この数週間、SNSを中心に「BCGがCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の予防に効くのでは」という情報が飛び交った。しかし、現在のところ、確たる証拠はない Photo:PIXTA
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)ワクチンの開発が急がれている。ワクチンの開発には通常3〜5年はかかるのが常識だが、SARS-CoV-2の場合はSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)がアウトブレイク(一部地域や施設で発生した予想外の集団感染)した際のワクチン候補が使えそうだということもあり、1〜2年以内の実用化を目指している。「遅い!」との声があるだろうが、これがかなえば人類史上最速の記録だ。4月10日現在で、公開されている情報をまとめた。
(医学ライター 井手ゆきえ)
ワクチンの原理は免疫の事前学習
バイオテックで開発が迅速に
ワクチンの基本的な原理は、免疫系に特定の病原体(ウイルスや細菌)の様相を事前に学習、記憶させておくことで、いざ本物の病原体が押し寄せて来た際に迅速に免疫応答が生じ、感染や重症化を防ぐというもの。現在、使用されているワクチンは、細心の注意を払って本物の病原体を培養、増殖したのち弱毒化、不活化(薬品などで増殖能を排除すること)して利用されている。しかし、バイオテクノロジーが発展した現在、もっと簡単で迅速なワクチン開発が可能になった。
ワクチン開発のプラットフォームは大きく4つ
現在、開発中のワクチンのプラットフォームは大まかに、
(1)mRNAワクチン、DNAワクチン
(2)SARS-CoV-2を弱毒化させて「生ワクチン」として利用する「弱毒化ワクチン」と「不活化ワクチン」
(3)遺伝子組み換えタンパクワクチン
(4)ベクターワクチン、に大別される
◎mRNAワクチン、DNAワクチン
mRNAワクチンは、体内にSARS-CoV-2表面に突き出ている「スパイク」の設計図を載せたmRNAを送り込み、スパイクの偽物を体内の細胞に作らせることで、体が持っている免疫反応を強力に誘導する仕組み。
スパイクとはウイルスが生体の細胞に侵入する際に使われる部分で、免疫細胞の攻撃目標になる。いったん、偽スパイクでSARS-CoV-2に対する抗原-抗体反応を学んだ免疫システムは、それ以降、本物のSARS-CoV-2に対しても免疫反応を発揮し、感染や重症化を防ぐ。
従来のワクチン製造とは違い、ウイルスのゲノム情報さえ解読できれば、それを基に偽スパイクを生み出すmRNAを化学合成することができるため、大量製造も難しくはない。また、SARS-CoV-2が変異を遂げても、mRNAの設計図を変更すればよいだけなので、柔軟かつ迅速に対応できる点がメリットだ。
現在、ワクチン開発競争の先頭を走っているのは、米モデルナ社と国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)が共同開発したmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン「mRNA-1273」だ。3月16日、他に先駆けて第I相の臨床試験を開始。18〜55歳の健康な男女45人に対し、ワクチンを4週間間隔で2回投与して安全性と免疫を獲得できるかどうかを確認、評価する予定だ。
中国で「見たこともない肺炎」が取りざたされるようになったのは2019年12月末のことだった。中国の研究チームはその後、わずか数週間でスパイクを含め、ウイルスのゲノム情報を解読、公表。その結果、SARS類縁のウイルスであることが判明し、ワクチン開発競争が始まった。
すでにSARSやMARSでの経験があった米モデルナ社は、ウイルスのゲノム解析からわずか1カ月半でワクチン候補を絞り込み、ヒトを対象とした第I相臨床試験にこぎ着けたのである。バイオ企業ならではの素早さだろう。最良、最短のシナリオに従えば、およそ1年半で流通ベースに乗る可能性がある。
課題はmRNAワクチンの免疫賦活化能がそれほど高くない点だ。このため、ワクチンにアジュバントと呼ばれる免疫賦活化剤を添加する必要がある。従来のワクチンで使われてきたアジュバントやmRNA用に新たに開発されたものがうまく機能するかどうかはまだ、未知数だ。
また当然だが動物実験で得られた免疫反応が、ヒトでも確認できるとは限らない。まずは第Ⅰ相の試験結果を検討し、有望だとわかればさらに大人数を対象とした第Ⅱ相、第Ⅲ相へと進み有効性を確認する必要がある。この間に安全性――ワクチンの副反応などの問題が出てくる可能性もあるため、まだ楽観視は禁物だろう。
mRNAワクチンについてはモデルナ社のほか、独バイオンテック社がメガファーマの米ファイザー社と共同で、同社のmRNAワクチン「BNT162」を開発、全世界への流通工程(ただし、中国は除く)でもタッグを組むことを表明している。国内では東京大学医科学研究所が大手製薬企業とともにmRNAワクチン開発に着手しているが、まだ動物実験の段階。いかにも出足が遅い。
DNAワクチンについては、アンジェス株式会社が大阪大学と共同でSARS-CoV-2のスパイクの遺伝子タンパク質を導入したプラスミドDNAワクチンを作製している。このDNAワクチンを接種すると体内で偽スパイクが作製され、免疫反応を誘導する仕組み。
化学合成で作製されるmRNAワクチンとは違い、大腸菌を宿主として組み換えDNAを作製、精製してワクチンの原液を製造できるため、製造期間の短縮が期待される。製造についてはタカラバイオ株式会社が協力をしている。この3月に動物実験に着手したばかりだが、秋にはヒトを対象とした臨床試験を開始する予定でいる。
また4月6日、米イノビオ社が同社のDNAワクチンでヒトを対象とした臨床試験を開始したというニュースが飛び込んできた。40人の健康な成人に4週間間隔で2回接種し、安全性と効果を確認するという。
リアルさで話題の映画「コンテイジョン」では
弱毒化された生ワクチンが「救世主」だった
◎不活化、弱毒化ワクチン
今回のパンデミックを予言したとして注目されている映画「コンテイジョン」(2011年、スティーブン・ソダーバーグ監督)を見た方は多いかもしれない。未知の感染症の発生からワクチン開発、収束までの混迷と混乱はリアル過ぎて目を背けたくなるほどだ。同作品の救世主は弱毒化された生ワクチンだった。
麻しんワクチンに代表される弱毒化ワクチンは、毒性を極度に弱めたウイルスや細菌そのものをワクチンとして利用するもの。免疫を獲得した後の免疫効果が強いうえに長期間続く利点がある。デメリットは病原体が毒性を取り戻して発症する可能性があることだ(映画でも言及されていた)。また製造工程で他の微生物が混入するのを防ぐために、厳しい管理が要求されるなど、クリアすべきハードルが高い。
不活化ワクチンは大量に培養したウイルスや細菌を精製した後で、薬品で処理して毒性をなくし、ワクチンとして利用する。生ワクチンのように体のなかで増殖しないので、1回の接種では免疫を十分に獲得、維持することができず、複数回の接種を必要とする。
バイオテクノロジーが発展している今、開発時間と大規模な設備を必要とする弱毒化、不活化ワクチンの開発スピードは若干鈍く感じられるが、高い免疫効果を獲得できるだけに最終的には本命かもしれない。2月に米国とインドのワクチンメーカーが共同で弱毒化ワクチンを開発すると表明したほか、SARSの不活化ワクチン開発にトライしてきた複数の大学や研究所、バイオベンチャーで開発が進んでいる。
◎遺伝子組み換えタンパク質ワクチン
mRNAワクチンと同じくバイオテクノロジー時代の新しいワクチン候補は、遺伝子組み換え技術を使ったペプチドワクチンだ。植物や昆虫、動物細胞にウイルス抗原タンパクや、一部のペプチドをつくらせて精製した後、ワクチンとして投与するもの。
SARSワクチンの開発で経験がある仏サノフィ社は2月18日、米国生物医学先端研究開発局(BARDA)と共同で遺伝子組み換え技術を使った新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ワクチンの開発に着手すると公表した。このほか、米ジョンソン&ジョンソンも独自の技術を用いて、遺伝子組み換えタンパク質ワクチンの開発に着手している。
◎ベクターワクチン
ワクチン開発のポイントの一つは、免疫細胞に学習参考書として提示する「偽スパイク(抗原)」をどうやって体内に誘導するかだ。シンプルに弱毒株を送り込む方法、mRNAやDNAという「設計図」を送り込み、生体細胞に複製させる方法、そして、確実に体内に入り込むけれど無毒化したウイルスを運び屋(ベクター)として届ける方法がある。使われるウイルスは一般的な風邪を引き起こすアデノウイルスや麻しんウイルスなど。
現在、仏サノフィ社、米ジョンソン・エンド・ジョンソン社などメガファーマのほか、複数のバイオベンチャーがベクターワクチンの製造に名乗りを上げている。また日本の株式会社IDファーマは中国の復旦大学附属上海広州衛生臨床センターと共同で、同社が保有するセンダイウイルスをベクターとしたワクチン開発に着手している。このコンビは、すでに同じベクターを使って結核ワクチンを開発しており、その経験を生かすという。
BCGはCOVID-19を予防する?
結核といえば、この数週間、SNSを中心に「BCGがCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の予防に効くのでは」という情報が飛び交った。発端は3月半ばに海外のSNSに掲載された1本の学術論文〈下記の参考URL(1)〉中に掲載された地図だった。2011年に発表されたこの論文では、BCGのワクチン接種プログラムやワクチン株が各国によってバラバラであることを指摘し、より良いワクチン接種プログラムを開発するための参考情報という主旨だった。
ところが、この文献中に掲載されたBCG定期接種国と非接種国の区分がそのまま、COVID-19の発生が比較的、穏やかに抑えられている国(日本や韓国、旧東側諸国など)と爆発的感染に見舞われている国(欧州、米国)と偶然とは思えないほどシンクロし、BCGの中では日本株とロシア株を定期接種としていた国の死亡率が低いという指摘があり〈下記の参考URL(2)〉、上記の噂があっという間に広まったのだ。
SARS-CoV-2の「抗体」ができるわけではない
BCGは、結核菌という「細菌」による感染予防が目的のワクチンだ。
つまり、「ウイルス性の感染症」を予防する効果はない。SARS-CoV-2の侵入に直接、対抗できるわけではないのだ。
現時点では、BCGが免疫システム全体を「強化するのではないか」という、いささか“心もとない仮説”が唱えられているが、確たる証拠はない。
ただ、無視をするにはあまりに「状況証拠」がそろっているため、オランダやオーストラリアなど複数の国が、感染ハイリスク群である医療従事者を対象として、前向きの臨床試験を開始している。
わずかでも効果が確認できれば、正式なワクチンができるまでのつなぎになるかもしれない。また日本では1951年以降、乳幼児や児童、生徒を対象に定期接種が行われてきた。数少ない安心材料にはなるだろう。
ただし、繰り返すがBCGは「ウイルス性の感染症」を予防する効果はない。
日本ワクチン学会は4月4日、公式に「(BCGにSARS-CoV-2感染を予防する)効果は科学的に証明されていない」とし、現時点でCOVID-19対策としての接種は「推奨されない」と強調している。
ここでBCGを接種していない成人、高齢者がBCGに群がってしまうと、乳幼児へのワクチン接種が滞る事態が起こりかねない。自分たちの不安から子どもの健康を奪う行動だけは絶対に避けたい。
逆にBCG接種世代は間違っても「自分たちは平気」と油断しないこと。
証明されていない効果を頼みにするのは自殺行為だ。現時点でワクチン並みの予防効果が期待できるのは、「3密(密閉、密集、密接)」を避け、不特定多数の人間が触った備品や食器を触った後は、手洗い、手指消毒を徹底する、不要不急の外出を避ける、である。自分と家族、そして運命共同体の誰かの命を救うために、家にいよう。
以上
免疫学的にはBCG接種は新型コロナウィルスに対して有効であることに間違いはなかろう。
だからと言って、大の大人にBCG接種を行えば、コロナに有効とは言えない。逆に危険でさえある。