過日、3カ月ぶりの京都である。今回は古代タ二ハ王国の故地である但馬、丹後経由で行くことにした。
出石神社
但馬一之宮。天日槍(あめのひぼこ)を祀る。垂仁朝に奉持していた八種(やくさ)の神宝を八前大神として祀ったとされる。天日槍は新羅から渡来したとされる。天日槍の子孫が田道間守(たじまもり)とされている。
『播磨国風土記』は、天日槍と葦原志許乎命(大国主命)が宍粟の土地を巡って争ったと記している。その後、播磨国宍粟邑から莵道河(宇治川)を遡って近江国吾名邑に滞在し、近江から若狭を経て但馬国に至ったと云う。
田舎・出雲から山陰道経由で海をみながら但馬に至ると、天日槍は何故、瀬戸内経由但馬に至ったのか理解できない。新羅からダイレクトに但馬に至るのが筋道と思われるが・・・。
袴狭(はかざ)遺跡出土線刻板絵 4世紀初
いずし古代学習館にて上掲の板絵を見た。大船団の板絵の一部を拡大して写した。上掲の天日槍もこのような船団を組織して、新羅から但馬に渡海したものと思いたい。
辰鼓楼
出石と云えば、辰鼓楼と出石蕎麦。辰鼓楼は出石城三の丸大手門脇の櫓台に、時刻を知らせる太鼓を叩く櫓として建てられたとのこと。出雲蕎麦の味に慣れている者にとっては、出石蕎麦はイマイチか。
立岩
間人(はしうど)皇后と聖徳太子幼年像
伝承によれば、第31代・用明天皇の后である間人皇后とその子・聖徳太子が、この地で鬼退治をした時、一夜のうちに天から降りてきて、この大岩に鬼を封じ込めたという。柱状節理が素晴らしい。
与謝野町立古墳公園 作山1号墳から2号墳方向を望む
これが見たかった。温江(あつえ)遺跡出土の鶏冠人面土器片(弥生後期)である。鳥装の人たちが南海から丹後半島に遣って来たとの想念に駆られた。
元伊勢・籠神社
倭宿祢命像
倭宿祢命は彦火明命(海部宮司家先祖)4代目にあたり、神武東征伝承で神武が明石海峡に到着したとき、亀に乗って現れ案内をしたという。
京・太秦 木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社
元糺ノ池の三柱鳥居
木嶋坐天照御魂神社は別名・『蚕の社』とされている。それは本殿の右側に養蚕神社が建っていることによる。秦氏との関連が取沙汰されている。
三柱鳥居は大変珍しい。泉が湧く場所を神の宿る場所として鳥居で囲んだ。祭神である天御中主神が降臨する処と云われている。
<了>
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