年はとりたくないが、時間の経過は万人共通で如何ともしがたい。40年も前の昔話で恐縮でもある。夏が来れば必ず思い出す話である。
盆休み前の夏の暑い日、松下寿電子工業伊予西条工場で、電子部品のクレーム処理をしていた。案内されたのは冷房設備など無い、倉庫の一画で汗だくで対応した。冷房の有無はどうでも良いが、案内して頂いた担当者の発言は、今でも脳裏にこびりついている。曰く『下請けのくせに・・・』。この発言を聞いて、『いずれ見返してやる』・・・不遜にもそう思った次第である。当時は松下幸之助氏は御存命であったが、氏の謙虚さが地方工場までは浸透していないと窺ったものである。聞くと近年工場閉鎖されたとのこと。
そのクレーム処理には、H氏と呼ぶ若手と一緒であった。彼は、蘇州M社創立と共にそこへ出向した。以前に台湾M社へ出向しており、中国語会話能力はペラペラであったことによる。
(蘇州・寒山寺)
蘇州で中国人女性と親しくなり、その後結婚した。日本の奥さんとは離婚し、残された子供さん2人は、どのような思いであったろうか。彼が出向の後、蘇州M社は閉鎖し事業は無錫M社が引き継いだ。彼は、その時期に会社を辞め、風の便りによれば、南京で見たという伝聞であったが、近年は風の便りも尽き果ててしまった。今どうしているであろうか・・・夏が来れば、思い出す事柄である。
<了>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます