17日[七日目]、今日は、小田原とは言えない箱根登山鉄道の箱根湯本・入生田・風祭を歩きました。
私は、阿弥陀寺と早雲寺を訪れたかったのです。
朝食は、バッフェスタイルです。おかずの種類は少ないですが私には十分です。
私の定番、果物とヨーグルトは無いのでスーパーで買って来ました。

チェックインを済ませ、荷物をホテルに預け、少し早めに出ました。
まず、ホテルの近くで行き忘れた善光寺 笠守稲荷を訪れました。

箱根登山鉄道で箱根湯本に向かいました(300円)。

箱根湯本駅と周辺はきれいになっていました。箱根北原ミュージアム(テレビのなんでも鑑定団出演者・北原照久さんが作った)
フォレストアドベンチャー(アスレチェック) 阿弥陀寺への入り口 茶の花

阿弥陀寺(あじさい寺)への参道 箱根湯本駅から急勾配の険しい坂道、歩くこと20分弱、汗だくです。

本堂[私の写真は失敗でした。引用です。] 清らか観音

皇女和宮葵の御堂 もっちゃん観音「もっちゃんのおへそはお母さんの顔」

箱根湯本駅に戻り、反対側に
駅前のカッパ天国温泉

健脚向きの山道[左側のくねくねした非常に険しい山道]を登りました。
小田原馬車鉄道落ち合橋跡

早雲山・臨済宗 本堂と庭園は工事中で見られませんでした。

北条五代の墓 開山堂

早雲寺惣門(薬医門)
正眼寺(臨済宗) 大仏(初めは入生田の紹太寺にあったものだそうです。)

帰りは一般道にしました。旅館の送迎バス 箱根郷土資料館

あじさい橋

電車で入生田駅に向かいました。 生命の星・地球博物館[シニアは100円でしたが入りませんでした。]

山神神社 紹太寺・黄檗宗

紹太寺本堂 永代供養塔
稲葉氏一族に墓への参道は360余段の階段と坂でとても険しいです。
透天橋 伽藍跡(広い伽藍があったようです。)

石牛路 開山の鉄牛和尚寿塔 長興山の枝垂桜(樹齢300年を越えるそうです。)
稲葉氏一族(1632~1685年間小田原城の城主)

かなり広い伽藍と霊屋があったようですが、今はすっかり寂れ、一帯はミカン畑です
昔日の華やかな面影は全くありません。 ここでお昼を食べました。
ここから歩きました。

初めて気づいたのですが、電車の線路の南側に東海道が道があるのですね。
「箱根の山は天下の険」、とはよく言った物です。
山を迂回し海沿いを行けば大変な遠回りですし、海岸沿いも平らなところは少ないのです。
宝泉寺・臨済宗
萬松院・曹洞宗 萬松院庫裏


小田原道祖神・風祭一里塚 妙覚寺・日蓮宗 淨行菩薩

風祭駅 こんな寂しい表示が[お金を置かないで野菜を持って行く人が増えているそうです。]

鈴廣のかまぼこ博物館[無料です。] かまぼこ作りの体験もできるようです。

蒲鉾板に書かれた絵 藤子不二雄 林静一 尼子騒兵衛 ちばてつや
サトウサンペイ 片岡鶴太郎 八代亜紀 さかなくん
ここまで昼前には終わるだろうと思い、続いて国府津駅に出て少し歩こうと計画していました。
ところが距離の計算違いをしていたようで、さらに急勾配な山道なので大変時間がかかりました。
ここで今回の旅を終えることにし、帰ることにしました。
ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取り、14:24の東海道線で帰りました。
今日のお目当て、阿弥陀寺に行くのは簡単ではありません。良かったです。
でも、写真は失敗し、ピンぼけでした。
早雲寺は、工事中で本堂を見ることはできませんでした。
しかし、小田原番外の箱根は楽しく良かったです。
箱根は温泉や美術館だけではないです。
小田原や箱根は何回も来ているのですが、お寺にスポットを当てて歩いてみるとこれまでとは違った趣です。
海岸沿いでは、日蓮宗のお寺が多かったようにように思います。
城下町ですから曹洞宗や臨済宗もお寺も多かったですが、時宗と黄檗宗の珍しいお寺もありました。
非常に大きなお寺や神社はありませんでした。
小田原・北条氏が秀吉・家康によって滅ぼされたことと関連があるのでしょうか。
北条氏滅亡後も小田原城もいろいろな歴史を辿ったようです。
明治の廃城後は、売却され、城趾は地方自治体に払い下げられ、広大な敷地が維持され、
今も整備が続けられています。
鎌倉と小田原は地勢が似ています。
高くはないが険しい山が海に迫り、平地は狭く、隣国とも山や川で隔たれています。
源氏や北条氏が頭角を現したのは、この地勢とは無縁とは思えません。
江戸の昔の呼び名は武蔵ですが、一つの豪族が広大な武蔵・江戸を支配することは到底できません。
最も、戦国初期の豪族・大名が支配できる範囲は予想以上に狭かったはずで、
その後それまで山城だったのが、戦国大名が力をつけ平地の城下町を造るようになって、一挙に巨大化して行きました。
ヨーロッパの都市国家、城塞市などはもっと狭く、小高い丘の上高い城壁は恐る恐るという感じで、
その中の住宅は密集し、道路は狭く、入り組んで迷路のようでした。
最近の日本は市町村の合併で、一つの市がやたら広くなってしまい、昔の地勢のリアリティ観が失われているように思います。
また、日本の城下町の多くは、アメリカの空襲でほとんど消失し、道路も広く再建され、昔日の面影は薄らぎました。
小田原駅付近のショッピング街は、西友が入るショッピングモールやドンキホーテなどが隣接し、
とても活気があり、競争が激しいらしく物価も安いように感じました。
また、蒲鉾などの土産物店や魚屋や八百屋などの小売店も多く、「シャッター通り」ではありませんでした。
小田原城址公園内にレンタサイクルがあります。一日300円(保証金1000円)と安いのですが、
小田原は坂道と言うより、山ですから三段ギヤでも難しいです。
一日千円でも良いですから、電動アシスト自転車でないと。
初め5泊の予定でしたが、足りなくて一日増やしましたが、それでも回りきれませんでした。
回れなかった国府津は日を改めて来ようかなと思っています。 【小田原の旅終わり】
私は、阿弥陀寺と早雲寺を訪れたかったのです。
朝食は、バッフェスタイルです。おかずの種類は少ないですが私には十分です。
私の定番、果物とヨーグルトは無いのでスーパーで買って来ました。

チェックインを済ませ、荷物をホテルに預け、少し早めに出ました。
まず、ホテルの近くで行き忘れた善光寺 笠守稲荷を訪れました。


箱根登山鉄道で箱根湯本に向かいました(300円)。

箱根湯本駅と周辺はきれいになっていました。箱根北原ミュージアム(テレビのなんでも鑑定団出演者・北原照久さんが作った)



フォレストアドベンチャー(アスレチェック) 阿弥陀寺への入り口 茶の花




阿弥陀寺(あじさい寺)への参道 箱根湯本駅から急勾配の険しい坂道、歩くこと20分弱、汗だくです。






本堂[私の写真は失敗でした。引用です。] 清らか観音



皇女和宮葵の御堂 もっちゃん観音「もっちゃんのおへそはお母さんの顔」



箱根湯本駅に戻り、反対側に
駅前のカッパ天国温泉



健脚向きの山道[左側のくねくねした非常に険しい山道]を登りました。
小田原馬車鉄道落ち合橋跡


早雲山・臨済宗 本堂と庭園は工事中で見られませんでした。


北条五代の墓 開山堂


早雲寺惣門(薬医門)



正眼寺(臨済宗) 大仏(初めは入生田の紹太寺にあったものだそうです。)


帰りは一般道にしました。旅館の送迎バス 箱根郷土資料館


あじさい橋

電車で入生田駅に向かいました。 生命の星・地球博物館[シニアは100円でしたが入りませんでした。]


山神神社 紹太寺・黄檗宗


紹太寺本堂 永代供養塔



稲葉氏一族に墓への参道は360余段の階段と坂でとても険しいです。


透天橋 伽藍跡(広い伽藍があったようです。)


石牛路 開山の鉄牛和尚寿塔 長興山の枝垂桜(樹齢300年を越えるそうです。)



稲葉氏一族(1632~1685年間小田原城の城主)


かなり広い伽藍と霊屋があったようですが、今はすっかり寂れ、一帯はミカン畑です
昔日の華やかな面影は全くありません。 ここでお昼を食べました。
ここから歩きました。

初めて気づいたのですが、電車の線路の南側に東海道が道があるのですね。
「箱根の山は天下の険」、とはよく言った物です。
山を迂回し海沿いを行けば大変な遠回りですし、海岸沿いも平らなところは少ないのです。
宝泉寺・臨済宗


萬松院・曹洞宗 萬松院庫裏





小田原道祖神・風祭一里塚 妙覚寺・日蓮宗 淨行菩薩



風祭駅 こんな寂しい表示が[お金を置かないで野菜を持って行く人が増えているそうです。]


鈴廣のかまぼこ博物館[無料です。] かまぼこ作りの体験もできるようです。





蒲鉾板に書かれた絵 藤子不二雄 林静一 尼子騒兵衛 ちばてつや




サトウサンペイ 片岡鶴太郎 八代亜紀 さかなくん




ここまで昼前には終わるだろうと思い、続いて国府津駅に出て少し歩こうと計画していました。
ところが距離の計算違いをしていたようで、さらに急勾配な山道なので大変時間がかかりました。
ここで今回の旅を終えることにし、帰ることにしました。
ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取り、14:24の東海道線で帰りました。
今日のお目当て、阿弥陀寺に行くのは簡単ではありません。良かったです。
でも、写真は失敗し、ピンぼけでした。
早雲寺は、工事中で本堂を見ることはできませんでした。
しかし、小田原番外の箱根は楽しく良かったです。
箱根は温泉や美術館だけではないです。
小田原や箱根は何回も来ているのですが、お寺にスポットを当てて歩いてみるとこれまでとは違った趣です。
海岸沿いでは、日蓮宗のお寺が多かったようにように思います。
城下町ですから曹洞宗や臨済宗もお寺も多かったですが、時宗と黄檗宗の珍しいお寺もありました。
非常に大きなお寺や神社はありませんでした。
小田原・北条氏が秀吉・家康によって滅ぼされたことと関連があるのでしょうか。
北条氏滅亡後も小田原城もいろいろな歴史を辿ったようです。
明治の廃城後は、売却され、城趾は地方自治体に払い下げられ、広大な敷地が維持され、
今も整備が続けられています。
鎌倉と小田原は地勢が似ています。
高くはないが険しい山が海に迫り、平地は狭く、隣国とも山や川で隔たれています。
源氏や北条氏が頭角を現したのは、この地勢とは無縁とは思えません。
江戸の昔の呼び名は武蔵ですが、一つの豪族が広大な武蔵・江戸を支配することは到底できません。
最も、戦国初期の豪族・大名が支配できる範囲は予想以上に狭かったはずで、
その後それまで山城だったのが、戦国大名が力をつけ平地の城下町を造るようになって、一挙に巨大化して行きました。
ヨーロッパの都市国家、城塞市などはもっと狭く、小高い丘の上高い城壁は恐る恐るという感じで、
その中の住宅は密集し、道路は狭く、入り組んで迷路のようでした。
最近の日本は市町村の合併で、一つの市がやたら広くなってしまい、昔の地勢のリアリティ観が失われているように思います。
また、日本の城下町の多くは、アメリカの空襲でほとんど消失し、道路も広く再建され、昔日の面影は薄らぎました。
小田原駅付近のショッピング街は、西友が入るショッピングモールやドンキホーテなどが隣接し、
とても活気があり、競争が激しいらしく物価も安いように感じました。
また、蒲鉾などの土産物店や魚屋や八百屋などの小売店も多く、「シャッター通り」ではありませんでした。
小田原城址公園内にレンタサイクルがあります。一日300円(保証金1000円)と安いのですが、
小田原は坂道と言うより、山ですから三段ギヤでも難しいです。
一日千円でも良いですから、電動アシスト自転車でないと。
初め5泊の予定でしたが、足りなくて一日増やしましたが、それでも回りきれませんでした。
回れなかった国府津は日を改めて来ようかなと思っています。 【小田原の旅終わり】