風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

1900年

2008年01月21日 | 映画
1900年 2008/1/20・池袋新文芸座


1976年/伊・仏・西独 
原題:NOVECENTO[NOVE=nine、CENTO=100つまり1900]
316分[第1部2時間42分、第2部2時間34分]
監督:ベルナルド・ベルトルッチ/撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
/音楽:エンニオ・モリコーネ
/出演:ロバート・デ・ニーロ(アルフレード),ジェラール・ドパルデュー(オルモ ),
ドミニク・サンダ(アダ),ドナルド・サザーランド(アッチラ)

あらすじ:
1900年の夏の同じ日、ベルリンギエリ大農園にふたりの男児が誕生した。
地主の子アルフレードと、小作人頭の子オルモ。
その二少年は、喧嘩しながら交流し成長していく。
オルモは第一次大戦に従軍するが、1916年頃だから、歳は16~17才。
当時のイタリアは徴兵制を取っていたのだろうか、
志願したのだろうか、徴兵制だったのだろうか、
アルフレードの父親が徴兵逃れに金を使ったとのセリフがあるので、
徴兵制だったようだが、そこら当たりはよくわからなかった。
第一次大戦、ロシアで社会主義革命が成功し、
社会主義への恐怖が資本家・地主らの支配階級に広がり、
イタリアでも絶対主義的土地所有=地主と小作人との矛盾が激化していく。
地主達は現代十字軍=ファシズム運動に資金を出し組織する。
一方農民はストライキ・パルチザン闘争[映像はない]を行う。
そして、イタリアはムソリーニの黒シャツ=ファシズムが支配する。
二人はその激動を生き抜き、更にその後も生き抜く。[映画では描かれないが]
好々爺となった二人が子ども時代をなぞるようにふざけながら歩いて終わる。

30年も前、ベトナム戦争が終結した翌年に完成した映画である。
社会主義はまだ希望の時代であった。
そして、イタリア・西欧では左翼・共産党が最も強かった時代であった。
それは、イタリア共産党のたぐいまれな指導者アントニオ・グラムシと
ファシズム下のパルチザン抵抗運動の存在なしにはあり得なかった。
そうしたイタリアの歴史・そして世界的な反ベトナム戦争という、
人々の抵抗には意味が・価値があるという時代の背景なしにはこの映画が生まれなかっただろう。

「タクシードライバー」と同じ年の作品で、
デ・ニーロ、ジェラール・ドパルデュー、ドナルド・サザーランドも皆若く、スマートだ。
アメリカでは4時間程の短縮版で公開され、五時間を超える上映時間は興行的には惨敗であったそうだ。

インターナショナルの歌と鎚・鎌の第三インタナショナルのマークを映画の中で、
聞き・見たのは実に久しぶりだ。
その後英語版が作られ、今回見たのは残念ながらその英語版。
映画の最初と最後に歌われる歌とスローガンとチャオなどだけがイタリア語。
やはりイタリア語の方が良い。
地主のことはさすがにパトローネと言っていた。
イタリアではパトローネ・パトロンとは、
古代ローマにおいて存在した私的な庇護関係(クリエンテラ、パトロキニウム)における保護者を指し、
被保護者であるクリエンテスとの関係は一種の親子関係にも擬せられてきた。
イタリアではそれが封建時代・絶対主義的現代にまで形を変えて存在してきたのだろうか。
日本の地主・小作関係とはだいぶ違うようで、
伊・ヨーロッパでは小作と農奴とが合わさったような支配=身分関係のようだ。
家族単位の住居ではなく地主敷地内の集合住宅に住むそうした農奴的農民と、
没落自作農=貧農小作、そして日雇い農民とが入り交ざっている。
いずれの農民たちもその多くが農村に失望し、都市に流入するが、
そこも決して平和で安住の地ではなかった、その日暮らしのルンペンとなり、
それをファシズムが組織し、戦争に突入していく。

遅れて列強に加わった日本・イタリア・ドイツでは天皇制・ファシズム・ナチズムという現代の怪物が生まれた。
農奴制が根強く残ってたロシアは同じく遅れて列強に加わったが、
資本主義を通り越して社会主義革命に成功した。
遅れて世界史に登場したアメリカは奴隷制で冨を貯えたが、
今やそれが資本主義の発達を阻害していた、それを南北戦争で解決し、
没落農民は労働者として都市が吸収していた。
フランスは独立自営農民が強かったし、イギリスはどこよりも早く資本主義を完成させていた。
だからといって、アメリカ・イギリス・フランスなどが民主的で平和的だったと言うのでは決してない、
侵略的帝国主義であって、植民地に対しては暴力と収奪であった。

飽きることのない5時間だが、やはり長すぎる。
一部の始め、二部の始めと終わり付近は冗舌過ぎる、
もっとテンポがあって良い。
裸のセックスシーンなども過剰・不要と思う。
盲目やテンカンを笑うなども現代からすれば違和感があるし、余計だ。
都市の状態にまったく触れず、しかもこの農村だけに絞ったのはよかった。
画面が途中で乱暴に切れて、次に移る。
10年後、20年後などの場合は、暗転とかボカシとか、コピーを入れた方がよい。
一部は10時開始だったので、1時からの二部から見た。
観客は多かった。

テーマ音楽がとても良かった。
北イタリアの田園・糸杉は実に美しい。


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