風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

深大寺・武蔵国分寺を参拝する

2009年12月05日 | ウォーキング
深大寺・武蔵国分寺を参拝した 12/4


かなり広範囲なので、バス・電車を利用した。
小田急バスは均一210円だが、一日フリーパスは500円で乗り放題である。
JR中央線吉祥寺駅からバスで深大寺に行った。

深大寺
山門                                本堂
  
元三大師堂

開山堂                               釈迦堂
 
福徳尊                            深沙大王堂
 
延命観音[石に延命観音が彫られている]  動物霊園  鐘楼と小松地蔵
  
本坊                            そば守観音[これはやり過ぎ]
    
                                水生植物園
 
三鷹駅行きのバスに乗り、八幡前で降りた。

禅林寺                               本堂
 
森鴎外の墓      その前に太宰治の墓   森鴎外の碑が                            境内に伏見稲荷
   

八幡大神社[禅林寺の隣]                     法専寺
   
八幡神社境内で昼食を取り、法専寺まで歩き、三鷹駅まで歩いた。
三鷹駅からバスに乗って龍源寺へ。

龍源寺                            近藤勇の墓

バスで三鷹駅まで戻り、電車で西国分寺駅へ。そこから歩いて武蔵国分寺へ。

武蔵国分寺
仁王門

武蔵国分寺薬師堂                       薬師堂の裏
 
楼門                             本堂
 
  本堂境内は万葉植物園になっている お鷹の道遊歩道           八幡神社
       

武蔵国分寺跡                    金堂址

中門址                                 礎石
   

都立武蔵国分寺公園

西国分寺駅まで歩き、そこから武蔵野線で帰路についた。

国分寺には小学生の時行った事がある。
だだっ広い所に土器か瓦のような欠片が散乱している風景が記憶にあるのだが、
それが国分寺跡だったのか違う場所なのかは定かではない。
国分寺は千年以上も前に作られた。
当時、各地の国分寺を結ぶ大幹道の多くは直線的に作られていたというテレビ番組があった。
それもかなり広い道路だったそうだ。
そうした昔の道がそのまま使われず、地下に埋もれたり、全く関係ない宅地になったのはどういう事情に因るのだろうか。
人々は、その一帯からいなくなり、荒野になり、また人々が戻ってきたのだろうか。

武蔵国分寺の境内は360m四方でかなりの広さだったという。
その広さは今日もかなりそのまま残っているようだ。
今ではただの草むら、グラウンドである。
1300年中頃に新田義貞の鎌倉攻めの時焼失した。
今、当時を偲ぶものはほとんど残っていない。
再現の工事が行われていた。
この地に家が建てられず残っていたのも不思議である。
金堂址の礎石で子どもが遊んでいた。
武蔵国分寺址の近くに建つ現在の国分寺は江戸時代のものである。
こちらは雑木林の中にあり、薬師堂は小高い丘の上に立つ。


私は学生時代まで中央線沿線に住んでいたのだが、当時の面影は全く残っていない。
40年も立つのだから当然である。
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