4年ほど前、知り合いの方から連絡があり、このような話を頂きました。
「レストランをオープンしたいので手伝って欲しい。」
よく話を聞くと、数種類のパンを提供する大箱ダイニングバーを開店したい、ついては基本的なフレンチを現場で作って、メニューの叩き台を決めて欲しい、というものでした。
知り合いの方が開店するのではなく、その方の仕事の繋がりの会社が運営するレストラン、という非常に怪しい図式ではありましたが、数日後、その会社の社長さんとお話をさせていただきまして、店は3日しか休めない、休んでいる間の営業を保障する事、などの提示を承諾していただきましたので、マネージャーと共にオープンを手伝う事になりました。
しかし、そんな大箱のレストランを山形でなんて、ギャンブリングですなぁ、と思って場所を聞きましたら
「山形ではありませんよ。」
「じゃあ、どちらで・・・」
「あれ?言いませんでしたっけ?上海です。」
「シャンハイ?シャンハイって、上の海と書くシャンハイですか?」
「えぇ、中国の上海ですよ。」
そうして、我々は中国、上海へ行く事となったのです。
上海空港を降りて、タクシーで中心地へ。
誰かに追われ、カーチェイスをしているかのような猛スピードで、クラクションを鳴らしながら前の車を追い抜いていくタクシーの運転手は、鼻をほじりながら余裕を見せていましたが、我々は死と隣り合わせの状況を突きつけられたようで、笑顔を見せれませんでした、頼むぜ!運ちゃん!
ホテルにチェックインしたのが夕方の6時頃、それから現場へ赴き、厨房設備のチェックと店の状況を視察。
その後、現地で流行っているレストランに連れて行かれ敵情視察を3店ほど。
結果から言えば、凝った造りのダイニングバーで照明は暗く、料理は中華と洋食のコラボレーションのようなもの。
料理の質も悪くなく、店内は空間を大事に造ってあり、男性4人で行った事を後悔させるようほどお洒落且つモダンな感じでありました。
「上海の芸能人も来るそうですよ、この店。」
と説明していただきましたが、残念ながら上海の芸能人を私は誰一人として知りません、
「あそこのカウンターで飲んでる男性、八百屋の配達の人に似てますよ、あ、勿論山形のね。」
などといって、失笑を買ってしまうのが関の山でありました。
今話題の、これが有名、などのものを食べさせていただき、3店回ってその日は解散、ホテルに戻り、ほんの少し休憩してから、マネージャーと夜の街に出かけました。
オープニングチームのスタッフに事前に自分たちが泊まるホテルの近くの居酒屋風なお店を聞いておりましたので、そちらへ。
漢字だらけで店名は未だに不明なのですが、「竹屋荘」の字が目立ったので、我々の中で「竹屋荘(たけやそう、そう読むのかも不明)」に決定。
そのお店の良い所は、日本語は勿論、英語も殆ど通じないという現地人御用達系居酒屋。料理は勿論美味しいのですが、言葉がうまく伝わらなくて注文したものとまったく違うものが出て来るのが感動します、しかも物凄く安い。2人でチンタオビール6本と紹興酒ボトルで2本、料理取り分けで6品注文して日本円で約4000円、そして、何と!24時間営業!営業時間を聞いただけで毎日通う事を誓ってしまいました。(実際通ったのですがね、毎日2人で紹興酒をボトル2本空けるため、行くたびに苦笑されました)
次の日、現場へ朝7時に到着、それからが苦悩の始まりでした。
前日に厨房を確認しましたが、中華専用の厨房なのです(前が中華料理だった)、
「鍋は一杯あるから色々使ってね。」
と気軽に言われましたが、中華鍋しかありません、ガス台は、中華用ハイカロリーバーナー搭載の3連ガス台でありました。これでフレンチを作らなければならないんですよ、テンション下がりまくりでしょう、これでは。
しかし、そんな事は言ってられません、とりあえず買出しへ。
フォン・ド・ヴォーは取る時間がありませんから、ジュ・ド・ブフ(牛のジュース、煮詰めてソースに使う)を取ろうと市場へ、牛肉が殆どありません。
ジャンボピーマンが豊富にあるのでラタトゥイユでも作ろうとスーパーへ、ホールトマトとトマトピュレがありません。
海老が大量にあるので海老のムースでも、と海老を買って帰ってくると、フードプロセッサーがありません。
この、ないない尽くしの状況は時間の無い私にとってこの上ないプレッシャーを与えるのでした。
しかも思いっきり中華の厨房。それに加えて隣の店のシェフが「お前、出来んのか?」と笑いながら仕事を見に来て大騒ぎ、いい感じで仕事を邪魔してくれますな~。
しかし、この国のシステムに慣れれば何とかなるものです、牛肉は現地の人に言って何とかゲット、ホールトマトはありませんんが、スーパーをよく探せば漢字だらけのトマトペースト(中華用)を見つけました。
フードプロセッサーが無いのはしようがありませんから、海老と帆立の貝柱を中華包丁で細かく叩き、卵白、生クリーム(これも1日かけて探した)と共に混ぜ合わせ、スプーンでフットボール型に整えてボイル、「海老と帆立のクネル」に。
3日間、朝7時に出勤、夜11時過ぎまで料理を作り、その後、「竹屋荘」で紹興酒をテーブルにおっ立てながら3時過ぎまで反省会。(と言いながらただの飲み会)
と充実した仕事をこなし、メニューの叩き台とまでは行きませんでしたが、オーナーからは感謝されましたのでそれなりの仕事をして帰国したのです。
先日、その知り合いの方が来店なされて、今度、貿易関係の仕事になったのでよろしくね、と名刺を差し出しつつ、ワインを飲んでいったのですが、残念ながら、そのお店は閉店、オーナーの会社も閉鎖、となってしまったそうであります。
私はそこしか接点がありませんでしたし、それから連絡が無かったものですからうまく行っているのか、と思っておりましたが、世の中そううまく行かないようです。
知り合いの方は、「藤原さんたちはよくやったよ、あれからメニューを決めて、オープンしたけど、会社が店を持続できなくなったから仕方が無い事。私も今、貿易関係の仕事で中国と日本を行き来しているので忙しい。」
との事でしたので、その当時の事は良い思い出にしております。
最後に「また何かあったらお願いするかも。」と不吉な言葉を残していったので不安を感じましたが、今度はヨーロッパにしましょうよ。
でも、営業補償費はあの当時より高くなりましたぜ。
「レストランをオープンしたいので手伝って欲しい。」
よく話を聞くと、数種類のパンを提供する大箱ダイニングバーを開店したい、ついては基本的なフレンチを現場で作って、メニューの叩き台を決めて欲しい、というものでした。
知り合いの方が開店するのではなく、その方の仕事の繋がりの会社が運営するレストラン、という非常に怪しい図式ではありましたが、数日後、その会社の社長さんとお話をさせていただきまして、店は3日しか休めない、休んでいる間の営業を保障する事、などの提示を承諾していただきましたので、マネージャーと共にオープンを手伝う事になりました。
しかし、そんな大箱のレストランを山形でなんて、ギャンブリングですなぁ、と思って場所を聞きましたら
「山形ではありませんよ。」
「じゃあ、どちらで・・・」
「あれ?言いませんでしたっけ?上海です。」
「シャンハイ?シャンハイって、上の海と書くシャンハイですか?」
「えぇ、中国の上海ですよ。」
そうして、我々は中国、上海へ行く事となったのです。
上海空港を降りて、タクシーで中心地へ。
誰かに追われ、カーチェイスをしているかのような猛スピードで、クラクションを鳴らしながら前の車を追い抜いていくタクシーの運転手は、鼻をほじりながら余裕を見せていましたが、我々は死と隣り合わせの状況を突きつけられたようで、笑顔を見せれませんでした、頼むぜ!運ちゃん!
ホテルにチェックインしたのが夕方の6時頃、それから現場へ赴き、厨房設備のチェックと店の状況を視察。
その後、現地で流行っているレストランに連れて行かれ敵情視察を3店ほど。
結果から言えば、凝った造りのダイニングバーで照明は暗く、料理は中華と洋食のコラボレーションのようなもの。
料理の質も悪くなく、店内は空間を大事に造ってあり、男性4人で行った事を後悔させるようほどお洒落且つモダンな感じでありました。
「上海の芸能人も来るそうですよ、この店。」
と説明していただきましたが、残念ながら上海の芸能人を私は誰一人として知りません、
「あそこのカウンターで飲んでる男性、八百屋の配達の人に似てますよ、あ、勿論山形のね。」
などといって、失笑を買ってしまうのが関の山でありました。
今話題の、これが有名、などのものを食べさせていただき、3店回ってその日は解散、ホテルに戻り、ほんの少し休憩してから、マネージャーと夜の街に出かけました。
オープニングチームのスタッフに事前に自分たちが泊まるホテルの近くの居酒屋風なお店を聞いておりましたので、そちらへ。
漢字だらけで店名は未だに不明なのですが、「竹屋荘」の字が目立ったので、我々の中で「竹屋荘(たけやそう、そう読むのかも不明)」に決定。
そのお店の良い所は、日本語は勿論、英語も殆ど通じないという現地人御用達系居酒屋。料理は勿論美味しいのですが、言葉がうまく伝わらなくて注文したものとまったく違うものが出て来るのが感動します、しかも物凄く安い。2人でチンタオビール6本と紹興酒ボトルで2本、料理取り分けで6品注文して日本円で約4000円、そして、何と!24時間営業!営業時間を聞いただけで毎日通う事を誓ってしまいました。(実際通ったのですがね、毎日2人で紹興酒をボトル2本空けるため、行くたびに苦笑されました)
次の日、現場へ朝7時に到着、それからが苦悩の始まりでした。
前日に厨房を確認しましたが、中華専用の厨房なのです(前が中華料理だった)、
「鍋は一杯あるから色々使ってね。」
と気軽に言われましたが、中華鍋しかありません、ガス台は、中華用ハイカロリーバーナー搭載の3連ガス台でありました。これでフレンチを作らなければならないんですよ、テンション下がりまくりでしょう、これでは。
しかし、そんな事は言ってられません、とりあえず買出しへ。
フォン・ド・ヴォーは取る時間がありませんから、ジュ・ド・ブフ(牛のジュース、煮詰めてソースに使う)を取ろうと市場へ、牛肉が殆どありません。
ジャンボピーマンが豊富にあるのでラタトゥイユでも作ろうとスーパーへ、ホールトマトとトマトピュレがありません。
海老が大量にあるので海老のムースでも、と海老を買って帰ってくると、フードプロセッサーがありません。
この、ないない尽くしの状況は時間の無い私にとってこの上ないプレッシャーを与えるのでした。
しかも思いっきり中華の厨房。それに加えて隣の店のシェフが「お前、出来んのか?」と笑いながら仕事を見に来て大騒ぎ、いい感じで仕事を邪魔してくれますな~。
しかし、この国のシステムに慣れれば何とかなるものです、牛肉は現地の人に言って何とかゲット、ホールトマトはありませんんが、スーパーをよく探せば漢字だらけのトマトペースト(中華用)を見つけました。
フードプロセッサーが無いのはしようがありませんから、海老と帆立の貝柱を中華包丁で細かく叩き、卵白、生クリーム(これも1日かけて探した)と共に混ぜ合わせ、スプーンでフットボール型に整えてボイル、「海老と帆立のクネル」に。
3日間、朝7時に出勤、夜11時過ぎまで料理を作り、その後、「竹屋荘」で紹興酒をテーブルにおっ立てながら3時過ぎまで反省会。(と言いながらただの飲み会)
と充実した仕事をこなし、メニューの叩き台とまでは行きませんでしたが、オーナーからは感謝されましたのでそれなりの仕事をして帰国したのです。
先日、その知り合いの方が来店なされて、今度、貿易関係の仕事になったのでよろしくね、と名刺を差し出しつつ、ワインを飲んでいったのですが、残念ながら、そのお店は閉店、オーナーの会社も閉鎖、となってしまったそうであります。
私はそこしか接点がありませんでしたし、それから連絡が無かったものですからうまく行っているのか、と思っておりましたが、世の中そううまく行かないようです。
知り合いの方は、「藤原さんたちはよくやったよ、あれからメニューを決めて、オープンしたけど、会社が店を持続できなくなったから仕方が無い事。私も今、貿易関係の仕事で中国と日本を行き来しているので忙しい。」
との事でしたので、その当時の事は良い思い出にしております。
最後に「また何かあったらお願いするかも。」と不吉な言葉を残していったので不安を感じましたが、今度はヨーロッパにしましょうよ。
でも、営業補償費はあの当時より高くなりましたぜ。