シャインズという現役サラリーマン(住友商事)が歌う「私の彼はサラリーマン」に笑い転げたのはもう22年前のこと。そのシャインズのメンバーが杉村氏だった。詳しくはwikipedia等をご覧下さい。先日、名誉教授の西岡先生がお亡くなりになったのとは対照的で、享年47歳はあまりに若すぎます。2003年にハーバード大学ケネディー行政大学院を終了し帰国後、体調を崩していた。
一言で人生の長短は言いがたい。ご冥福を祈ります。
シャインズという現役サラリーマン(住友商事)が歌う「私の彼はサラリーマン」に笑い転げたのはもう22年前のこと。そのシャインズのメンバーが杉村氏だった。詳しくはwikipedia等をご覧下さい。先日、名誉教授の西岡先生がお亡くなりになったのとは対照的で、享年47歳はあまりに若すぎます。2003年にハーバード大学ケネディー行政大学院を終了し帰国後、体調を崩していた。
一言で人生の長短は言いがたい。ご冥福を祈ります。
コンピュータ先進国のアメリカでは、いち早くアカデミック・ディスカウント制度やサイトライセンス制度が決められ、大量のハードとソフトが教育現場に導入された。例えば、アップル社は大学生の生協を通して購入する学生に対して、大幅な割引制度を設けた。それを、アカデミック・ディスカウントという。また教育機関に対しては大量のソフト導入時に通常の値引きでは予算が不足しがちである。ソフトを導入し学生に使わせれば、将来そのソフトを就職先企業でも使用する可能性が極めて高いことから、台数が増えるにしたがって、値引き割合が増す、サイトライセンス制度が多くのソフト関連の企業で採用され始めた。もともとこのサイトライセンス制度はソフト開発用ソフトの販売時に考案された制度である。Lattice Cを日本国内で販売していたサザンパシフィックが始めて採用したサイトライセンス制度も、急速に教育現場で普及しはじめた。一太郎の開発元である、徳島のジャストシステムなどは、このサイトライセンス制度を積極的に採用し、ソフト売り上げを急速に伸ばした企業であった。
学生に使わせて、将来の顧客になってもらう優れたシステムが、このサイトライセンス制度であった。
時間割作成ソフトに関しては、不法コピーが横行しつつあったので、プロテクトをかけることが真剣に検討された時期があった。プロテクトをかけると、顧客に不便をかけるケースが多いことを考慮に入れ、究極のプロテクトを提案した。それは、導入時に一度だけ所有者の名前をソフトに登録させるものであった。この登録作業をしない限りそのソフトは使用できない。また一旦登録すれば、常に画面に所有者名が表示され、印刷すれば、帳票にも必ず所有者名が印字されるというものであった。時間割作成ソフトを導入した学校にソフトをコピーさせてもらい、試に自分の学校で時間割が作成できるかを実験したいのは人情。いざ出来たとなると当然出力をするが、他の学校名が印字されると、管理職に怪訝に思われる。管理職が不法コピーはいけないと認識してくれるようになり、この究極のプロテクトは効を奏した。
なお、この時間割作成ソフトの名前は「師楽」といって、安川情報システムが開発、販売していたものであり、この分野でのデファクトスタンダードとなったソフトである。
(東海高校では現在でもこの「師楽」を使っています。感謝!!)
その昔、MS-DOSが幅を利かせていた当時、人気ソフトには、プロテクトがかかっていた。表計算といえば、現在ではおおよそエクセルと相場が決まっているが、以前は、ロータス123の牙城であった。ロータス社がIBMにM&Aされ、ロータスノーツとしてIBM社内ばかりか、顧客システムにバンドルされて販売されるにおよんで、ロータス123は一般市場から姿を消した。以前のロータス123は、プロテクトがかけてあり、一旦フロッピーがディスク1/oエラーを起こすと、メーカーまで修理依頼をする羽目になっていた。費用は確か3,000円だったと記憶する。ロータス社の営業の方に、ユーザーの便を考えれば、プロテクトは外してはどうかと再三提案をしたが、本国本社からは「No」の回答であった。ある会合でロータスジャパンの菊池社長に直接この件についてたずねた。「残念ながら、本社サイドの決定なので、いかんともしがたい。申し訳ない。」との返答だった。
同時期、マイクロソフトが日本法人を立ち上げて間もない頃(1986年ごろ)営業部長に「マルチプランのプロテクトを外す。」ように依頼をした。本国から「No」といってきましたとの連絡をうけた。
私は日本法人の営業部長に「123に勝ちたければ、プロテクトを外すこと。ユーザーに自由にコピーさせて使わせてみる。そしてそれが仕事に使えつとなれば、会社でも、個人でも必ず購入してくれる。それは間違いない。そう、ビル・ゲーツ君に直接連絡してくれ。彼はクレバーな人間で、聞く耳を持っているから。」と伝えた。程なく、「ビルがOKを出してくれました。」との連絡が入った。
そのマルチプランをもとに、ウィンドウズ対応に造られえたのがエクセルだった。関数形式に2種類あるのは、マルチプラン流とロータス123流の2種類に対応している。(口の悪い人は、エクセルはマルチプランを厚化粧したものとおっしゃる。)
皆さん、コピーツールの作者が、実はコピープロテクトの作者であることを知っていますか。
ワクチンソフトの製作者自身が、ウィールスソフトの製作者であることは往々にしてあることです。
ワクチンソフト作成会社が、ウィールスソフト作成者を雇い入れることはあったとしても不思議なことではない。
ウィールスソフトにご用心を!!
先日、慶應義塾大学の名物先生がお亡くなりになりました。日吉(教養部)にて人文地理を担当されていた、西岡秀雄先生。1979年に停年をむかえられた。当時は、マスコミでも良く取り上げられており、「世界のトイレ事情、世界のトイレットペーパー」の授業は学内ばかりか、学外でも有名であった。毎年の入学者の多くが履修する「西岡の人文地理」を不覚にもとっていなかった私は、3年次専門課程に入ってから履修した。
1.気候周期700年説は説得力があった。(寒暖の周期が700年であることを、文献上だけでなく、縄文杉の年輪からも割り出している。)
2.気候と音楽(民謡、童謡)の音程との関係。(北方ほど音程が低く、南方ほど音程が高い。)
3.管楽器、弦楽器の起源とその発展およびその特性。(なぜオーケストラの演奏会でカーテンが閉まっていないのかの秘密。)
4.気候が人に及ぼす影響。(気候による鼻腔の発達への影響。)
5.ヴァイオリンの弦の材質と弓の材質、松脂の産地について。
いまでも、西岡先生の授業を鮮明に覚えています。
周到な調査と準備に裏付けられた授業は、教師の端くれとして、私は常に参考にさせていただいてまいりました。
西岡先生、有難うございました。
西岡秀雄先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
昨日、夏恒例の日本数学コンクールが無事終了いたしました。多数のご参加、有難うございました。またご協力いただいた高校教職員のかたがた、名古屋大学の学生、教職員のかたがた、ご苦労様でした。参加していただいた学生諸君の努力の跡つまり「答案」を一枚一枚丹念に採点する作業が始まりました。日頃の試験と異なり、考え方とか、現象のまとめ方とか、様々な観点から答案を評価します。
「採点会議」ではなく「評価会議」をこれから何度ももって、大賞、優秀賞、優良賞、奨励賞を決めてまいります。
きらりと光る、数理の発想を順次発見する楽しみが、この評価作業にはあります。次代の若者達の「努力と格闘の跡」である「答案」としばらく格闘する毎日が続きます。「評価作業」終わるとともに、夏休みも終わり、幾多の評価会議を経て、各賞が決定いたします。
次回は11月3日、表彰式にお会いしましょう。
岐阜県大垣市には、中部地区を代表するソフトウェア集積基地「ソフトピア・ジャパン」がある。岐阜県知事、梶原拓氏時代に企画、形成されたもので、現在約2000名の就業者が集うソフトウェア関連施設である。詳細は、wikipedia等でお調べください。
最初に、計画されたのは、平成元年であり、候補地は大垣市内とさせた。私はその計画、立案の初期の段階から参画させていただいた。県庁からは、情報対策管のY氏(旧建設省より出向)、民間から私を入れて3名、岐阜大学工学部から2名の教官。以上のメンバーで「平成元年度、岐阜県情報産業育成懇談会」が結成された。月1回、半日のペースで1年間、各種施策を提案した。
その結果、生まれたのが社団法人、岐阜県情報産業協会であり、グランドデザインから数えて8年越しに、ようやく完成したのが「ソフトピアジャパン」であった。グランドデザインの大半は、私と情報対策官との間でほぼ詳細にわたって検討された。共同利用施設に導入するワークステーションの要求水準の設定、およびその運営方法をどうするか。あるいは、ベンチャー企業の育成のための仕掛け「インキュベーション機能」をどのように持たせるか等について、十分検討された。
共同利用施設のモデルはUCLAバークレー分校の計算機利用環境とした。24時間利用可能、IDとパスワードによるアカウント管理。
今では、当たり前のシステムであるが、当時はこれといって適当なモデルはなかった。
(インキュベーション機能とは、親鳥が雛をかえしてから、えさを与えて一人前になるまで世話する機能をいう。)
新しい、雇用を創設する目的で形成された「ソフトピアジャパン」その目標は十分達成している。
今、東日本大震災後の雇用不安を考えると、緊急に新たな雇用を考えねばならぬ。政治に関わる人々の至急対応を願わずにはおれない。
学習には様々なモデルがある。
例えば、語学。母国語のほかに、第一、第二外国語を学ぶ。
つい最近、必要があって、TOEFLのiBTについて、調べた。2006年以降、CBTが廃止され、iBTに移行した。
CBTは300点満点であるが、iBTは120点満点である。
CBTとの大きな差は、スピーキング能力を調べるテスト項目が増えたことである。
リーディング、ライティング、ヒアリングだけでであったのに、新たにスピーキングが加わった。
このことから、思いもよらぬ事態が発生した。iBT参加160カ国中、全受験者の平均点がなんと日本は131位という惨憺たる結果であった。日本人の話べたはつとに有名であるが、この結果はそれをまざまざと証明した形であり、文部科学省があわてて英語教育を小学生から始めることにした強いインパクトになったことは、間違いない。
大学以上の教育機関、研究所において求められる英語力(研究者として要求される英語力といって差し支えない)をはかる共通のメジャーとしてTOEFLを採用するところが近年急速に増えている。
翻って、センター試験、二次試験におけるテスト形式および内容は、次第にTOEFL風になりつつある。特に英検はその傾向が顕著であり、問題つづりの姿勢からTOEFLに限りなく擦り寄ってきている。
大学入試の先にもつながる英語学習。あなたも一度TOEFLのリーディング、ヒアリングあたりを一度調べてください。大学入試の勉強にも必ずプラスになる。
(英語班)
昨日、午後11時58分に駿河湾沖にて地震発生。マグニチュード6.1。最大震度6弱。
じつは、二日前、ここ名古屋ではいわゆる「地震雲」が発生しておりました。地震雲といっても大方の方はご存じないと思いますが、広く航空関係者の間では、有名な雲です。方角から判断すると、富士山にかなり近いところに地震が発生する可能性が高い旨、家人に伝えておいたところ、昨日の地震でした。貴重品を取りまとめ、ペットのキャリングケースも用意し、臨戦態勢でした。ここで、皆さんが驚くのは、家人の反応ではないでしょうか。「地震雲」と聞いて、すばやく対応してくれる家人に、私は感謝しています。
地震に関しては、過去にも何度か事前に察知して、危険を回避しています。
1990年のカリフォルニア州における大地震、神戸大震災と、発生の直前に退避して無事でした。
また、身内のものが、関東大震災の前日胸騒ぎがして、姉と二人で急遽故郷に帰省した話を聞かされたことがあります。
何らかの予知能力が関係しているのでしょう。
さて、東日本大震災のその後について、文部科学省が放射能の観測体勢を半径500kmまで拡大する旨の報道がなされました。ぎりぎり、ここ愛知県までが観測範囲に入りました。
放射能(特にセシウム)に汚染された牛肉の流通問題をどうやって解決するのかが急務です。それ以外の野菜などの食物流通に関しても、監視体制を強化する必要があります。
チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシから多くの子供達が来日して治療をうけました。大半が甲状腺異常をおこし、白血病を発症していました。その後の彼らの健康状態はどうでしょうか。詳細は分かっておりません。先日NHKでは、ベラルーシの今を特集していました。相変わらず、線量計が必要で、徐線作業は今も続いています。しかし、放射線治療を受けていた子供達の今は不明のままです。多くの子供達は既になくなっているのではないでしょうか。核心部分に触れない報道にもどかしさを感ずるのは私だけでしょうか。
(ベラルーシはチェルノブイリ原発から約60kmにある町です。)
福島原発事故発生直後に「これはチェルノブイリの二の舞だ」と直感したのですが、どうやらそれが現実のものとなってきたようです。
大学受験の皆さんも、そのへんの事情も考慮して、受験地域を真剣に考える必要が出てきたことを念頭においてください。