風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

大阪の旅②/「糟谷集会」参加と中之島公会堂など

2020年01月18日 | 国内旅行

中之島公会堂

泉布観

扇町公園、後ろは関西テレビが入るビル
1月13日
午後1:30から『権力犯罪を許さない 忘れない 糟谷孝幸君追悼50周年集会』が大阪PLP会館で開かれます。
今回の大阪の旅はこの集会参加に付随する付録のようなものです。
午前中、私は集会に参加する前に周辺を散策しました。

武田道修町ビル                  神農さん(少彦名神社)
 
                         五代友厚と大阪取引所
 
適塾(緒方洪庵旧宅)                 緑の歌像
 
日銀                       大阪市役所、現代の「大阪城」、巨大な権力を感じます。
  
中之島図書館                   東洋陶磁器美術館
 
こども木の森                   天満教会    
 
商店街
 
神繁昌亭(上方落語の寄席)              大阪天満宮
 
 
                         法清寺
 
法清寺あたりから寺町通り、緑色部分、多くの寺々は門が閉まっていて入ることができませんでした。

法界寺・浄土宗                   妙香院・浄土宗
 
蟠龍寺・浄土宗                   堀川戎神社
 
成正寺・日蓮宗、大塩平八郎墓所           妙福寺・日蓮宗
 
龍海寺・緒方洪庵墓所                瑞光禅寺・妙心寺派
 
龍海寺                      天満橋の公園
 
チャーチモナムール                彫刻の小径
 
坪田昌之さんらの彫刻               ART COURT
      
旧桜宮公会堂                   泉布観(貨幣という意味)
 
                         大川と桜宮橋
 
造幣局は休館でした。 大川を見ながら昼食を食べました。
 集会会場PLP会館までのんびり歩きました。
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『権力犯罪を許さない 忘れない 糟谷孝幸君追悼50周年集会』がPLP会館で行われました。140名が参加しました。
同時代を共に生きた一人として私も参加しました。集会後、扇町公園で献花しました。
 
もう半世紀も前になります。当時、ベトナム反戦運動・全共闘運動が大きなうねりとなっていました。
1969年11月13日、佐藤首相がアメリカと沖縄の「処理とベトナム戦争の相談のため」訪米しようとしていました。
大阪でこの佐藤訪米反対の闘争が行われ、参加した岡山大学学生糟谷孝幸(かすやたかゆき)さんは機動隊の残虐
な警棒の乱打によって虐殺されました。21才の短い生涯を閉じました。
その後、「告発を推進する会」が結成され、46年9月大阪地裁で3警官の特別公務員暴行陵虐致死罪にかかわる付審判
審理が進められ、51年9月請求は棄却されました。毎年、糟谷さん追悼の墓参が行われてきましたが、50年の節目を
迎え、この集会が計画されました。
この集会で、フランス文学の海老坂武さんが記念講演をしました。海老坂さんは「時代の青春」と言いました。味わい
深い言葉で、言いたいことはわかりますが、危険でもと私は感じました。ナチス・ヒトラーもそしてトランプの熱狂
もある種、「時代の青春」とも言えると思うからです。同時に、「倫理の底にある記憶」とも言いました。海老坂さんは、
穏やかに、冷静にそして熱く時代を語りました。私は多くを共感しました。
集会の後、懇親会があり、懐かしい昔の友人と沢山お話ししました。ホテルに戻りました。  【1月13日終わり】


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