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バカモン

2015年09月07日 07時07分33秒 | Weblog

「あれ?マスクしてないね!治ったの?」
今日の朝、何人もの生徒から投げかけられた言葉だ。
オイラは先週、咳が止まらずにずっとマスク姿で過ごしていた。

マスクをしている時には、
「センセーどうしたの?大丈夫?」という声をかけてくれて、
いざ治ってマスクを外すと、途端にそれに気が付いて、
冒頭のような言葉をサラッとくれる。
生徒の「観察眼の鋭さ」と「優しさ」。
13年前から変わることのない学園の自慢であり誇りだ。


オイラは、小さい頃から喘息を持っていた
季節の変わり目や、風邪を引いたあとに、
呼吸にゼイゼイとかヒューヒューというおかしな音が交ざり、

咳が止まらなくなるという症状を引き起こしてきた。
思い返せば、花火の煙を吸い込んだ時や、
林間学校の夜に枕投げをして部屋のホコリを吸い込んだ時も、
発作を起こした。
楽しい花火や枕投げの時間も、あっという間に苦しく悲しい時間へと変わってしまうのだ。

幼い頃は、そのまま肺炎を引き起こし、入院をすることが度々あった。
母親が運転する自転車の後ろに乗せられて病院まで行き、
診察を終えたお医者さんから、
「入院だね~」って言われてしまうのだ。

人は普段の生活で、「呼吸をしている」という感覚をあまり持たないだろう。
ほぼ無意識に「息を吐いてそして吸って」を繰り返している。
しかし、いざ喘息の発作を起こすと、その繰り返しがイチイチ苦しい。
だから、「人間は本当に呼吸をして生きているんだな~」
「無意識に呼吸できるって素晴らしいことなんだな~」
とつくづく感じさせられるのだ。

そんなオイラも、体の成長とともにスイミングや野球で鍛えたことが影響して、
中学校、高校生の頃にはほとんどと言って良い程、喘息とは無縁になっていた。

「喘息は、子どものうちに完治することがあり、
 完治すれば大人になっても発作はでない。」
そのようなことを聞いていたので、オイラは「もう治ったんだな。」と思い込んでいた。

そのまま時は過ぎ、20歳を越えて大学も卒業し、
仕事を始め、ついでに一人暮らしも始めた。
一日中がむしゃらに働いて、身も心もヘトヘトになる日々を過ごした。
仕事にのめり込めばのめり込むほど、生活(食事・睡眠など)は不規則になり、
オイラの活力であるアルコールの摂取量も増えていった・・・。

そんな生活を続けていたある日。(今から10年前位かな。)
風邪の治りかけに、あの恐ろしい「ゼイゼイ、ヒューヒュー」という音が、
オイラの喉の奥あたりから聞こえてきた。

朝晩を中心に咳がどんどんと出る。呼吸も苦しい。
「大人になって発作が出た場合は、喘息と一生付き合うことになる。」
そのことも聞いていたので、オイラは少し動揺した。

いわゆる「風邪の咳」と「喘息の咳」とでは、
全く性質が異なるのは分かっているのに、
気休めに市販の「咳止め薬」を飲み続けてみたりもしたが全く効かない。
それでも「忙しい。面倒くさい。」を理由にして、病院に行かずじまいだったから、
呼吸音と咳は悪化し、最悪の状況を迎えてしまった。

「もっと早く病院に来ないとダメでしょう。
 自分の体でしょう。喘息を軽く見ているととんでもない目に遭うんだぞ。」
病院に行って、お医者さんからガツンと叱られた。。

大人になってから、人から叱られるとは!・・・。
オイラはとてもビックリしたし、
心の中では、「結局ちゃんと病院に来たのだから良いじゃないか。」
とも思って、ただ「はい、すいません」とだけ返事をしていた。
しかし、少しずつ反省する気持ちが出てきた。
それは、お医者さんの迫力に負けたからというわけではない。

幼い頃からオイラの喘息をすごく心配し、
「小児喘息」を完治させることに本気になっていた母親のことを、
ふと思い出したからだった。
車の免許を持っていない母親は、
寒い冬の早朝でも、診察時間を終えた夕方でも、
幼いオイラを自転車の後ろに乗せて、病院へと走った。
少しでもオイラの体を強くしようとスイミングや野球をやらせてくれた。
その他にも、思い返せばオイラの喘息を根絶しようと、色々なことをやってくれた。

それなのに、社会人になって、ちょっと忙しくなったからと言って、
「大切に育てられた自分の体なのだ」という感謝の気持ちを持つことなく過ごした挙句の果てに・・・
喘息を再発させてしまったのだ。


その時からだった。
「自分を大切にする」ということは一体どういうことなのだろうと考えたのは。

若い頃のオイラは「他人を大切にできるほうが大切だ。」って思っていた。
この学園が持つ性質的にも、
オイラ(自分)が幸せになることよりも、
生徒(他人)を幸せにすることのほうが、
はるかに「やりがいがある」と思えることが多々あった。
そう思って過ごしていた日々から、たくさんのかけがえの無い体験をさせてもらった。
「生徒と向き合う」とか「生徒に寄り添う」ことって、
オイラが今やっていることそのものだろ!って本気で思っていたこともある。
それはそれで良かった。

しかしそんな日々の中で、
「これで良いのかな?」と思うことに出会うことも多くなった。
自分がしていることに違和感みたいなものが付きまとうことが、ある時あたりから増えた。
「一生懸命やってはいるのだが・・・何かおかしいな。」
という迷いの気持ち。

結論的に言えば、
オイラのモノの考え方、根本的な価値観のベース部分にあった、
「まずは他人を大切にする(自分のことは後回し)」ということが、
間違っていたのだった。
そこが、良い時もそうで無い時も、
オイラのパフォーマンスに直結していたのだと気が付いたのだ。


大人になってからの喘息の再発に関しては、
母親にとても申し訳ないことをしたと感じている。
でも、そのことで、自分の根本的なモノの考え方を見直すキッカケを与えてもらったことも事実。

人を傷つけたり、悲しませないと大切なことに気が付けない。
そんな馬鹿なオイラに今でも嫌気がさす時が多くあるけれど、
気が付くことの出来た「大切なこと」を胸に、感謝の気持ちを忘れずに今後も生きてゆきたい。


 G 

 


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