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Southeast Asian Ceramics Museum #16

2015-02-15 12:33:28 | 博物館・タイ
今回と次回はカロン陶磁を紹介したい。カロンは北タイ諸窯にあっては、特異な存在である。その鉄絵文様は、スコータイ、シーサッチャナラーイのように器面を覆い尽くすほどの繁辱さで、その淵源は磁州窯系の鉄絵文様である。
 これをもって、元寇の南下圧力に耐えられず、磁州窯の陶工が南下して来た。スコータイとランナーの戦乱時、スコータイとシーサッチャナラーイの陶工が、ランナーに移させられた・・・と説く、諸兄の説がある。これらは同時代資料に明記はなく(同時代資料そのものが存在しない)、400年以降後の年代記類を根拠にしたもので、当該ブロガーはこれに与しない。
 しかし、繁辱さにおいて似ているのは間違いなく、何らかの関連は認めざるを得ない。J・C・Shaw氏によれば、カロン諸窯へ行くには、Mr.Praya Nakorn Prah Ramが1933年にカロン古窯址を発見した当時は、チェンマイから直接行くことはできなかった。チェンライから比較的整備された道を2日間、山越えの悪路を3日間、合計5日間で、それはメー・ラオ川に沿った行程であり、メー・ラオ川はチェンライを経てチェンセーンでメコンに注ぐ。つまり中世の移動は谷筋にそってのことで、山越えは困難を極めた。カロンの東の谷筋はワンヌア、西の谷筋はチェンマイ盆地である。つまりカロンとこれら所在の窯との交渉は、少なかったことが想定される。それが北タイ諸窯のなかでのカロンの独自性を維持したものと考えている。
 前置きがながかったが、最初に紹介する広口壺が、中国を思わせる典型である。


 裾には、これでもかと思うほどに簡略化された連弁文、胴中央には六弁の花、周囲に蔓唐草が器面いっぱいに描かれている。これは人的往来云々は別として、何らかの関連を感じざるを得ない。




 いずれも繁辱さを地で云っているような絵付けである。いずれの文様も良く見かけるが、下から2番目の文様は珍しく盤径も大きく、文様に弛緩がないことから銘盤である。





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