
モホーク族(アメリカインディアンの一種族)の女性・ライラ、と白人女性・レイの二人の母親の物語。
ライラは、夫を亡くし、子を義理の母に奪われ、保留地のトレイラーハウスで暮らす。
レイは、ギャンブル好きの夫に新しいトレーラーハウスの代金を持ち逃げされてしまう。
アメリカとカナダの国境の川は冬に凍る。
二人は、アジアからの不法移民を1人当たり1200ドルでアメリカ側に密入国させる「裏仕事」に手を染めている。
最後と決めた仕事で、二人は失敗する。
警官は、保留地内では手出しができない。
モホーク族の部族議会はレイかライラの“どちらか1人”が警察に出頭することで事態の収集を決めた。
貧困が重く、悲しい。
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原題: II y a longtemps que je t'aime
受賞:ベルリン国際映画祭・エキュメニック賞/セザール賞・助演女優賞、新人監督賞/英国アカデミー賞・外国語映画賞/
ヨーロッパ映画賞・女優賞/ロンドン映画批評家協会賞・英国女優賞
ジュリエットは、殺人罪で15年の刑を終え、出所する。
何故彼女が自分の息子を殺したのかは、映画の最後で明らかにされるのだが、周囲がそれを知らないなんてストリーは無理がある。
裁判や新聞などでそのことが明らかにされないなんてことは考えられないからだ。
その謎解きと、彼女が妹・レアとその家族と友人に支えられて、再生・生きる意味=「私はここにいる」を見いだすのがこの映画の主題である。
その過程を、ゆっくりと描いていくのは良いのだが、ちょっと間延び過ぎの嫌いがある。
スイス、ベルギー、オランダなど一部ヨーロッパでは安楽死=尊厳死は認められているそうだが、難しい問題である。
元医師のジュリエットが痛みに苦しむ子どもに対して、「実際は何もできない」、と言っていたが、
それは真実かもしれないが、それは物事の反面でしかないかもしれないと私は思う。
「実際には何もできない」かもしれないが、人は様々なことを試み、格闘するのだ。
ジュリエットは、アルツハイマーの母親に会いに行く。
母親は、誰が来たのかわからないので、「煩わしいから帰って」とフランス語で叫ぶ。
が、ふと、「ジュリエット、学校から帰ってきたのかい」と英語で穏やかに言う。
それはほんの一瞬の出来事なのだが、彼女は再びフランス語の現実の世界に戻っていく。
こうしたことは事実なのか私にはわからないが、おもしろいなぁと思った。
『フローズン・リバー』は貧しさの世界、『ずっとあなたを愛してる』は金持ちの世界と言ってしまうと言い過ぎであろうか。
フランス語の台詞の美しさを感じた。