世界の街角

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神樹(2):柱と鳥と太陽信仰

2021-05-09 07:16:33 | 日本文化の源流

不定期連載の2回目である。荻原秀三郎氏の著述によると、柱が鳥と結合して太陽信仰と密接な関係があるとして以下のように記されている。

”柱の立つ広場をミャオ(苗)語でヘソを意味する「タウトウ」と呼ぶ。村を開くとき、まずヘソとなるタウトウを決め、そこに柱を立てる。柱の上には鳥を止まらせ、柱には龍を巻かせる。つまり大地はヘソで呼吸をし、柱は大地と天空をつなぐ神霊の通り道となる。鳥は真東を向いて太陽を呼び出す。この柱を芦笙柱(ろしょうはしら)呼ぶが、家はこの柱を中心に建てていく。ミャオ族は祭りの際に、この柱を巡って芦笙を吹き、輪になって踊る。

縄文時代中期以後にみられる縄文集落は、まず真ん中に墓地をともなう広場をつくり、同心円状に集落形成されていく。縄文広場の中心は巨木を立てる祭り広場であるが、同時に死に行くもの生まれ来るものの死者供養と人生儀礼の場でもあった。縄文広場は、いわばミャオ族の広場と似ており、胎児がヘソの部分から成長するように、宇宙はその中心から生まれ、そこより世界は四方に向かって広がっていったのです“・・・と記されている。

吉野ヶ里遺跡の北の区画に首長墓ができたのは紀元前100年ころである。その首長墓の手前に柱があるが、それ以前は集落の真ん中に柱がたっており、その集落を全部疎開させて首長墓をつくったことが分かっている。

(吉野ヶ里遺跡)

過去NHKスペシャル「よみがえる邪馬台国」にて、吉野ヶ里遺跡放映場面に、柱の上に鳥を止まらせていた。学術的根拠があるのかないのか?ソッテや芦笙柱を想像させる光景であった。

曽根・池上遺跡や登呂遺跡から鳥の肖形が出土している。それは双方ともに遺跡の周辺ではなく真ん中から出ている。登呂遺跡の場合は90cmもある翼をもった板でできており、胴体はかなり大きなものである。曽根・池上遺跡から出土したのは鳥竿であったと云う。鳥竿との見解にはやや抵抗感を覚えるが、学者はそのようにみていると云う。

原の辻遺跡は鳥竿(ソッテ)のごとき柱を2本たて(ココ)て、集落の入口の門にしている。考古学的裏付けのもとに復元しているのであろうか? ソッテを意識していることは間違いなさそうだ。

(曽根・池上遺跡出土鳥形木製品)

諏訪春雄氏は、鳥の信仰と題して以下のように延べておられる。“鳥が現世と他界を往来する。日本では葬送儀礼と結びついて鳥の信仰が在る。天の鳥船は死者の魂を運ぶ。あるいは古墳時代の鳥形の埴輪。そのように鳥には死が結びついている。ところが一方では生命とか誕生とかに、芦笙柱は太陽の象徴である。それは日本にもあり八咫烏とか金色のトビには、そのような観点がある。誕生との結び付きでいえば、産屋を鵜(う)の羽で覆う事例がある。餅が白鳥になる。穀霊の象徴である。

出展:Wikipedia彦火火出見(神武天皇)が持つ弓に止まる金鵄鳥)

一方では生命とか誕生、片や死と葬送と結びつく。この両面が古い時代の鳥の信仰にあらわれている。柱と鳥、太陽が結びついている話であった

<了>

 


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