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風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

猪苗代湖・五色沼自然探勝路を歩く

2011年09月12日 | 国内旅行
9月8・9日、猪苗代湖・五色沼自然探勝路を歩いた。
 
9日は、私の誕生日で、妻が小旅行を計画してくれ、楽しんだ。
福島への旅は、ささやかながら震災へのお助けになればとの思いで福島に行くことにした。
福島県にはあまり知られていないかもしれないが温泉が少なからずある。
また、スキー場も多くあるようだが、寒さ・ウインタースポーツを好まない私はスキー場に行ったことはない。
私は何度か福島、会津地方を訪れたことがあるが、妻はまだ無い。
王子駅から10時45分のJR高速バスに乗ると、羽生・阿武隈川PAで休憩し、14:25にはJR猪苗代駅に着いてしまう。
高速道路はとても空いていた。バスの座席はゆったりし、車内にトイレも着いている。
時間通り出発し、予定通りの時間に着く、トイレの心配は皆無と日本の交通システムは本当に「素晴らしい」。
昼の早割・インターネット申込のバス代は、一人なんと往復で4680円。

猪苗代駅
   
駅前広場(この町は野口英世が生まれた町)
 

路線バスで猪苗代湖遊覧船の出る長浜に行った。乗客は4人、バス代は440円だった。 磐梯山
 
遊覧船は1000円、乗客は30人ほど、30分ほど湖を遊覧した。           稲が豊かに実っていた。
 
野口英世記念館(バスの中から)                  野口英世生家
 
バスで、猪苗代駅まで戻り、そこから宿まではタクシー(1600円)
はやま温泉/ペンション・コージーイン
 
食堂                                  露天風呂
 
檜風呂[温泉です。硫黄臭が無く、つるつるになります。窓から湖と稲田が見えます。] ペンションから少し登ると湖と稲田が見えます。 
 
各部屋にバスが付いています、その他に無料貸し切りできる温泉垂れ流しの露天風呂と檜風呂があります。
泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉、肌に優しく体が芯から温まります。硫黄臭はしません。
効能は、皮膚病、婦人病、火傷と言われます。
はやま温泉 コージーイン
〒969-3102 福島県耶麻郡猪苗代町葉山7105-356 TEL 0242-62-3470 FAX 0242-72-1450
JR磐越西線・猪苗代駅/磐越道猪苗代磐梯高原ICより車で7分
このペンションはお薦めです。
ペンション・コージーインの楽天のホームページは、コージーイン クリックして下さい。
コージーイン独自のオリジナルホームページは、コージーインHP をクリックして下さい。
楽天トラベル経由の申込、早期特割値段で1泊9450円でした。
食事も美味しかったですが、穏やかなご夫婦の人柄が素敵で、私たちよりだいぶ年下のご夫婦でした。
庭のローズガーデンも素敵でした。
学生時代のスキー好きが高じて、約25年前にこの地に移り住んだそうです。お名前を聞くのを忘れました。
近くに名所・観光地はないですが、裏磐梯スキーゲレンデはすぐ近くです。
この日、客は私たちだけでした。

夕食は豪華で、美味でした。私たちにはちょっとボリュームがありすぎでしたが、全部頂きました。
ハーフボトルワインを二本飲んでしまいました。
オムレツ                                  野菜たっぷりスープ
 
クラブ入りコロッケ              豚肉の煮込み             手作りデザート(私は一つで十分でしたが)、その他に手作りパン
  
私は食については淡泊で、仏・伊・西を旅した時、高級レストランは入りませんでしたが、本場で食べたよりはるかに美味、繊細でした。
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二日目
朝食

急ぎ旅ではないので、朝食後、ご主人から震災のお話を聞きました。
直接的被害は無かったそうですが、感慨はいろいろだそうです。
戊辰・会津戦争の影響・トラウマは現在も色濃く残っているお話が印象的でした。
薩長政府の会津に対する仕打ち・制裁はほとんど復讐と言っても良いほどで、「僻地」へのお国替えは過酷でした。
家老・河井継之助で有名な長岡藩や会津は豊富な稲作でかなり裕福だったことが「自立志向」が強く、それが反薩長の一因と私は思うのです。
福島県は沿岸部の浜通り、中通り、そして会津地方の三つに分かれ、気候が著しく異なるという。
気候から来ることと、江戸時代の藩での分断・閉鎖がそれぞれの地域で独特の風習や生活様式を生み出し、
ユニークな土着感情を醸成したとも言われます。
都会人の我々には、コミュニティ・共同体感情はもうほとんど希薄で、彼らの思いはなかなか理解しづらいのですが、
彼らには、今日に至ってもそれが残り、集団移転を希望する根にあるようです。
おそらく言葉遣いや、食やその他の日常の仕草や慣習などにも色濃く残っていて、微妙に違っているのだろうと思う。
今回の震災で、会津に浜通りから多くの人々が避難して来たが、そうした事情も被災者には重くのしかかっているそうだ。
都会に住む我々には、結婚や職場や学校や住宅の価格などで自分の住居を変えることはそんなに難しいことではないのだが、
長い年月で培われた人々のこうした生活感覚を変えるのは簡単ではないはずだ。
こうした人々の感情の機微を想定しない機械的復興では、人々の第二次不幸を招くのかもしれない。

ご主人が車で、五色沼入り口まで送ってくれました。
9時半にペンションを出て、五色沼入り口に着いたのは10時でした。
毘沙門沼 雲が磐梯山・火口壁を覆っています。       人工的魚は棲めるようです。 
 
 
五色沼はアルミニウムや珪酸などからなるアロフェンにより緑青色をしています。
磐梯山の噴火口から五色沼へ流れ出る酸性の水は温泉のアルカリ成分によって中和されますが、金属を含むので魚には棲みづらいようです。
赤沼 [赤沼の周囲の草木は赤い鉄錆色に染まります。]    みどろ(深泥)沼
 
竜沼
 
弁天沼
 
瑠璃沼                                青沼
 
これも青沼[水面近くの白いのは花ではなく、葉が白く変色しているようだ。]
 
柳沼
  
五色沼自然探勝路の道は、とても整備されています。
ぬかるみには、木製の渡り廊下があり、大岩には階段が掘られていました。
これらの資材は、おそらく人力=歩荷(ぼっか)=強力が運んだのだろうと感心します。
エベレスト等の登山にシェルパが欠かせないように、日本の各地の歩荷の足跡も偉大です。
    

桧原湖
 
土産屋の蛙の置物、棒で背中を転がすと「ころころ」と蛙の鳴き声のような音がする。
桧原湖畔でのんびり湖を眺め、近くの食堂で喜多方ラーメンをつまみにビールを飲んだ。
暫く時間をつぶしたが、帰りの適当なバスがないので来た道を引き返すことにした。
アップダウンは少なく小さく、気温もそれほど高くなく木陰で、のんびり歩いても1時間半ほどなので。
子どもが小さい時は、あちこちの山に出かけたが最近はめっきり減ったね、です。
猪苗代駅からのバスの時間までだいぶ時間があったので食堂でビールを飲んで時間をつぶすことにしたのだが、適当なつまみが無く、
漬け物だけなのでした。会津は漬け物の名産地なのに出て来た漬け物は"粗悪品"でした。
私たちの後に入ってきた二人の女性外人は、日本語がぺらぺらで、枝豆を注文したが無く、やはりビールとお新香でした。
彼女たちは私たちと同じバスでした。JRキオスクで夕食用のおにぎりを買ったのも同じでした。
王子駅でバスを降りる時、運転手に向かって「鈴木さん、ありがとう」と大きい声で言っていました。
陽気なお嬢さん達でした。

この旅で、気になったことは、猪苗代駅付近の過疎化、です。
夏休みが終わったばかりとは言え、観光客の少なさです。五色沼、桧原湖はそこそこ観光客がいましたが。
そして、何より原発事故の影響です。
原発周辺では、人々は生活できないことは明確なのにそのことを与野党とも言わないことです。
そのことを政争の具にしてはなりません。
ましてそう遠くない時期に戻ることが出来るなどの幻想は断じて言ってはなりません。
復興財源についても政争してはなりません。
多くの国民は、震災復興についての応分の負担(=増税)を引き受ける気持ちが十分あります。
無駄を削って等という悠長なことを言っている余裕はありません。
財政赤字解消、社会保障と税制、小さな政府か大きな政府かなどこの時期に、与野党で合意できれば申し分ありませんが、
それをひとまず棚上げしてでも、5年・10年の時限的措置でも構わない、復興のための措置を早期に作らなければならない。
原発を推進し、財政赤字を拡大してきたのも歴代自民党のなのですから真摯に反省し、彼らは揚げ足とりではなく、協力するべきです。
共産党・社民党も大衆への増税反対を言うならば、増税無しに復興できる展望を明示するべきです。
とまれ、十分楽しみました。

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