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風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

79回ピースボート、ストックホルム(スウェーデン)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
5月13日(月) 1週間筋トレやストレッチを休むと筋力が少し落ちたのかダンベルがとても重かったです。
5月14日(火) 北ヨーロッパに向かうにつれて気温が下がり、昼が長くなって行きます。日の出は5時過ぎ、日の入りは何と9時半頃です。昨日今日と天候は晴れたり雲ったりですが冷たい強い風が吹き、ウォーキングの際は手袋が必要です。夕方8時40分頃シェイクスピアのハムレットで有名になったクローボーン城(デンマーク) 前を通過しました。

クルーズも半分近くなり、今晩はディナーパーティでした。
    
5月15日(水)  今朝は早朝から冷たい強風が吹き冷たい雨でした。この旅でTOEIKの勉強を受講しました。GETと一緒に受講すると安いこと(確か+1万円)と最後に公式テストを受講することが出来るからです。TOEIKはパリ旅行のため2回欠席したので今日初めての授業でした。
5月16日(木) ストックホルム  

4時過ぎピンク色の朝焼けでした。早朝7時に着岸しました。下船まで2時間以上もあるのでベッドでうとうと。日の入りは10時近くです。フランスのルアーブルを過ぎてから洋上は強く冷たい風が吹き時々雨でまるで冬のようでした。

『ストックホルムとドロットニングホルム宮殿観光』のツアーに参加した。9:30バスで出発し、ストックホルム郊外にある世界遺産のドロットニングホルム宮殿を見学しました。町の風景(車窓から)

ストックホルム中央駅

 市庁舎
 
 高級マンション街
   
ドロットニングホルム宮殿
 
宮殿内は写真撮影出来ません。 庭園に入りました。 背後からの宮殿 庭園は広くきれいでした。(ミニヴェルサイユ宮殿の庭園という感じ)

戯れにセルフタイマーで撮りました。モニュメントアイランド 教会 土産屋・トイレ

車窓から

黒海に面するフィエルガタン展望台より国会、旧市街地などを展望

ガムラスタン旧市街地散策 王宮

大聖堂 大聖堂内部(ユーロが使えました。4ユーロ)

ノーベル博物館 ノーベル博物館広場 ここで30分の自由時間があり、大聖堂の中を参拝し、付近を散策しました。貴族の館 リッダーホルム教会

ドイツ人教会   砲弾の痕とか(でも真偽のほどは?だそうです。)

人一人がやっと通れる路地 鉄の広場 有名なレストラン(Trotzig)らしいのですが、すごくしょっぱいハンバーグでした。

ランチ後市内を30分ほど自由に散策 商館跡  フィエルガタン展望台
 
車窓から
   
ヴァーサ号博物館  1628年の処女航海の時、ストックホルム沖でバランスを崩して横転沈没し、1956年に引き上げられました。低温の海中に沈んでいたため原形を残し、貴重な資料を提供しているそうです。

ツアーでは仕方ないことですが、この博物館に1時間半以上でした。北方民族博物館(ヴァーサ号博物館隣り、時間が無く入りません。)

車窓から

ストックホルムの帰船リミットは17:30分、夕方18時頃には出航しました。 船上から

ストックホルムの町は穏やかでした。ツアーガイドの話:「2週間前まで雪が残っていた、一挙に草花が芽吹き木々が緑を取り戻しました。人々はこの春の到来を一日千秋の思いで待っていた。寒さは仕方ないがどんよりよりした暗さがイヤだ。人々は争うようにして陽を求め外へ出る。」私はツアーを申し込みましたが、自由行動も十分可能でそれも良かったかも知れません。ツアーガイドは「高齢社会がもたらす福祉国家の『金属疲労』を簡明に紹介してくれました。ノルディック諸国は高福祉社会でです。約25%の消費税がその財源です。高齢者より若年層が多い人口構成では高福祉はまだ可能なのですが、高齢者が多くなるとそれは難しくなります。更に、若年層の雇用率の減少・失業者の増大も深刻な問題です。財源が豊かで高齢者がまだ少ない段階では高齢者は施設に入所出来、高福祉を享受できたのですが、それも難しくなり、在宅ケアなど費用が安いシステムを変えたいのですが、それも簡単では無い。地方の過疎と人口の減少移民の増加に伴う小犯罪の増加、その両者に関わる住宅・仕事不足はかなり深刻」とガイドしました。 ストックホルムの町は私が行ったことのあるフランス・イタリア・スペインと比べると通りは段違いにきれいです。ゴミはほとんど落ちていません、動物の糞はありますが少ないです。でも私はなぜかパリやローマやマドリッドの混雑・猥雑さの方が私は好きで親近感を覚えます。私は北欧の町のきれいさはなぜか「無機質」に感じるのでした。この小旅行が自分の足で自由に歩けないツアーなので、そう感じたのかもしれません。特別に郊外の観光地に行かないなら2泊すればゆっくり町歩きを堪能できるでしょう。するとそれとは異なる思いを感じるかも知れません。【ストックホルム編終わり】
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79回ピースボート、パリ5(パリ市→ル・アーブル)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
5月11日(土) モンマルトル、ルーブル宮、アンヴァリッド、マルス公園(エッフェル塔) 
モンマルトルの丘からパリの町を

チェイルリー公園(ルーブル博物館のある公園)から、コンコルド広場のオベリスクと凱旋門

軍事博物館とアンヴァリット
 
パリの最後の日、予備日として残していました。今日一番大事なのは、ルアーブル船舶代理店に電話して船の着岸日時や場所を確認することです。午前中は、モンマルトルの丘を歩きました。メトロのラマルク・コーランクール駅で降りました。駅では、「スリにご注意下さい」と日本語・コリアン語などでアナウンスがありました。
サクレ・クール聖堂

サン・ピエール・ド・モンマルトル教会 サン・ピエール・ド・モンマルトル教会の裏 モンマルトル博物館
 
アトリエ洗濯船跡  ラデの風車

アトリエ洗濯船跡、ラデの風車 サクレ・クール聖堂の下 マックス・フルニー素朴派美術館 サン・ヴァンサン・ド・ポール教会
 
メトロのポアンニエール駅を地図で探していると男性が話しかけて来ました。困っている外人を助けたいと思ったようです。メトロで一度ホテルに戻り、船舶代理店に電話しました。「もう少し大きな声でゆっくりお願いします。」の一言が効いたようで何とか英語で話せ、手続きが終わりました。ランチを食べ、少し昼寝して出かけました。ルーブル美術館の近くのサン・ジェルマン・ローセロワ教会に行こうとメトロに乗ったのですが、違う路線に乗ってしまいました。引き返したのですがまた間違えてしまいました。小1時間かかってやっとお目当てのポンヌフ駅に到着しました。
ルーブル宮

カルーゼル凱旋門とエッフェル塔  ンコルド広場のオベリスクと凱旋門((ルーブル博物館のあるチェイルリー公園から)

パレ・ロワイヤル パレ・ロワイヤル中庭 旧国立図書館 サン・ジェルマン・ローセロワ教会
 
アンドレ・マルロー広場 コメディ・フランセーズ

この後グラン・パレやプティ・パレも訪れるつもりでしたがまたメトロを間違え、時間が無くなり止め、ナポレオンの墓所=アンヴァリッドを訪れました。軍事博物館のチケット売り場で聞くと軍事博物館のチケットとサン・ルイ教会入場のチケットが必要でした。軍事博物館の脇を通って暫く進むと、教会の入り口がありました。(確か8.50ユーロ)

時間がないので軍事博物館は入らず、ドーム教会=サン・ルイ教会だけに入りました。ドーム教会=サン・ルイ教会
  
ドーム教会を入って地下一階にナポレオンの巨大な棺が横たわっています。ナポレオンの棺 ナポレオンの遺言「余は、余がかくも愛したフランスの市民に囲まれて、セーヌ川のほとりに憩うことを願う。」との碑があります。 ジョセフィーヌの棺  軍事博物館、ドーム教会、サン・ルイ教会をまとめてアンヴァリッドと思ってかまわないと思います。
 
前回パリに来た時は、ここを訪れることが出来ませんでした。そこから歩いて、シャン・ド・マルス公園に向かいました。旧陸軍士官学校 公園内の平和の壁

マルス公園(エッフェル塔) には家族連れや恋人たちが芝生の上に寝そべって集っていました。エッフェル塔のエレベーターチケットを求める人々 エッフェル塔を作ったエッフェル

パリは犬の糞の町、芝生の上はたくさんの糞が散らばっています。エッフェル塔の真下を通りました。折しも今日は土曜日、夜のライトアップを待ってもの凄い人出です。路上パフォーマー
 
私はスーパーで夕飯を買い、ホテルに戻りました。明日はパリともお別れです。
5月12日(日) ル・アーブル ル・アーブル港で船に合流します。日本で10:50発、12時:50発の予約を申し込んだのですが、午後の14:50の電車しか予約できませんでした。過日、ルーアンに行った時、ローカル線は座席指定はなくどの電車にも乗れると知りました。この日は日曜ですが平日(10:50発、12時:50発)と同じダイヤだと思い込み、午前中の電車に乗れると思っていたのでした。10時ちょっと前にホテルを出、地下鉄でサン・ラザール駅に向かい、10:15分頃駅に着き、電光掲示板を見たのですが、10時台、12時台はないのです。駅のインフォメーションで聞くと日曜は、14:50しか無いのでした。こうして全ての事情を察した私はやっと観念したのでした。今更、荷物を預けて付近を散策する元気もなく、駅で4時間ちょっと待つことにしました。気温は低く寒くなり、ヤッケや雨具のズボンをはいて、ベンチで『ローマ人の物語』の最終章を読んだのでした。途中用意して行ったサンドイッチを食べたり、2回ほど有料トイレ(50セント)を利用しました。14:35分頃やっとホームが発表になりました。電車はかなりの混んでいるのに、多くのフランス人は、荷物を座席に置いて占領です。電車の中でお八つをいただき、ルーアンを経て予定より4分遅れでルアーブルに着きでした。疲れた私は、駅を出ると写真も撮らずにタクシーに乗り込みました。10ユーロでした。
サン・ラザール駅(パリ北駅) ル・アーブル港ターミナル
 
船に着くと乗船手続き後、荷物はクルーが運ぶと言います。なんとポーターは、私のハウスキーピングのエリアスでした。「ミスターケイ」と言って、荷物をセキュリティに運んでくれました。帰船リミットは20:00ですので、少しの時間ならルアーブルの町を散策できたかもしれませんが、私は出かける気分ではありませんでした。のんびり荷ほどきをして、船上から港の写真を数枚撮っていると9階デッキの清掃のネストルが遠くからにこにこしながら歩き寄って来て、「ハイ・アミーゴ」とハグしました。フランスのお土産をネストルへ渡し、8階リドデッキでカレーライスのおかずでビールを飲み、その後4階レストランで同じカレーライスの夕食を食べました。

レストランでは顔なじみになったクルーが、「久しぶり、パリはどうでしたか?」などと声をかけてくれました。バルセロナとモンサンミッシェルは行ったことがあるので今回はパスし、クルーズを離脱してフランス・パリの小旅行を楽しみました。今回は、ルーブルやエッフェル塔やノートルダム聖堂などは中に入らず、パリ近郊の小都市の街歩きを楽しみました。ミラノからパリへ向かう鉄道では、チューリッヒでの乗り継ぎに問題があり、薄氷ものでした。大まかな計画だけで地下鉄などを使って街歩きを楽しむがいつもの私の旅スタイルです。今回は、鉄道も使うので、鉄道駅へのアクセスを重視してホテルを選んだのですが、もう少し値段が高くても冷蔵庫付きで複数の地下鉄ラインが通っているロケーションの方が良かったかも知れません。パリはまるで日本の梅雨のように毎日雨模様でした。一日中降るのではなく、降ったり止んだりでした。気温は予想していたより低くしのぎやすかったです。レストランは使わずスーパーで買ってホテルで食べました。果物やトマトなども一つでも量り売りで買うことが出来ますし、ワインなどはとても安いです。郊外に出かける時はサンドイッチや果物のお弁当を持参しました。市内では出来るだけホテルに戻って食べ、少し昼寝をしました。日本では盗まれる心配が無いので気楽に駐輪して中を観光したり写真を撮ることが出来ますが、パリではそうも行きませんので細かい観光には向いていないかも知れません。インターネット事情は良かったのでブログを発信したり、溜まっていたメールも整理できました。地図を落としたり、メトロを間違えたり、食器を準備しなかったりなど小さなミスを沢山しましたがとても楽しかったです。ホテルで真夜中非常火災装置器が鳴動したりのハプニングもありました。心優しい何人かのフランス人とも巡り会えました。2009年私がフランスを訪れた時のブログは、このページの左側の柱にある【カテゴリー】の『フランスの旅』に載っています。 【パリの項終わり】
【番外】


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79回ピースボート、パリ4(ルーアン)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
5月10日(金) ルーアン

ルーアンはセーヌ川河口の町でローマ時代からの歴史を持ちノルマンディー公国の首府でした。旧市街には木組みの家が並び、15世紀ジャンヌ・ダルクが火刑にされた町です。パリ・サン・ラザール(北)駅9:37発の電車でルーアンに向かいました(片道22.80ユーロ)。11:49ルーアン着 ルーアン右岸駅

教会は12時から14時までお昼休みなので、まず教会以外を訪れました。ジャンヌダルクの塔、1.70ユーロ。
       
ルーアン美術館(入りませんでした。) 裁判所 陶器美術館 大時計 時計の脇と天井
 
名がわからない塔  劇場 

セーヌ川に架かる橋の下で雨を避けて持参したお弁当を食べました。時折雨が降りかなりの寒さでした。歩いていてこのプレートを見ました。

その後、コルネイル博物館、ジャンヌ・ダルク博物館を探したのですが場所はわかりませんでした。ジャンヌ・ダルク教会 ジュンヌ・ダルク終焉の地標 ジャンヌ・ダルク教会の中

教会に隣接した市場  木組みのレストラン

ルーアンの大ノートルダム大聖堂
    
サン・マクルー教会 サン・マルクー中庭(入り口がわかりづらいのですが、中庭は広く木組みの建物、どくろの彫刻やミイラ状の遺物が。)  サントゥアン教会,横・表、裏から

サン・ヴィヴィアン教会 サン・ニカイス教会  小さい教会・ミサが行われていました。 ベネディクタン・ド・サン・ルイ教会
 
自然史博物館・古代博物館  サン・ロマン教会
  
15:59発の電車に乗って帰りました。17:40パリ北駅着、午前中は冷たい雨。ルーアンは落ち着いて静かな町でした。落書きも何故か品がありました。ヨーロッパの郊外の都市の通りはゴミが落ちて無くきれいです。ジャンヌ・ダルク教会はユニークな形でした。【ルーアン終わり】
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79回ピースボート、パリ3(デジョン)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
 5月9日(木) ディジョン パリの南西、TGVで2時間、かつてブルゴーニュ公国の首都だったディジョンを訪れました。

人口16万人ほどの小さな町です。駅前の大通りを暫く行くと、ダルシ広場です。確かこれはメトロのサン-ラザール駅(鉄道の北駅と連結) ディジョン駅 ダルシ広場のよくわからないモニュメント(便座)

ギョーム門 木組みは北フランス地方の建物の特徴とか 観光スポットの方向を示す路上の案内マーク

ノートルダム教会

壁にあるフクロウ(左手でなでると幸福になるというのですっかりツルツル)   

サン・ミッシェル教会

市庁舎 グランドシアター Mvse rvde
    
ブルゴーニュ大公宮殿 シャボン玉発生器
  
サン・ジャン教会 教会裏は劇場
 
サン・ベニーニュ大聖堂
      
ここに隣接する考古学博物館は素敵でした。入り口がよく分からないのですが中は素晴らしいです。国籍を聞かれるだけで、入場は無料、写真撮影もOK、リュックは前にしてとだけ言われました。
 
こんなに素晴らしい博物館が無料でしかも写真撮影もOK、でも入り口がわかりづらいのが残念でした。
  
この後、モーゼの井戸(シャンモル修道院)に向かいました。場所がわからないので自転車に乗っているご婦人に聞きました。でも分かりません、すると先程のご婦人とばったり再会。彼女は自転車を降りて近道はこちらと案内してくれました。現在は病院の敷地内にあるそうで、入り口のガードマンに聞いてくれました。でも今日は閉鎖中でした。旅先のこうした出会いに勝る喜びはありません。駅に戻り、16:59発の電車を待ちました。(行きは1等で86ユーロ、帰りは2等で50ユーロでした。) リヨン駅まで行って、明日行こうと思っているルーアンへの切符を買いました。切符には往復の時間が印字されていますが、座席が指定されていません。職員に聞くと、ローカル線なので普通車で座席指定では無いので電車でも乗れると言うことでした。、駅は北方向なのでリヨン駅では無く、サン・ラザール駅だと何度も親切に教えてくれました。今日はとても優しい駅員さんと初老のご婦人と巡り会えとても良かったです。 【ディジョン終わり・続く】
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79回ピースボート、パリ2(ヴェルサイユ)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
5月8日(水) ヴェルサイユ宮殿 


今日は、一日ヴェルサイユ宮殿です。天気は雨模様。メトロでサン・ミッシェル駅まで行き、RERに乗り換えます。
 
RERは近郊国鉄です。メトロと相互乗り入れしていますが一度メトロの駅を出てRERのサン・ミッシェル・ノートルダム駅で切符を買う必要があります。まだ精算システムが整備されていないらしいのでメトロの切符のままRERに入場し、検札に会うと不正乗車と見なされることがあるそうです。地下を走っていたのが、シャンド・マルストゥール・エッフェル駅を通り過ぎた頃から地上に出ます。電車は右に大きくカーブを切ってセーヌ川の上を横切るではありませんか。ヴェルサイユ宮殿はセーヌ川を横切りません。違う行き先の電車に乗ってしまったようで、次の駅で降りて戻って乗り換えしました。今度は間違いなくヴェルサイユ宮殿行きでほぼ満員でした。ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅からヴェルサイユ宮殿までは歩いてすぐです。  ヴェルサイユ宮殿入り口
 
門を潜ると長蛇の列、列の最後尾に並んだのですがその列はチケット売り場で無く入るための入り口でした。外国の美術館や博物館ではチケット売り場と入り口が全く別々のことが往々にして多いです。30分ほどしてセキュリティチェックの場所に来て初めてそこがチケット売り場で無いことがわかりました。私はチケットを買うためにもう一度行列。私のように間違う人は多いのでしょう、職員は小さな紙切れをくれ、チケットを買って戻って来いと言います。そこから50メートルほど先にチケット売り場がありました。チケット売り場は空いていて並ばずに買うことが出来、トイレに入って入り口に戻り、先ほど職員がくれたの紙切れを見せると脇から入れてくれました。

宮殿内を見終わって少し晴れ間が出ていたのでベンチでお弁当のサンドイッチやバナナを食べ、しばらく休憩して、庭園内を『地球の歩き方』の参考コースに従って歩こうと思ったのですが、地図と実際が折り合わず途中からいい加減に歩きました。

ケレースの泉水 サトゥルヌスの泉水 水庭

アポロンの泉前から、大水路を臨む ベルサイユ宮殿方向 庭の半分ほどを見終わって、大運河手前のアポロンの泉に出ました。

ここから大トリアノン、小トリアノン、アントワネットの離宮に向かいました。まず、アントワネットの離宮 アントワネットと彼女の娘たちの有名な肖像がありました。小トリアノン 中は博物館です。 礼拝堂
      
昔のトイレ小トリアノン

王妃の村里は、離宮庭園内に当時のフランスの村里に似せて作られた人工的な物です。彼女は一説には庶民の生活に憧れプライベートな時間をここで過ごしたと言われますが、私には彼女の真実はわかりませんが、何とも権力者とは気ままでわがままなのだろうと思いました。 愛の殿堂 水車小屋 マルコポーロの塔

左:岩山、右:見晴台 フレンチパビリオン 館内のトイレ
  
大トリアノン
   
ここから庭園の右半分に戻り、散策しました。 ドラゴンの泉水

入り口に戻ってきたのは3時か4時頃、この頃から噴水に給水が始められましたが戻って写真を撮る元気はありませんでした。ヴェルサイユ宮殿は午前中は大変混んでいるようなので遅い午後がお薦めかもしれません。ヴェルサイユ一日券はアントワネットの離宮なども入ることができ、25ユーロです。レンタサイクルがありましたが雨なので借りませんでした。弁当持参は大成功でした。帰りの電車は空いていて、間違えること無く帰れました。ミラノ→チューリッヒ→パリ・リヨン駅行きチケット
【ヴェルサイユ宮殿終わり】 【続く】
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79回ピースボート、パリ1(セーヌ川クルーズ,ヴェリブ)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
 5月5日(日) パリ

ホテルの朝食はパンとコーヒーとヨーグルトだけの典型的なコンチネンタルブレックファスト。ホテルからミラノ中央駅までは徒歩3分ほど、8時50分に駅に着くと、電車はすでにホームに停車していました。

9:10発が5分遅れで出発し途中10分ほど遅れました。日本でミラノ~パリ間での電車を予約した時、チューリッヒ着13:29、パリ行き電車は13:34、二つはセットになっていたので電車は変わらないと私は思ったのでしたが、乗り換えが必要でした。乗り換え時間はわずか5分。(ナポリ~ミラノ=95ユーロ、ミラノ~チューリッヒ=32ユーロ、チューリッヒ~パリ・リヨン駅=41ユーロ)。イタリア・スイスの国境越えは特別なことは何もありません。電車に乗って暫くして検札があり、スイスに入ったと思われてから車内放送がドイツ語っぽくなり、再度の検札がありました。すごく大柄の女性車掌が英語で話しかけました。電車は険しいアルプスをいとも簡単に超していきます。胸騒ぎを覚えて車掌に乗り換えの事情を話しました。途中遅延があったもののチューリッヒには定刻通りに着いたのでした。チューリッヒからはTGVでした。定刻通り着いても乗り換え時間はわずか5分、車掌は降りてまっすぐ進み左のホームだと教えてくれましたが。チューリッヒに着く前に、降りる準備をして真っ先に降り駆けだし、やっと16番線とわかり乗り込みました。この間約3分の出来事、無事乗ることが出来ました。席に座って暫くして号車が一つ違っていました。チューリッヒの駅の写真を撮るどころではありませんでした。

車窓から見えた山はマッターホルンでしょうか。かつて像を従えたハンニバルやカエサルやナポレオンが、この険しいしかも冬のアルプスを越えました。アルプスは、岩が荒々しかったです。山々の間の草原では牛が草を食み、すっかり田園的な家並みになってきました。日曜のせいか家族連れらしい人々がウォーキングやサイクリングやローラースケートを楽しむ人々の姿が車窓から多く見られました。数年前にパリ・リヨン駅に来たのですが記憶は全くありませんでした。これはリヨンの地下鉄駅ホームでしょうか。地下鉄の回数券を買おうと自動券売機に向かったのですが、この機械はフランスのカード専用機で、仕方なく窓口で買いました。パリの地下鉄は号線と行きがわかれば乗り降りは難しくありません。ホテルまでは2回乗り換えで約30分かかりました。でも誰にも聞かずにメトロマップを見ながらホテルのある駅に降りる事ができました。ホテルは、レオナルド・ダ・ヴィンチと言う立派な名前のホテルでしたが、1泊65.42ユーロ、二つ星でとても貧弱でした。パソコンはフリーで使えますが、部屋は狭く殺風景、冷蔵庫が無いのが一番痛いです。でも、地下鉄3号線のパルマンティエから徒歩4分、交通の便はまぁまぁでした。近くのスーパーで晩ご飯を仕入れました。

5月6日(月) 真夜中の2時45分、けたたましい非常音で起こされました。ドアを開けると警報音がなり、非常誘導灯が点滅していました。火事かなと思いパスポートと上着と帽子をリュックに入れて1階におりました。約20人ほどが着の身着のまま、心配顔で裸足の人もいました。5分ほどして警報音が止みました。ホテル側からの説明は全くなく宿客も何の説明も求めません。日本でも経験したことの無い驚きの体験でした。朝食はやはりコンチネンタルブレックファーストでした。今日は一日雨模様なので10時からのセーヌ川クルーズにしました。9時15分のホテルを出たのですが、あまりに涼しいのでホテルに戻りステテコをはき、ウインドブレーカーを着、カッパと傘を用意して再出発、地下鉄を乗り継いでクルーズ乗り場近くの駅に着き、地上に出ると本格的な雨でした。チケットは13.50ユーロでした。
セーヌ川クルーズ 乗り場 出発は10:15でした。雨のため2階席には誰も行きませんでした。トイレ  セーヌ川の水量は多く、流れは急でした。さしずめ、「五月雨を 集めて速し セーヌ川」と言った所でしょうか。水は乳白色かかった茶色です。
 
グラン・パレ アレクサンドリア3世橋 プティ・パレ オランジュリー美術館 ルーブル美術館

サン・ジェルマン・ローセロワ教会を左岸に見て、そこでUターンしました。ノトルダム大聖堂前を行かなかったのは残念でした。オルセー美術館

マドレーヌ教会  

エッフェル塔 自由の女神像

再びUターン、約1時間10分のクルーズでした。雨は途中から一層激しくなり、セーヌ川の水量は多く流れは急でした。当初の計画ではレンタ自転車で凱旋門などを訪れる予定でしたが、ホテルからバスティーユ方面に歩きました。ノートルダム・ド・ラ・クロワ教会(内部)
     
リサイクル回収ボックス サンタンブロワーズ教会 バスティーユ広場、7月革命記念柱 オペラ・バスティーユ

ヴィクトル・ユゴー記念館 サン・ポール・サン・ルイ教会 カルナヴァレ博物館 パリ市資料館 コニャック・ジェ美術館

ピカソ美術館 サン・ドニ・デュ・サン・サクルマン教会 シルク・ディヴェール(150年以上も前に建てられたサーカス小屋) レピュビュリック広場

サン・マルタン運河(閘門式水路) ここはお薦めです。 最初の写真の反対側は、地下に潜って行きます。

サン・ジョゼフ教会 コインランドリーがありました
 
地下鉄の回数券を適宜使って歩きました。サン・マルタン運河はとても味わいがありました。パリ一日目はセーヌ川クルーズとバスティーユの街の町歩きを十分楽しみました。
5月7日(火)  レンタバイク=ヴェリブの挑戦です。5年前バルセロナで初めて見て以来、ヨーロッパ各地で流行しつつある乗り捨てレンタ自転車に乗りたいと思っていました。まず各ステーションにある「ボルヌ」で初期登録が必要です。これはチケット
  
日本であらかじめ登録の方法(日本語)を調べたのですがなかなかうまく行きません。何度か挑戦してやっと私の番号が記入されたヴェリブカードが出て来て登録が終了しました。登録には、ICチップ入りのクレジットカードが必要で、自転車が盗まれた場合などの保険として150ユーロのデポジットが必要です。1日・2日・1週間などを選びます。一日は1ユーロ、30分以内なら何度(一度スタンドに戻し、再度借り直す)でも無料です、そのまま乗り継ぐと1時間1ユーロ、1.30分2ユーロです。フランスは車は右側通行、歩道への乗り入れは原則禁止、自転車優先道路やバス・自転車レーンがある場合はそれを利用しますが、実際はかなりルーズです。私は外国人ですので、万一違法行為だと咎められたとき抗弁できないので、歩道を通る時は自転車を降りるなどルールをしっかり守りました。フランスの道路は広い上にサークルになっている交差点はまごつきました。エッフェル塔や凱旋門付近には、ヴェリブのステーションや駐輪場が見当たらないのも困りました。ホテルの近くで借りてレピュブリック広場を通り、サン・マルタン門 サン・ドニ門 パレ・ガルニエ マドレーヌ教会 コンコルド広場 オベリスク コンコルド広場からマドレーヌ教会 グランパレ

シャンゼリゼ通りを凱旋門に向かって一直線に疾走しました。でも、わずかに上り坂です。
凱旋門 左方向がシャンゼリゼ通り そこからセーヌ川沿いに戻りました。右側:セーヌ川、左側:シャンゼリゼ通り

パリ近代美術館 エッフェル塔 エッフェル塔前のシャイヨー宮

アレキサンドル3世橋

旅では予想外の色々な事が起こるもので、外国の要人が来仏していて交通規制されだいぶ大回りさせられました。自転車を借りて3時間以上が経過し、レピュブリック広場付近に来て自転車ポストがあったので返却しました。自転車は移動には便利ですが、地図が頭に入っていない私にはやはりむずかいしのでメトロ歩きにしました。 セーヌ川の中州・シテ島に行きました。
最高裁判所 サント・シャペル入り口 前回パリに来た時は、サント・シャペルはチケットを求める長い行列で入りませんでした。今回も少し行列が出来ていたのですが、時間がたっぷりあるので並びました。8.50ユーロは高いです。
     
ノートルダム大聖堂は、チケットを求める人の長蛇の列で、中に入りませんでした。ノートルダム大聖堂前の広場 水飲み場です。ノートルダム大聖堂の側面 裏からのノートルダム大聖堂 ノートルダム大聖堂の鐘 
   
サン・ルイ橋を通って同じくセーヌの中州サン・ルイ島に渡りました。願掛けの鍵 シテ島・ノートルダム大聖堂

サン・ルイ・アン・リル教会 パリの有数の高級住宅街と言われるローザン館・ランベール館ですが、それほど豪華には思えませんでした。
 
サン・ポール・サン・ルイ教会(たぶん再訪) ヨーロッパの都市では、町中にメリーゴーランドが良くあります サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会
 
パリ市庁舎、ちょうど市庁舎の衛兵に出会いました。 パリ市庁舎裏 サン・ジャック塔

帰り、リヨン駅に寄って9日行く予定のデジョン行きの切符を買いました。行きはTGVの2等が無く、1等(86ユーロ)を買いました。帰りは2等で50ユーロでした。【パリ1終わり、続く】
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79回ピースボート、ナポリ・ミラノ

2013年08月31日 | 79回ピースボート
5月4日(土) ナポリ  船はナポリからバルセロナを寄港し、フランスのル・アーブルに向かいます。私はバルセロナとル・アーブル(モンサンミッシェル)はパスし、ナポリでクルーズを一時離脱し、一人でパリとその近郊を歩く計画を立て、船に乗る前に日本でホテルや鉄道の切符を予約しました。

9時にレセプションで一時離脱の精算手続き、パスポートの受領、必要書類を受領しました。10時に上陸許可が出ました。午前中ナポリの街を少し歩こうと思いました。
ヌオーヴォ城 王宮 国立考古学博物館 王宮 地下鉄の工事現場[遺跡があり全く進んでいません。] 以上は、船上から、下船し、早速歩きました。 ヌオーヴォ城

ウンベルト1世のガッレリア  サンカルロス劇場

プレシート広場 サン・フランチェスコ・ディ・パオラ聖堂
 
王宮 王宮内入り口

折しも、自転車のレース・イベントが行われていました。

ベスビオス山 港ターミナル
 
11時30分頃一度船に戻りランチを食べ下船しました。タクシーでミラノ中央駅に向かいました。タクシードライバーはメーターを倒さず20ユーロを要求しましたが10ユーロにまけました。ミラノ行き電車は14:00発、ミラノ18:45着。10分遅れで出発し、ミラノに到着しました。座席前のテーブル、コンセントとブラインドのスイッチがあります。

【2010年に私が歩いたナポリのブログはここ】
 久しぶりの鉄道は楽しかったです。 ミラノのホテルはミラノ駅前のホテル・フロリダ(60ユーロ)、一年前の5月、私はミラノとトルコを旅た時、このホテルの隣のミニ・アオスタホテルに泊まりました。(5.18ユーロ)

ミラノ中央駅 ミラノ中央駅に架かる看板 駅構内 SPQR=Senatus Populusque Romanus の略語、意味は「元老院とローマの人民」、事実上古代ローマの紋章
 
チェックインを済ませ、駅構内のスーパーに行くと土曜のためなのか閉鎖、駅前メインストリートにあった沢山の安いレストランも休み、空いているファストフード店に入り、スパゲティとパンと赤ワインを頼みました。ホテルのインターネットは通信事情が良くなくあきらめました。 【続く】
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79回ピースボート、アテネ(ピレウス)

2013年08月31日 | 79回ピースボート
5月1日(水) このクルーズも早くも一月がたちました。今朝、目覚めると風を引いたのかもしれません、のどに違和感がありました。運動を止め、本を読んだり、4日からのパリ旅行の荷物の準備をしました。昼過ぎ、ギリシャのピレウス港沖に着きました。今日はメーデー、アテネの船員組合のストライキで、港に入ることが出来ず港沖に停泊しました。

5月2日(木) ピレウス(アテネ港) 朝4時頃ギリシャ・ピレウス入港しました。ピレウスの帰船リミットは15:00。私は5年前ピースボートでギリシャ・ピレウスを訪れました。その時は、船の故障や設備不良などでピレウスに数日間停泊し、私はアテネの町をかなりくまなく歩くことが出来ました。今回は数時間だけの滞在ですから、前回建設中で見ることの出来なかった新アクロポリス博物館だけに絞りました。タクシーの運転手はピレウスの地下鉄の駅までは近すぎると乗車拒否、そこに警官が来て拒否するな、運転手はしぶしぶ乗せてくれました。ピレウスの地下鉄駅は地上駅で間違ったか思いましたがあっていました。

アテネの地下鉄線は1号線、2号線、3号線の三本です。なのに私は乗る電車を間違えてしまいました。一度改札を出てしまっても90分以内ならもう一度乗れるのですが、あわてていたので切符を買い直しました。アクロポリ駅の地上に出ると、目の前に新アクロポリス博物館が目に入りました。

目の前は、アクロポリスの丘・パンテノン神殿です。

チケットは5ユーロ、私は少し安すぎるなと思いました。アクロポリスの冠が付いた博物館としてはボリューム不足で展示物も痛みがひどくまた種類も少なかったです。ガラス張りの通路の下は遺跡で古代にタイムスリップしたような興奮を覚えました。

写真撮影が出来る3階は、残されたパーツが少なく多くが修復されたものでした。[1、2階は写真撮影出来ません] でも、パルテノン神殿の上部を飾るレリーフや壁の雰囲気は伝わって来ましたし、ガラス越しに見えるパルテノン神殿の風景は良かったです。

帰船リミットが午後3時なのでゆっくりは出来ません。小一時間ほど見て帰路につきました。博物館前の緩やかな坂を少し下るとアテネの最大の繁華街アマリアス大通りで、アドリアノス門が目に入ってきました。 振り返るとアクロポリスの丘が見えます。門をくぐるとゼウス神殿です。

アマリアス通りを約1kmほど先のシンタグマ広場に向かって歩きました。右にザビオン公園、国立庭園があります。 ローマ時代のバス遺跡 英国教会,ロシア教会 無名戦士の墓,国会議事堂,シンタグマ広場など

12時過ぎ頃地下鉄シンタグマ駅からメトロに乗りピレウス駅に向かいました。ピレウス駅は地下鉄1号線の終点なので乗り過ごしの心配が無いのでリラックスでした。ピレウス駅から船まではだらだら歩いて30分ほど。船上からアテネ市内を見ました。

午後の日差しは肌に突き刺さるほど強いです。1時過ぎ船に戻りました。観光スポット満載のギリシャ・アテネがたったの半日。狭いアテネの町ですが、4、5日滞在してのんびり町歩きを楽しみたい町です。【前回アテネを訪れた時のブログ1はここ、 前回アテネを訪れた時のブログ2はここ
5月3日(金) 私は明日からクルーズを一時離脱して行くフランス小旅行の準備をしました。昼過ぎ一時下船についての案内の書類が来ました。有料サービスの精算、預けてあるパスポートの受領、チェックアウト(=再乗船時に必要な乗船券の受領)、「一時下船中の連絡方法の書類」などの手続きが必要です。「一時離脱手配手数料」が約1万円ほどかかりました。パリではあまり欲張らずセーヌ川クルーズとレンタ自転車を使っての観光と2、3のパリ近郊の町を電車で訪れる予定です。また、ヴェルサイユ宮殿はまだ訪れたことが無いので行きたいと思っています。心配はルアーブルでの合流、電車はパリ発14:50、ルアーブル着16:55の予定、何事も無ければ問題はありません。[ピレウス終わり]  
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79回ピースボート、スエズ運河・ポートサイド・アレキサンドリア

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月28日(日) スエズ運河航行


楽しみにしていたスエズ運河の航行です。前回のピースボートでは、オーバーランドツアーに参加したので、スエズ運河は通らなかったのです。全長193.30、km深さ24m、幅205mのこの運河は中東の平和と戦争を見つめてきました。早朝朝4時頃スエズの運河入り口付近で待機していた船のエンジンが始動し始めました。真っ暗ですが満月の明かりとスエズの町(サファガ)の灯が灯っていました。三番目の出発で丸一日スエズの航行を明るい時間にたっぷり堪能しました。

諸所に見張り・監視塔などがあり職員が警備し手を振ってくれます。

スエズ運河の両側ともエジプト国内ですが、進行方向左側は木々が茂り農地や家々があるのですが、右側はほとんど緑の無い荒涼とした砂丘の風景でした。植林も行っているようです。

スエズ運河は巾は300メートルほどのところもあり、広い中海もあり、途中何カ所かで船が交差することも出来るそうです。200メートル毎にスエズからポートサイトまでの距離が記された標識が設置されています。この巨大な橋は、エル・フェルダン鉄道橋と言い世界最長の旋回橋だそうです。暑い中、クルーはキャビンの窓を掃除していました。【誤操作でカメラの設定がモノクロになってしまいました。】

遭難した船 配水管 スエズに架かる唯一の橋で、日本の援助で出来たそうで、エジプト・日本友好の橋と言うそうです。

ここはもう地中海側の入り口・ポートサイドです。
 
当初、ポートサイドには深夜22時頃入港の予定でしたが早まり午後3時前に入港、4時には下船が可能となりました。ポートサイドの町は、特別な特色・観光スポットはありませんでした。約1時間ほど歩いていくつかのモスクと教会を見、その後港周辺のお土産屋をぶらぶらと覗きました。
ポートサイドの街

乗り合いバス 木の下の白い部分は、夜間車の光りが当たると木とわかりやすいそうです。

 右の窓が私のキャビン

スエズ運河は雄大でした。フランス人レセップスによって開発されたスエズ運河は、1869年開通しました。完成当時は、巨額の建設費と利用船舶の少なさで経営が難しかったそうです。1875年対外債務返済のためにエジプトはスエズ運河会社の株式を手放さざるを得ませんでした。イギリスはどさくさに紛れて筆頭株主となり、以後権益を守るため軍隊を駐留させ、第二次世界大戦後もこの地に居座り続けました。その後もスエズ運河は様々な危機と困難を迎えました。シナイ半島の向こうには、イスラエルがあり今日なお緊張が続いています。エジプト、アラブの春はムバラク独裁政権を倒しましたが、私達が船旅を楽しんでいる間に、軍事クーデターが勃発しました。スエズ運河は雄大で穏やかでしたが、今なお平和で安全とは言えない苦しみを抱えています。                   
4月29日(月) アレキサンドリア ポートサイド2日目。アレキサンドリアは、マケドニアの英雄アレクサンドロスによって紀元前330年頃築かれました。その後7世紀にわたり世界最大の図書館を擁する古代世界の学術の中心として栄えました。古代ローマのカエサルもこの地を訪れました。クレレオパトラとアントニウスは、ローマのオクタヴィアヌス(カエサルの後を継いだローマ初代皇帝アウグストゥス)に破れ、後衰退していきました。この地で2000年も前に一大歴史スペクタクルが繰り広げられた地にいると思うと興奮しました。ポートサイドからカイロやアレキサンドリアへはバスで片道3~3.5時間かかります。私はアレキサンドリアを訪れるツアーを選びました。出発は早朝6時頃、朝食を船内で取れる時間は無いのでバスの中で簡単なパンとバナナとジュースの弁当でした。早朝のポートサイド港

途中トイレ休憩はありませんでした。10時頃アレキサンドリアに着き、アレキサンドリア国立博物館を見学。小さく特に有名な物もありませんでした。 [中は撮影出来ません]、私たち以外の見学者はほとんど無く見学時館は45分ほどで、十分でした。

その後、ポンペイの柱の遺跡を見ました。
   
一本の柱がきれいに残っているのですが、後は痛んでいて当時の様子はうかがい知ることは出来ません。遺跡近くで子どもがたこを揚げていました。

イスラーム時代に作られたカーイトゥベーイの要塞を見学しました。
  
以上で、アレキサンドリアでの観光は終わり、1時半頃エジプト料理のランチでした。アレキサンドリア市内の道路は、車で身動きできないほどの混雑・渋滞の中バスで市内を観光しました。
 
たいした遅れも無く帰路につきました。ところが約2時間ほど走って、突然トラベル・ポリス(=TPと略、観光警察)がバスを止め、ガソリンスタンドへ誘導しました。給油が終わってもバスは出発しません「暫く時間調整」すると説明がありました。そのすぐ後、「この先でデモが行われているため、TPの指示でこの場で待機します。」と添乗員から告げられました。エジプトのツアーではこのTPが最高の権限を持っています。観光客の安全と効率良いツアーをするために何十台ものバスを連ねるコンボイで移動します。武装したTPはコンボイの先端と後尾を護送し、先々の交差点で交通遮断しコンボイを優先通行させます。私達のツアーはバス2台でしたのでコンボイではありませんでしたが、この待機は約3時間ほど続きました。いつ交通規制が解除されるかわからないので、有料トイレ(50米セント)を利用しました。ローカルなデモですから暴動的デモで無いことも想像できました。私達は少し余裕をを持って喫茶店のテーブルに着き、現地のエジプト人と身振り手振りと簡単な英語で交流したのでした。そのうちオレンジ色の大きなお日様が地平線に消え、当たりは少しずつ暗くなってきました。TPの人もすっかり打ち解け、記念撮影までしました。

待機して3時間が過ぎすっかり暗くなり始めた8時頃、ガイドのマンスールさんが、「神の思し召しで解除されました」と告げた時、居合わせたエジプト人は拍手をし私たちに握手をしたのでした。日中は、そこから港までは1時間ちょっとらしいのですが、渋滞と街灯が少なく暗いため2時間以上かかりました。バスの中でマンスールさんは「公共の土地を民間に売ることを決定した地元政府に対し、市民が売却しないで公共の施設を作るべきだと要求するデモ」、と伝えてくれました。私はアラブの春は確実な歩みをしているのだなと思いました。30分ほど走った時、近くのお菓子屋さんから「差し入れ」がありました。長時間足止めされた私たちに近くのお菓子屋さんが同情してのことだそうです。蜂蜜漬けされたカステラをマンスールさんがナイフで小分けしてくれました。すごく甘くおいしかったです。ポートサイドの町は、夜の10時近くなのに多くの人々が出歩いていました。日中は暑いので夕食後家族連れで散歩したり喫茶店でおしゃべりを楽しんでいるのでしょう。港では船のスタッフやレストランは私たちの帰りを待っていてくれ、私達は本日の夕食・カレーライスをいただきました。レストランの従業員たちは残業にもかかわらず笑顔で私たちを迎えてくれました。危険な事態にならなかったから言えることですが、2000年以上昔カエサルやアウグストゥスやアレクサンドロス達いたこの地での思いがけない出来事・経験を私は不謹慎ながら少し楽しんでいました。このツアーの添乗員・GETのコーディネーターの若い女性の羽鳥さんは、実に沈着冷静でとても落ち着いて必要な情報を的確に私たちに伝えてくれました。後日、彼女とたまたま話す機会があり、私がこのことに触れると、「すごいストレスで無事帰船したときはどっと疲れが出て、皆さんに十分な挨拶が出来なかった」と言っていました。とまれ、私には、“エジプトの今日”を感じた一日でした。【続く】
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79回ピースボート、サウジアラビアのジェッダへ

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月17日(水)  インド洋に入りました。サウジアラビアのジェッタまでは寄港地はありません。10時から「海賊対策訓練」がありました。海賊に襲われたら、「部屋に戻り、ドアに施錠し、窓のカーテンを閉める」、と言うものです。4月24日頃までの間、海賊対策として「9階のオープンデッキの閉鎖、夜間のオープンデッキの消灯、昼間はカーテンを閉める等」の対策が行われます。英会話ク先生はハワイ島第二の島・Maui島出身のMauiさんで20歳代の若い女性です。クルーズではクルーはインド、インドネシア人が多いようです。私のハウスキーパーはエリアスという30歳代の若い素敵なインド人男性です。彼は言葉遣いもとても親切でサンキュウ・サーと言います。会う度に二言三言英語で彼と話すのは楽しいです。9階・10階のデッキとジムの清掃担当は、50歳代のペルー人のネストルさん。彼は英語が話せないのですが、私が「オラ、ブエノスデアス、グラシャス」などと片言のスペイン語の挨拶を交わすと、以来、オラ、アミーゴと話しかけてくれます。

4月18日(木) 今日から私のGETのクラスが始まりました。ニューランド人のリンカーンさんの“異文化コミュニケーション”のワークショップがありました。彼女はPaniaというマオリの名前も持っていて、漢字は読めませんが、流暢な日本語を話し、日本の手話も出来る魅力あふれる女性でした。サウジアラビアのジェッタ帰港地では無かったのですが、サウジアラビア政府がピースボートの活動が気に入って、給油と交流の申し入れがあり実現したとの報告がありました。今晩から夜間、オープンデッキの照明が消され、キャビンもカーテンを閉めます。夕方6時半、洋上での久しぶりの夕焼けでした。朝食 夕飯

4月19日(金) 今日は急遽入った「夏祭り」、公的行事が中止となり、GETも延期となりました。この日のスペシャルメニューはソース焼きそば、私は大喜びでした。イルカを見ました。塩野七生さんの小説『銀色のフィレンツェ』を読み終えました。その後、『ローマ人の物語』のカエサル編を読みました。私は午後3時からの「夏祭り」の写真を一枚だけ撮って、キャビンで本を読みました。GETの先生、手話の使い手のアリッサさんとシンディさんは浴衣を着ていました。今日、たくさんの電気機器を一度に使って変圧器が壊れました。扇風機も壊れ、電気シェーバーも壊れ、顎髭を生やすことにしました。
 
4月20日(土) 今日はGETクラスとGETの“Welcome Party”がありました。子供じみたゲームやアクティビティは退屈で苦痛でした。カエサルを読みました。夕飯は自慢話と知ったかぶり話好きのCCと相席になり、最悪でこの上なく不快でした。英語が出来るだけでは決して偉くは無いのだよとぐっと我慢して早々に引き上げました。朝食と夕飯は、行った順に席が案内されます。いやな人と相席になるとすると大変な苦痛です。
4月21日(日) ソマリア沖に入り、自衛隊等の船が交代でパトロールしています。
   
数隻の船が視界に入り、海の景色も少し変化が出ています。ランチはおでんでした。今日のミスは、朝食時マイカップを食堂に忘れたことと、万年筆を落としてしまったこと、マグカップは、戻りましたが、万年筆は戻りませんでした。提供される日本茶はおいしくないので、私は日本から持参した日本茶のティバッグを飲んでいます。朝は6:30から無料モーニングコーヒー、昼は15時にカステラ付きティタイムがあります。4時から、GETの先生・シンガポール出身の若い女性Cindyさんとマンツーマンで15分間会話する「chat wit」を楽しみました。
  
4月22日(月) キャビンでカエサルを読んでいるとコペンハーゲンでのオーバーランドツアーの一人部屋が確保されたとの電話がありました。オーバーランドツアーは二人部屋が普通で、一人部屋は大体1泊8000~9000円のプラスになります。私は申し込みました。11:30からコペンハーゲンからのオーバーランドツアーの説明会がありました。ET TOEICプログラムも申し込みました。テキスト代は2940円で模擬テストがありました。リスリング45分。100問、リーディング75分・100問で、10~990点の採点が行われます。テストはとても難しく理解して回答できたのは10%にも達しないと思います。2時間もの間、緊張し続けたのはこの数十年間なかった経験でした。ハウスキーパーの青年・エリアスがペルーの素敵な音楽のCDを貸してくれました。28歳のナイスなインド青年です。
4月23日(火) 17:30からサウジアラビアのジェッタに寄港する説明会=「航路説明会」がありました。サウジアラビア政府が、ピースボートの活動・広島・長崎の被爆者がピースボートに乗って世界各地で被爆体験を語る「折り鶴プロジェクト」の活動を評価し、『サウジアラビア&日本・きずな平和ファーラム』(参加者日本側70名)を開催し、あわせてクルーズの全乗客をイベントに招待するというのです。サウジアラビアは、厳格なワッハーブ派(スンニ派)の教義を国是とし、憲法、議会、政党の存在が認められていない、サウジ一族が独裁的に支配する祭政一致の君主制非民主的国家、ピースボートと波長が合うとは私には思えないないのですが。イベントは港に張られたテント内でのバザールや交流会、サウジアラビア料理の昼食、砂漠地帯で行われる“文化交流フェスティバル”だそうです。その後サウジアラビアの青年10名がポートサイドまでピースボートに乗り、交流を図るそうです。豊富な石油マネーで人々は豊かな生活を送っていますが、重労働などはインドや他のアジアの国々の労働者が担うなど、ちょっとゆがんでいるように私には感じられます。果たして、「アラブの春」の風はサウジアラビアにも吹くのでしょうか。
 
4月24日(水) アメリカ・モンタナ州出身で身長2メートル以上のダン先生と“Chat with Dane”を楽しみました。彼はアメリカ人、ベトナム国旗の「一星紅星」のTシャツを着ていたので申し込みました。なかなかユニークな若者で、ベトナムなどをバックパックで旅したそうです。船内ではかなりの人がマスクをし、咳をし、風邪が大流行、発熱しているにもかかわらずレストランで食事をしたり、イベントに出たり、GETに出たりの人もいます。四人部屋では逃げ場も居場所も無いですが。航海中、最後まで咳の音は止みませんでした。インフルエンザや食中毒が発生したら非常に恐ろしいことだと危惧していましたが、ピースボートにはその危機感は無いようで、レセプションからは手洗いとうがいを奨励するだけで、病気の人は外出を控えるべきなどの注意は全くありませんでした。クルーズの終わり頃インフルエンザが大流行し、強制隔離者が増えました。
 
紅海に入り時々陸地が見えるようになりました。船に鳥の姿が。
 
4月25日(木) サウジアラビア・ジェッダ ジェッダは、紅海に面した港町で、イスラム教の聖地であるメッカ・メディナへの入り口です。

ピースボートが桟橋に接岸した所に出入り口が準備され、冷房がちょっと効いた大きなテントが2張り準備されていました。

ジェッダはこのクルーズの寄港地ではありません。インド洋・アラビア海・紅海の約10日間の単調な洋上生活からの開放はうれしいサプライズでした。サウジアラビア入国は本来ビザが必要だと思いますが、ビザなしの超法規的手続きの入国だと思います。パスポートや日本大使館などにはサウジアラビアへの入出国は全く記録され無いのだと思います。万一、サウジアラビア滞在中に事故に巻き込まれた時どうなるのでしょう。何事も無かったから良かったものの、この事態はかなり危ういと私は思いました。以下、顔が写っている写真はいずれもOKを受けて、撮りました。

船に掲げられた歓迎の横断幕

ラクダの肉[とても高価で、庶民の口にはほとんど入らないそうです。
 
この食事の後、私は私のお気に入りの大切な帽子を落としてしまいました。見当たりませんでした。その後、私達は20台の大型バスに分乗し砂漠の中に設置されたテントに向かいました。道路は広いのですが車線ラインは引かれていなかったり見づらかったり路肩の整備やフェンスなどは設置されていませんでした。

道の両側は廃車された自動車の部品を売る店が連なっていました。客は気に入った部品を廃車から選んで買えるようです。
 
ガソリンの値段はとても安くただ同然で、車は一家に数台所有しているそうです。古くなり壊された建物の廃材が道の両側に捨てられいます。この廃材とタイヤや家庭ゴミなども捨てられ、岩や木々にプラスティックの袋が沢山まとわりついていました。ここの砂漠は岩場と泥・土です。雨は少ないのですが高地に降った雨が伏流水となり、所々で地上に出てオアシスとなったり、小さな流れになったり、木々を育て、緑が結構ありました。約1時間後、突如そうした土漠の中に二つの巨大な白いテントが現れました。

日本側の出し物は、南中ソーラン節という新しいソーラン節の踊りと沖縄のエイサーの歌と踊り、花は咲くの合唱でした。この三つが日本文化を代表するとはとても思えませんし、茶や生け花や歌舞伎や文楽などが日本文化を代表するとも思えません。会場で紹介された習字や剣玉・折り紙などが日本の大衆文化とも思えません。アニメは海外で人気だそうですがこれも日本を代表する文化とは言えません。では、何が日本を代表する文化と問われても、答えは難しいですが。集合合時間がナンと18時でした。大変な間違いでした。帰り道は来た道とは違う王の家や巨大なショッピングモールなどがある繁華街を通ってくれました。翌日が祭日の金曜日の前と言うこともあり市の中心はいつも以上の大渋滞でした。結局、港に着いたのは帰船リミットの20時を越えていました。更に、一時にバスが着いたので乗船手続きは大変な混雑で時間がかかりました。レストランは21時まで延長されましたが、レストランに入り切れない人も少なからずいたようです。サウジアラビアでは時間や予定の立て方が日本とは異なるとピースボートは説明しましたが、見通しの甘さでした。私達が交流したのはサウジアラビア政府や地元政府官僚などの社会的エリート層で、いわゆる庶民では無いと思います。庶民が行き交う街を自分の足で歩いたのでは無く、移動は全て冷房の効きすぎたバスでした。私のジェッタやサウジアラビア訪問はただ来て、上陸しただけという感じです。でも、ほんの一瞬でも来たことがあると言うことはやはり良いもので思い出にはなります。
4月26日(金) 私の帽子はとうとう出てきませんでした。ジェッタから乗ったサウジアラビアの青年3人がGETの私たちのクラスを訪問しました。
4月27日(土) 昨日のアラブ青年ニックネームレイン(雨)さんと船上でばったり会い、少し話しました。私が「私は仏教徒です。仏教ではたくさんの神々があり、イスラームでは唯一の神はアラーという違いはありますが、平和を求める心は同じだと思います。私はトルコのアヤソフィアを訪れた時、オスマントルコがキリスト教会・キリスト像などを破壊しないで漆喰で覆いモスクに改造し大切にしたことに感動しました。コルドバ市のメスキータも同様でした。モスクが異教徒にもおおらかに開放されているのも素敵です。また、アラビックの書道もとてもきれいで素敵でした。」等と話すと、彼はイスラームの世界を熱く語りました。   
  私が昨年、2012年5月イスタンブールを訪れた時のアヤソフィアでの写真です。
  
  私が2011年にスペインを訪れた時の、スペイン南コルドバ市のモスク=メスキータの写真です。
  
 
ジェッダを後にスエズ運河に向かいました。スエズ運河航行を待つ船舶
   【続く】
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79回ピースボート、スリランカ3・キャンディ市・仏歯寺

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月15日(月) 

キャンディ市は、スリランカ中部州の州都でシンハラ人のキャンディ王国(1469年~1815年)の最後の都でした。紀元前543年にインドで仏陀を火葬した際に手に入れたと言われる仏歯が祀られている仏歯寺があります。イギリスの植民地時代、気候が温暖なこの地に多数のイギリス人が入植し、コロニアル様式と言われる多数の建物が建てました。朝食後、朝8時ホテル出発  刑務所
 
クィーンズホテル[世界遺産・植民地時代の名残の建物] エントランス、トイレを借りました。 世界遺産の登録証 スリランカ独立後最初の首相の像 沙羅双樹の木と実と花

仏歯寺 [休日と相まってたくさんの参拝者でした。]
 
仏歯寺の王の屋敷跡 [参拝者にカメラを向けるとOKでした。] 永平寺から贈られた鐘
 
釈迦の歯が納められている仏舎利のレプリカ 真ん中の明るい部分が、仏歯寺の本尊・釈迦の歯が納められている仏舎利です。

釈迦の仏歯が納められた仏舎利塔が公開されるのは一日三回、凄い混雑です。ガイドのロハンさんのアドバイスは「スリの心配は無い遠慮しないで押しのけて前進」でした。目の前までは行列で行けず10mほど後方から撮りました。市内を歩きました。

スーパーマーケット

賽銭箱

ツアーに付きものの店巡りは、昨日はシルクお店、香辛料・薬草などの店、今日は宝石店。客より店員の数が倍以上でした。

ビールが解禁されたレストランなのでビールを飲みました。2時間ほど昼寝タイム、2時半頃ホテルに戻り、シャワー後40分ほど昼寝。キャンディアンダンス鑑賞[夕方、4時半から]

火を使ったショーは大人気でチップが沢山でした。キャンディ市内のホテルに連泊、WEBは昨夜から通じなくなりました。理由はわかりません。        
4月16日(火) コロンボ 今日はコロンボ市へ移動し、船に合流後、再度下船し少しコロンボ市を歩きました。ホテル8時出発

オオコウモリ キングオブバナナ(1本150ルピー約135円)、味は値段ほどではありませんでした。カシューナッツ店でトイレ休憩
 
コロンボ市内に入る前にハンドメイドのお土産屋に案内されました。私は500ルピーほど(約450円)残っていたので安いものを買いました。

市庁舎(ホワイトハウスを真似ています。) シナモン7番街は高級住宅街で各国の大使館が軒を連ねます。 日本大使館 国際劇場

バンダラナイケ国際会議場[バンダラナイケさんは世界初の女性首相] 独立記念堂

独立記念堂内の壁のレリーフ 蛇つかい 潅漑省
 
昼食は、ヒルトン・コロンボホテルの日本食レストランでした。 

刺身・天ぷらなどのセットメニューで、価格は20米ドルほど、ビールは3ドル。午後3時過ぎツアーが終了後船に合流し、荷物を整理してコロンボ市内の散策に出かけました。船から港出口までシャトルバスで5分ほどです。猛烈な暑さとたくさんの人々の熱気とゴミの饐えたような臭いでむせかえるようでした。でも、これもアジアの魅力の一つだと私は思いました。
 
モスクの前で写真を撮っていると、モスクから出てきた人が中に入れと手招き、私は日本人でブッティストですと答えると、英語で“I'm Moslem.”と言って、私を招き入れてくれました。スリや置き引きには万全の注意を払わなければなりませんが、通りのあちこちに警官がいるので安心です。
モスク ヒンズー教の寺院

スリランカの農村の穏やかで緑あふれる風景や人々の優しい微笑みも、コロンボ市内の雑踏とゴミと猛烈な暑さもスリランカだと思いました。首都には仕事や富を求めてたくさんの人が押し寄せます。清掃は追いつきませんし、スリや置き引きも頻発します。たくさんの警官が巡回していました。これは安全ではないとことの裏返しでもありますが。
市場です。  こちらは旧市場

コロンボ・フォート駅もむせかえるような人でした。ちょうど電車が出発したところでどの位の乗客が乗っているかはわかりませんでした。
コロンボ駅
    
1キロほど先に大統領官邸があります。銃を持った兵士がいたので、「日本人の旅行者だが先に行って写真を撮ることが出来ますか?」と聞くと、ここなら良いという返事でした。この奥が大統領官邸です。大統領官邸周辺は中央銀行やヒルトンホテルやトレードセンターなどの山の手です。

暑いのでサンダルで来たら靴擦れし帰ることにしました。大統領官邸から港はすぐ近く。シャトルバスの停留所=港3ゲートは少し遠いです。地図を見ていると税関職員があちらから入れると指さしました。そこは警察署本部と港を結ぶ通路でした。セント・ピーターズ教会 税関事務所 この階段を降りと、警官が通って良いと言います。IDカードを見せ通ると「煙草を持っているか?」、私は吸わないというと「仕方ないな」と言う顔で通してくれました。ピースボートから大量のゴミを出していました。

キャビンに戻り、シャワーをして早めの夕食を取りました。体重を量ると1キロほど太っていました。オーバーランドツアーで脂っこい中国料理の後、おいしいカレー料理とお正月の珍しいスイーツで食べ過ぎたようです。【続く】
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79回ピースボート、スリランカ2・シーギリア

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月14日(日) シーギリヤは、巨大な岩山の幻の王宮跡です。当時、王の長男と弟が王位を巡って争い、兄は200メートルほどの高さのシーギリヤの岩山に宮殿を建てました。岩山の中腹に、美女のフレスコ画(シーギリヤ・レディ)があります。その非宗教的な壁画はとても官能的で異彩を放っています。




さて、スリランカは、今が旧正月。正月の特別料理はとにかくスイーツと言うことです。 餅米で作られたお菓子

薄いパン生地が丸く焼かれ、その中に目玉焼きが入っています。

ホテルのレストランも町中のレストランもアルコールの販売はされません。早朝、雷の音で目が覚めました。 監視小屋でしょうか、それとも昼寝用?

この通路の奥に壁画があります。

修正した跡が残っています。

トップからの景色です。

岩山の足下に

 
正月休みを庭で遊ぶ人々[水の入った風船を投げ合っています。目が合うと、バスを降りて一緒に遊ぼうと手招きしてくれました。]

衣料品のショップ 12:30、レストランで食事 

薬草園とお店 

バスでキャンディ市に向かいました(3時間)。 途中、激しい雨でした。

16時頃の早めのチェックインとなりました。アール・リージェンシーホテルはきれいなホテルでした。蚊取り線香のサービスは良いですね。生演奏で食事を楽しみました。スイーツです。
 
キャンディ市はスリランカ中部州の州都でシンハラ人のキャンディ王国(1469年~1815年)の最後の都、シンハラ語で山を意味す「カンダ」から転じたそうです。市内に紀元前543年にインドで仏陀を火葬した際に手に入れたと言われる仏歯が祀られている仏歯寺があります。仏歯は王権の象徴でもあり、今も仏教徒の信仰を集めています。キャンディ市と仏歯寺は項を改めます。【続く】
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79回ピースボート、シンガポール

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月11日(木) シンガポールの新名所マリーナ・ベイ・サンズ

ホテルの部屋から
 
昨夜は遅かったので遅い朝食、11:30のホテルチェックアウトでした。1時間ほどインド人街を散歩した後、ブログを作成したり、メールをチェックしました。

シンガポール市内観光をしました。 サルタンモスク ムスリムは礼拝する前に体を洗って清めてモスクに入ります。 女性は2階で礼拝します。

アラビア通り

マリーナ・ベイ・サンズ は巨大な三本の柱のようなビルの屋上に船の形をした建造物が乗っかっている奇妙なホテル・ショッピングモールです。

そして、エレベーターに乗るとあっという間に展望台へ。(入場料は20シンガポールドル)

シンガポールの新しいランドマークですが、こんなビルに果たしてどんな意味や価値があるのかはなはだ疑問です。屋上にはプールがあり、またカジノなどもあって、お金持ちの虚栄心をきっと満たしてくれるのでしょう。シンガポール市内が一望できるのですが私はむなしさを覚えました。

チャイナタウンはたったの15分で仏教のお寺などゆっくり参拝する時間はありませんでした。仏牙寺
  
16:20シンガポールハーバーフロントセンター着、本船に合流しました。入船の際、飛行機に乗るときと全く同じような荷物のセキュリティ検査がありました。この夜、私はスリランカへのオーバーランドツアーに出発、夜:20:30下船、シンガポール市内ホテルに到着すると昨日と同じホテルでした。メールをチェックし、ブログを更新しました。【63回ピースボートのシンガポール編はここ】【続く】
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79回ピースボート、スリランカ1・ポロンナルワ

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月12日(金) 

私は、『スリランカ・セイロン島の世界遺産6日間』のオーバーランドツアーに参加しました。昨日の夜下船し、シンガポールのホテルに泊まりました。午前7時頃ホテルを出発し、シンガポール空港に向かいました。9:50発→コロンボ空港11:15着。国際線だから機内食は出ると思いましたが、夜中にホテル近くの"セブンイレブン"にサンドイッチを買いに行きました。このコンビニではカード、米ドルは使えませんでしたのでわずかですが現地ルピーに両替しておいて正解でした。機内食が出て、そのサンドイッチは、結局無駄になりましたが。これはシンガポール空港の掲示板でしょうか。

午後バスでシーギリヤへ。5時間のドライブでした。バスの車窓からの景色が美しくまたバスを目にした人々が手を振ってくれました。 私のお気に入りの一枚です。

ゴム園でバスを止めてくれました。

チタンの木

沿道はかなりの頻度で集落が現れました。自然の恵みの豊かさも伝わりますが、人々の数も多いなと言う印象でした。同時に、所々現れる町は近代的ではありませんが店々が賑わい、通りすがりの私達のバスにほとんどの人々がほほえみかけ手を振ってくれました。道々は掃除も行き届いてきれいでした。私は、以前カンボジアを訪れたときも同様の思いがしました。カンボジアもスリランカも長い内戦を経て、平和と本来持っている自然の恵みが人々に豊かさを与えていると私は感じました。私はカンボジアよりスリランカの方が豊かさを感じました。カンボジアは多くの人々が死にすぎてまだその痛手を克服できていないのかもしれません。シーギリヤ近郊のホテル、ヘリタンス・カンダラマホテルはきれいでした。部屋の窓から

スピードは遅いのですが、無料の無線LANが使え、ブログ発信をしました。
4月13日(土)  ガル・ヴィハーラ[大きな花こう岩の塊に四つの石像が彫られた彫像遺跡]

バスでポロンナルワへ向かいました(4時間)。スリランカはイギリスなどの植民地支配の後、第二次大戦後独立しました、その後1983年から2009年にかけて多数派のシンハラ人と少数派のタミール人との間で内戦が行われました。今日平和を取り戻しています。ポロンナルワはインドの侵略によってアヌラーダプラを追われたシンハラ王朝が10~12世紀に二番目の首都が置いた古代都市遺跡です。大きな花こう岩の塊から彫られた4つの石像(2つの座像、立像、涅槃像)から成る「ガル・ヴィハーラ」は美しい彫像遺跡です。日中気温は30度を超えるので涼しい時間に観光を済ませたいとのことで、5:45起床、6:30朝食、7:30ホテル出発です。ホテル前の湖・カンロレマ湖などスリランカの湖は全て潅漑や飲料水用の巨大な人造湖です。カンボジアもそうですが、王たち支配者階級にとっては水・潅漑が一番の重要な仕事だったようです。野生のクジャク テンプルフラワー(白い花) 

これはシーギリアではありません。

トイレを使用したレストラン

水浴びする男性 近くでは新年のお祝いの行事でしょうか。
 
ポロンナルワ遺跡

ガルポタ(石の本) 仏舎利塔 トカゲ
 
蟻塚 世界遺産のマーク

ガル・ヴィハーラ [大きな花こう岩の塊に四つの石像が彫られた彫像遺跡です。]
 
シーギリアです。 お気に入りの一枚です。        

象に乗りました。

今日見た仏像はとても穏やかな表情をしていました。スリランカに伝わった仏教ははかつて「小乗仏教」・上座部仏教と言われています。今回の旅では仏教寺院・仏像を見ることが出来たのはシンガポールとスリランカだけでした。スリランカの仏像の穏やかな表情は何とも心が安らぎました。スリランカの旅・ツアーはまだ続くのですが項を改めたいと思います。【続く】                                     
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79回ピースボート、武陵源 2

2013年08月31日 | 79回ピースボート
4月8日(月) 孫悟空の活躍した火焰山の名が付いています。

張家界青和錦江国際酒店ホテルで朝食 9:00ホテルを出発し、武陵源自然風景区に向かいました。 呉冠中(画家) 

張家界森林公園入り口、ロープウェイで張家界風景区観光
  
六苛閣
 
道は険しいです。篭は180元(2700円ほど)でした。

五指峰  懐かしい人々の名が、華国峰 王光美 江沢民

結婚記念写真

12:00山頂レストランで昼食   質公園 自然遺産のマーク

石に刻まれている白い物は化石です。銭基深の名が

お茶の試飲(ショップ)  夕飯 ホテルのインターネットは、朝も夜も不通でした。 
  
4月9日(火)  宝峰湖 観光


ホテルで朝食 今日は、遊覧船で奇峰に囲まれた宝峰湖観光などを訪れました。宝峰湖入り口 売り子達はこたつに入っています。

土家族の女と男が出て来て歌います。
         
12:00市内レストランで昼食  猿が人間の顔を観察
    
アジア最大の鍾乳洞・黄龍洞 鍾乳洞内を船で移動できます(3km)。 

千枚田
           
鍾乳洞を出たところに旧民家がありました。近くの新興観光地(ショッピング案内) 砂絵のギャラリー
 
ホテルに戻りレストランで夕食、ビールを2本飲みました。ここのビールは2.5%と低アルコールで美味とは言えませんでした。ダメ元でインターネットのアクセスを試みるとなぜか通じました。でも速度はかつてのADSLほど、大急ぎでブログの第一報を発信、いくつかのメールを送信しました。中国人のネット事情はわかりませんが、フェイスブックなどオープンできないサイトがいくつかありました。この事情が国家による規制なら民衆の不満や怒りを抑えることは出来ないでしょう。
4月10日(水) 全員がバスに乗ったのですがバスは出発しません。30分ほどホテル側が客がホテルの備品を持ち出していないかをチェックしていたのでした。何人かいました。バスで、張家界空港に向かいました。約45分。
   
10:15発の広州行きに乗り(25分遅れ)、広州には(1CZ3382便・時間45分)、定刻10分遅れの11:45に着きました。5000円を中国元に換え、約100元1500円が残りました。妻へ安いポシュエットとハウスキーパーへのお菓子を買いました。18:30発のシンガポール行き飛行機、セキュリティチェックは厳しいのですが、出国手続きはスムーズでした。電子機器、携帯の充電器や、充電式電池、トランスなどは預け荷物としないで、手荷物にした方が良いとのことです。特に充電式電池は預け荷物にすると没収されることがあるようです。シンガポールまでは約4時間(CZ351便で4時間)→シンガポール着22:30、バスでホテルに。24:00シンガポールのパークロイヤル・オン・キチェナーロードホテルにチェックイン、立派なホテルでランケーブルと無線LANの二つがありました。このツアー代金は、128,000円+一人部屋35,000円=163,000円でした。【続く】
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