或る日、骨董店を覗くと、写真の唐子図杯が2対ショウケースに鎮座していた。みると超薄胎で絵付けは、繊細そのものである。高台をみると「愼徳堂製」とある。この愼得堂とは何者か知る由もない。当日は購入をあきらめて帰宅し、調べてみると、清朝嘉慶・道光年間の皇族の雅製で、款の多くは抹紅色、金色で描いたものもある・・・とある。但し堂斎銘款の図鑑もなく、本歌かどうかはっきりしない。しかし、精作そのもので倣作だとしても、それなりの気品があり購入した。
抹紅色、金彩で描かれた愼徳堂製銘である。倣作とすれば、あまりに手が込んでいるだけではなく、精作そのものである。
これは、先に紹介した”清代瓷器賞鑑”の堂斎款図鑑である。字体に弛緩はみられない。当該唐子図杯の字体にも弛緩はない。
しかし、素人判断以外の何物でもないが、これは民国初期・精作である一群の倣作であろう。当時は清朝末期の官窯の職人は健在であった。清朝崩壊とともに彼らは否応なく職を失う。それらの職人の生活の糧としての品々と考えている。
抹紅色、金彩で描かれた愼徳堂製銘である。倣作とすれば、あまりに手が込んでいるだけではなく、精作そのものである。
これは、先に紹介した”清代瓷器賞鑑”の堂斎款図鑑である。字体に弛緩はみられない。当該唐子図杯の字体にも弛緩はない。
しかし、素人判断以外の何物でもないが、これは民国初期・精作である一群の倣作であろう。当時は清朝末期の官窯の職人は健在であった。清朝崩壊とともに彼らは否応なく職を失う。それらの職人の生活の糧としての品々と考えている。