなどは掘ったり切ったり引っ張ったり、あの手この手で取り除かねばなりません。掘り出した土にはたくさんの石、雑草、根っこ、木の枝などが含まれているので、大きな石は手で分別し、残りは篩でふるうのであります。

ワタシは8年前にマイガーデンを作った時、30坪ほどの地面を50センチ以上掘り返し、全部手作業で約20トンの土をふるい、2.5トンの石くれの山と150袋以上の土嚢袋にガラを集めて入れたという実績があります。

休み休みながらも実質二日間こうした作業を続けたので、体重が1㎏以上減りました。これは、筋肉を使って全身運動をしているので水分補給していても体脂肪をかなり燃やしたはずなのです。三日にかけた農作業・土木仕事をしながら4万歩以上歩いた結果、自然と体重を落とす、という健康に大変いい時間でありました。糖尿病はじめ生活習慣病に欠かせないのは体重を減らす、なのですが、ワタシは歳のせいもあって代謝が落ち、食べ物を減らしても体重がちっとも減らないので、この10年の体重はほぼ68㎏台で推移しております。医師からはあと6㎏落とせと言われているのですが・・・・

軽い鬱と診断され、薬を飲みながらも、体が重く疲れやすい、一日何回か嫌な記憶がフラッシュバックしていましたが、三日間はほとんどそうした悩みやストレスが霧散しておりました。心配の一つであった兄の病状もかなり改善されていたというのもとても自分の心によい薬であったと思います。
実は二日目の夕方は、疲れてガタガタになった足腰を癒すため、マッサージ85分コースにもかかりました。よく働いてくれた手指に感謝し、なんとかもってくれた腰を労わることが必要であります。

トータル12万円ほどのお金がかかり、疲労困憊で昨日は正直ぐったりしておりました。それでも、失うものはその程度で、大したことはなく、その何倍も得ることがあったのでした。

本日はこれまで、明日はその3「友情編」を予定いたしております。

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故郷は遠くにありても帰るもの その1 開墾・植物編

2023年04月14日 | 植物
3日ブログをお休みしたのは、郷里の大分県に二泊三日で旅行する、実家の兄に代わって(兄のオーダーで)果樹などを植樹するのが目的でありました。

その主目的が、香りのよい樹と柑橘類を植えることにありました。残念ながら柑橘類は植え時のピークは1月~3月で、苗が出回るのもせいぜい3月までであったのです。現地の大手の苗木屋さんに電話で聞いたら「ゆずと温州ミカン」くらいしかありませんとの答えでありました。それに加えて「ロウバイ」と「バイカウツギ・ベルエトワール」をネットで20日くらい前に発注していたのですが、苗屋さん次第で、5月までには到着します、というアバウトの対応でした。

これは一大事、せっかく飛行機代を払って駆けつけても植える苗がなければ手の打ちようがないので、急遽、当地平塚のホームセンター7など数軒回って「せとか・不知火・清見オレンジ」の2年生の苗を買い求め、ワタシが到着する11日着の指定で宅急便を送りました。

そして現地(実家)に到着したのが11日の11時半でありました。朝4時起きで花や鉢植えに水をやり、メダカに餌をやって電車・バス・飛行機・レンタカーと乗り継いで、休む間もなく近所のホームセンターに資材の買い出しに向かいます。

兄の重い病気のせいもあって、長い間放置していた実家は荒れ放題でありました。実は昨年も、3日間草取りに行ってきたのですが、その後、兄もこのままではいかんと思ったか、敷地内に数十本あった樹木のうち「しだれ梅」だけを残してすべて伐採、築70年以上の、倒壊寸前の離れ(納屋)も壊して撤去していました。
兄は「終活」を始めたのですが、小高い丘に建つ実家は樹木がすべて取り払われたせいで、全面南向き遮蔽物がなく、驚くような開けた眺望が広がっておりました。200坪の敷地にポツンと母屋があるだけでがらんとしてしまったので、新たに植えようという気になったのですね。

畑としてもガーデニングとしても一切活用していなかった敷地には、竹・梅・柿・棗・柘植・ゆず・・・・おびただしい植物が根を張り、土中には漬物石大からガラ・砕石などが一面に埋まっていて固く締まっているのです。これを三日間で5,6本の果樹や樹木を植え花壇を作り、野菜を植えるために畑も作ってほしいという要望に応えなければなりません。

荒れ地の開墾用にはつるはし・小型のシャベル・篩・のこぎりなどが必要です。果樹の場合、深さと直径が6~70cm位の穴を用意します。掘り出した根や石ころを取り除くと「かさ」が減るので、黒土・培養土・腐葉土・赤玉土・鹿沼土などの用土に加えて、土中の殺虫剤・元肥・有機化成肥料なども併せて必要になります。ともかく25千円ほど資材や道具を買い込んで、昼飯抜きで作業開始。なにしろ、初日は半日、翌日終日、最終日は午前中のみで実質二日間で作業を終わらせなければなりません。

とりあえず兄が作りかけていた花壇を煉瓦で囲って土を増やす、母屋の南面に一つ簡単な花壇を作ることから始めました。この程度は朝飯前、いや昼飯前か。


それから、問題の柑橘類の植え付けです。下の写真の右にこんもりとした薄茶色の場所は、県指定史跡 「丑殿古墳」であります。ワタシの実家の地続きに県内でも有数の古墳がある、という小高い山裾なのです。
段差があって、あちこちが石垣になっています。日当たりは最高で「柑橘栽培」には理想ですが、何しろ、根っこと雑草と埋まった夥しい大きな石の除去が必要です。訪ねてきた中学校時代の旧友が「なんでこんなに大きな穴を掘るの?」と聞かれましたが、固く締まって石ころだらけの土の中は、いわば大きめのプランター・大鉢と同じです。根が張る隙間が乏しく、水をため込む保水力もなく、肥料分もありません。深く掘って、底に腐葉土やたい肥などの肥料分を混ぜ込んだ黒土・赤玉土を入れておくと、根は水気・栄養分を求めて垂直に下に向かって伸びていくのです。すると地面深く根を張った果樹は、何年後かには見違えるほどどっしりと育ち、たくさんの果実をつけてくれるのです。


ということで、初日は穴掘りに徹し、二日目には投入する肥料や腐葉土培養土・もみ殻などを追加で買ってきて、なんとか4本の柑橘を植え付けすることが出来ました。
ここで友人が駆けつけて石運びを手伝ってくれました。奥座敷の廻り廊下の前にあった日本庭園は、それまで配置されていた置き石などすべてが撤去されて雑草だらけだったので、記念に一つモニュメントを設置いたしました。
名付けて「太古の祈り」としておきましょう。どうやら100年以上も前に農家さんが使っていた農用具の石であったのが、土の中に埋もれていたのです。

三日目も朝7時半に作業開始。主な作業は兄が、自分で食べるための野菜を植える畑の確保です。黒土に夥しい数量の小石が混じっていました。さらに厄介だったのが、4,5種類の樹木と竹の根っこでありました。数十年かけて張り巡らされた太い根は5センチ以上のものもあり、簡単に抜けるものではありません。渾身の力を込めて引っ張り抜けるものは抜き、どうしても抜けないものは30センチほどの深さで、鋸で切るという作業が約3時間。本日は筋肉痛であります(笑)

時間があればすべて「篩(ふるい)」で小石を除くのですが、帰りの飛行機の時間があり、途中までで切り上げることにしました。それでも8割がたの石は除き、根っこも抜き去ったので、弱った兄の手足でも、なんとか鍬を使うことが可能なレベルにまではできました。

この三日間で植え付け出来た植物は
せとか 清見オレンジ 不知火 柚子 サルココッカ

苗が届き次第植え付けできる穴掘りと用土作り
(ロウバイ バイカウツギ)

兄が記念植樹(笑)したのが「ラズベリー2種」

苗が入手できず断念したのが「カボス」「ぶどう巨砲」であります。

以降はその2(健康編)に続きます

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明日から三日間旅に出ます

2023年04月10日 | 植物
郷里の大分に出向いて柑橘類を植えてきます。

病気の兄に頼まれて、野良仕事をかって出ました。

夜は中学校の仲間と久しぶりに一献傾けます。

両親が亡くなって40年以上たちました。お墓参りもいたします。

なので、ブログはお休みとなりますので来ていただいた方ごめんなさい。

屋上のメダカたちは、三日間飯抜きです

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そうかい?総会終わって爽快か?

2023年04月10日 | 雑感
昨日は当町内で「自治会総会」を行いました。ワタシが2年前に会長に就任して丸2年経過し、晴れて任期満了となる日でありました。

思えば2年前、青天の霹靂とでもいうべき会長に選任されて以来心が休まらず、多くの会合や行事に駆り出され、人前でしゃべらされ、近所の苦情やトラブルの話を聞き、理事会などでは矢面に立たされいわれなき非難や罵声を浴びせられたりもしたのです。

しかし受けた以上は引き下がるわけにはいかず、わからないなりに責任を果たそうとおもって我慢し、こつこつと目の前の問題ややるべきことにあたってきました。そして、その最後の務めが総会での議長であり会長としての対応であったのです。総会にはこれまでにはなかったほどの人が集まりました。自治会加入が370軒ほどのうち、約60人が参加したのです。この2年間でこんなに人が集まったのは初めてでありました。

それはおそらく、この2年間ずいぶんいろいろあって、「面白そうだから見に行こう」と来た人が多かった、通常は、新任の理事が大半なのに、旧理事が加わり、班長さんなも詰め掛けたのです。また、新会長に内定している人物がいわくつきでワタシの会長時にさんざん文句を言い、恫喝してきた張本人であったのです。

出席者から信任をけてワタシが議長となり、議題は前年度決算・今年度予算の承認についてであります。会計とワタシが順次説明し質疑を受け付け参加者の同意を得る、という運びであります。そこでけちをつけたのが親戚筋にあたる男で、今回副会長内定者であります。神社の役を兼任していていつも偉そうに発言するのです。義父が営んでいた「電気工事業」をもじって、ワタシに向かっても、「でんきやさん」と呼びます。言っておきますが、それは屋号でもなければ、ワタシが電気工事に就いたことなど生涯ありません。電気工事会社は既に40年前に廃業しているのです。それを馬鹿にしたように電気屋と呼ぶのです。

その人物が、議事進行しろと幾度も発言するのです。予算決算に直接関係ない質問を受けるな、答えるな、時間の無駄だというのです。ワタシにとって最後の総会で、この際せっかく集まった人たちの意見や要望は聞くべきだと思っておりました。直接関係なくても疑問点を聞き、次の自治会役員が問題意識を持つべきだと。自分のわかる範囲で説明し情報を共有すべきだと思ってなるべく丁寧に説明したのです。さすがに、「私が議長で、皆さんの意見を聞くべきだと判断しているので、質問は打ち切れません」と拒否しました。

10件ほどの質問がありましたが、ほとんどは自分でも問題がある、と感じてきたことでありました。お金の使い道や自治会の加入者の減少など、共有すべき問題点がいくつもあるのです。残念ながら、そうしたことを総会で議論し決議する場ではないので、以後の自治会の理事さんみんなで相談し、委ねるほかないのです。

一方、自治会長9人で構成する「港自治連」は会長退任と合わせて脱会することになります。この自治連が平塚市の1/4のエリアをカバーしていて、その会長が10年以上その座に居座っているのです。各種団体の会長の指名権まで独占し、市長や役人・市議などと昵懇で、思うが儘にふるまう独裁者でもあります。自治連でもその会長の言いなりで、まともな議論などありません。「平塚市は競輪場とともに発展する」とか、市役所の下部機関で指示通りやればいいという考えの持ち主なので到底受け入れることができませんでした。

ワタシは2年の任期で交代するし、イエスマンで固められたその組織の中で、思うことを信じるままに発言してきたのです。彼が面白かろうわけがありません。先月、小学校の創立記念事業に自治連から100万円拠出する、とその自治連会長が請け負ってきたのです。9町一律10万円ずつ拠出しろというのです。当地区は、競輪場からの補助金(迷惑料)は戸数割、つまり各町の自治会加入者数に比例して配分されるのですが、これが自治会費の何倍もの金額になっています。自治会は安い町内会費なのに、競輪で潤沢な収入が得られていることになります。

9町のうち、最も多いのがその会長の住む町で、900戸以上、最も少ない町は200戸前後であります。「補助金は戸数割になっていて、出捐するのが一律10万円はおかしい。」と発言したのです。100万円だすなら。各町の戸数で按分すべきではないのかと。もし補助金の割合と同じ負担ならば、ワタシの町内では7万円位、一番少ない町は3万円ほどで済むはずなのです。自治連会長は、それに対して反論できませんでした。しかし、根に持ったのです。なんで俺に逆らうか、と思ったに違いありません。

以降、会長同士のグループラインに書き込むワタシの連絡に反応しなくなりました。昨日自治会長をお降りましたから、ラインからも外れますと謝意を伝えながら送ったメッセージにも無反応でした。

いいのです、ワタシは自分の信じる正しい道を進むだけ、権力や邪な上部機関に屈することを潔しとしません。自治連の会長ににらまれたってどうということはありません。死ぬまで金輪際、二度と自治会の行事や会合には関与するつもりが無いのですから。

いまだすっきりしません。総会終わって爽快な気分にはなりません。やっと心の平安を乱していた自治会から抜けることが出来ました。多くの時間を自治会にとられ、自分の心に残った傷も大きかったのです。おかげで精神安定剤を飲む羽目になりました。これからクリニックに出向いてお薬を処方してもらいます。

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悲しさも中くらい 気にせず参ろう

2023年04月08日 | 篆刻
ムツゴロウ先生こと畑正憲さんが亡くなりました。87歳といえば大往生、歳に不足はありません。大好きな方で、中高生の頃の愛読書の一つが先生の本でした。ムツゴロウ王国を作りましたが経営は動物の飼育のようにはいかなかったようです。3億円ほどの負債を作り晩年は犬と猫1匹づつと暮らしていたそうです。悲しいけれど先生は幸せであったろうと思いますあれだけ好きなことが出来て、動物に囲まれた生涯だったのですから。

わが巨人軍は、あえなく3連敗。つまらぬエラーやミスでチャンスを逃し、勝ち運から見放されています。応援するチームがこの体たらくなのはいかにも残念であります。丸と坂本・長野などのベテランはもはや無理なのでしょうか、あれだけの選手たちなのに悲しくてしかたありません。

さて悲しいといえば、誠に残念な結果になりました。昨日届いたヤフオクで落札した二個の印の、高いほうはどうも通常の篆刻印ではない、という結果であります。ぱっと見は美しいのですが、それは自然界にはなさそうな色合いと透明感でした。何より軽い!!。単純なプラスティックではなさそうですが、ポリカとかアクリル樹脂とかそんな類のものかもしれません。こちらはイチかバチか、もしかしたら大珍品、もしかしたら人造石というギャンブルであったのです。↓これです(´;ω;`)


もう一つの石は、「李果紅」と表示されていて自然石であることは間違いないのです。ただ、ワタシの所蔵の印材の専門書物にそうした印材の記載は見たことがないのです。側款には〇桎大兄正篆「石癡製」と彫られております。印箱にも「成瀬石癡 」と書かれていて江戸末期から明治にかけて活躍した篆刻家(1838-1895)で、濱村藏六(四代)先生などと並んで名を残しています。そのお弟子さんには栗田石癖・栗田紗羊親子などがいると書かれておりました。



印箱に書かれた価格「¥150,000」というのは、いささか眉唾で素直に信じるわけにはいきませんが、鏡面のように光沢がありやや赤みを帯びた緻密な石質のこの石の種類を特定するのが楽しみであります。130年以上前に彫られた名人による篆刻印、その石もまた現在では産出・流通しない古材であります。実は、収蔵品にこれによく似た古印があるのです。とても気に入っている印のひとつですが、黄青田かもしれないと思っています。

半分が空振り三振、半分がホームランといったところでしょうか。まぁ大きな支出とはなりましたが、宝くじを買ったり競輪の車券を買って紙くずにすることからしたら、はるかにましであります。

さすがに昨日は軽いショックで、5分ほど意識を失っていたようです(笑)
二日間新たに入札も自粛、というよりヤフオクをチェックする気にならなかったのです。しかし、このくらいのことでへこたれるようなら槐松亭の名が廃れます。印材蒐集家を自認するワタシ、リベンジせねば気がすみません。

せっかく絶望的な状況から抜け出られる節目になるかと思いましたが、中くらいに悲しいことがまだぽつぽつとあって、絶好調ーーーというのには時間がかかりそうでありますな。
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