不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

上級国民なんか 御免だな

2020年10月11日 | 時事
 韓国の宮廷ドラマを見ていると、その底辺に横たわるのが、身分制度であります。王様はともかくとしても、国を牛耳るのは、貴族特権階級「両班(ヤンバン)」であります。この階級が、富や財産を独り占めにし、宮廷すら我が物に操るというシーンがたびたび出ます。その下に「平民」がいて、一般市民扱い、さらにその下が「」であります。は、主に両班の奴隷として扱われ、命も財産も保証されません。
「両班は、を殺しても罪に問われないのだ。」と言う場面がありました。自分の持ちモノですから、生かそうが殺そうが勝手なのですね。

 幸い、現在の日本はこうした身分制度は表向き撤廃されております。江戸時代には「士農工商」という、徹底した身分制度(差別)があり、相互に身分が変わるとか、違う身分の者は婚姻できないとかの規律が設けられていました。明治以降になると、士農工商こそ廃止されましたが、貴族院とか男爵・子爵の特別な身分があり、選挙権なども限定されていました。また、長らく「」などと呼んで、社会などにいる人たちは、一般市民より一段低い扱いをうけた人達も全国に沢山いたのです。それのみならず、アイヌ民族、熊襲、沖縄人なども「大和民族」と区別され、迫害受難の歴史を被りました。

 戦後になってようやく、出自をもとにした民族差別、問題などが少しづつ改善解消されて現代にいたるわけです。世の中、総中流社会という幻想も生まれましたな。

 ところが、無くなったはずの身分制度は実は社会の方々に形を変えて残っているようです。一つは世襲の職業、歌舞伎役者、国会議員などに見られますね。宮司・僧侶なんかもその類でしょうか。この方たちは、特権的・優先的な扱いを受けています。

 次に、「一家」的種族ですな。公務員一家、お医者さん一家、芸能人一家などが該当します。これらの共通点は、他者に優越的な立場や環境で「親の七光り」によって親の職業を選ぶという特権階級であります。

 先だって、日本で2番目に月謝が高い医学部の記事を見かけました。東京女子医科大が6年間で1200万円引き上げになるそうです。総額ではありませんよ(笑)、合計では6千万円近いとか。これに、様々な教科書参考書などを買い、交通費・下宿代も乗っかります。毎年で学費だけでイッセンマンエン!!!・・・そこらの親が払えるはずも無く、高収入の医者でなければ医学部には行かせられません。

 そういえば、ワタシ若い頃、自分の子供に医者になれ、などと戯れを口にいたしました。そのためにはマンションだって売るからと言いましたが、マンションは最低2戸は必要でした。つまり、医業を志す普通の高校生には、学費という巨大な壁がそそり立っているのです。

 公務員は、なにがなんでも子弟を公務員にしたがります。上は東大法学部に行かせて国家公務員試験、下は市町村の天下り公的団体にまで、その子の学力に見合った公務員または準公務員にさせようとします。なにせ、楽ですもん。なにせ高給取りで安定してますもの。皆さんの周りにも、思い当たる公務員一家いませんか?

 そこで、「上級国民」です。例えば、このブログに取り上げている学術会議のメンバーには、その資格十分の人が大勢いるようです。これを否認した自民党政治家、擁護する産経新聞などの御用ジャーナリストなども、よく見るとワタシ達平民と違って、優雅で世間とはかけ離れた生活の方たち、ヤンバン、に見えなくもありませんね。

 池袋で母子を死なせた飯塚翁も、ばりばりの元国家公務員、しかも日本学術会議にも在籍し褒章も貰っています。プライドの塊に見えます。若い頃から自分が間違いを犯すなど考えもしないのでしょう。周囲から、非難されたり叱責されることも無い、お山の大将であったに相違ないと思いますね。

 ネットでは、そのご家族の名前や職業探しに熱心な人が大勢いますが、根拠のない中傷もあり、これはやめた方が良かろうと思います。上級国民の子弟ですから、それなりの立場・職業についてるでしょうね。一年も経って、確たる情報が無いのは逆にあらぬ想像をいたしますが。

 それにしても、89歳で地位も名声も得た見識経験に富んだ人が、悲惨で取り返しのつかない人命を奪いながら、いけシャーシャーと無罪を主張するのは、見苦しいを通り越して哀れになります。上級国民は逮捕もされず、平民を殺しても無罪なのか(勿論現実とは一致しません)、と暗澹たる気持ちになります。もしワタシだったら、裁判ではすべてを認め、争わず、短い余命のすべてを贖罪と懺悔に費やすことを考えるでしょう。

 ワタシなど、縁もゆかりもなく、1年前の出来事なのに、亡くなった母子の写真や映像、遺族の絞り出すような声を聞くと涙が流れるのを止められません。もし私が被害者の夫松永さんだったら・・・と恐ろしい想像をしてしまいます。

 仮に、本当に自分でブレーキを踏んでいたという確証があったにせよ、人の命を奪った責任や罪の重さを痛痒に感じないとしたら。亡くなった人の恐怖、家族の悲しみを理解できないとしたら。それは最下級の人間、以下の存在と言うべきかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする