まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

気の重い話

2008-12-11 | 随筆
朝から喧騒の中で自堕落にパチンコをやっていたら、携帯に発信音があった。京都に住む兄からである。「なんか、あったか」、今時の電話に心配になって騒音の中で電話を受けた。「パチンコかあ」。向こうにもチンジャラの騒音が聞こえるのだろう。いつもならすぐ外に走ってでるのだが、丁度大当たりした時で席を立てなかった。「すぐ、折り返し、電話するよ」「よっしゃ」。兄の声のトーンでは、悪い知らせでもないようだ。ぼくは玉が一通り出たところですぐ外に出て電話を掛けなおした。「おにいちゃんが一生懸命なのに、ごめんなー、パチンコみたいな自堕落なことしてて」「いや、悪い知らせとちごうて、いい知らせや。昨日お前が言ってたように、今日来たケースワーカーの人に聞いてみたら、四人部屋やけど、入れそうなんや」。昨日兄貴に言ったことというのは、「老人ホームはケースワーカーに事情をよく説明すると優先的に入れてくれることもある」ということをカミさんから聞いて、そのことをメールで送ったことだった。もう10年も前のことだが、カミさんのお母さんをぼくらは引き取って一緒に住んだことがある。85歳で一人住まいしていた母親からある日「隙間から蝶蝶が一杯入ってくる」と冬の寒い夜に電話があった。来るものがきたかな、ぼくらはすぐ母親の元に駆けつけた。「ほら、あの隙間から蝶蝶が一杯入ってくるの」「そうか、大丈夫だよ。ほら、新聞でつめておいたから、もう入らないからね」。明らかに認知症だった。このままじゃマズイと、当時アパート住まいで狭かったけど、ぼくらは母親を引き取って一緒に暮らすようになった。ところが、一ヶ月ほど経って、カミさんのストレスが頂点に達してしまった。カミさんが8歳の頃、家族たちは群馬県草津に住んでいて、母親が長女を連れて、家を出て東京にいってしまったのだ。そのことをカミさんは根に持っていて、「私もお母さんと一緒に行きたかったのに、どうして、あの時、私を捨てたのよお」と大声で詰め寄った。カミさんの家庭もいろいろ事情があって、時折話には聞くが、ぼくも体験したわけでなく、実感がつかめない。母親は「そんなこと、いまさら、言われても・・」、温厚で我慢強い母親は言葉に詰まっていた。別室で「おい、いまさらそんな話を蒸し返してどうなるっていうんだ、もう、あの歳だよ、許してやんなよ」。「あなたは関係ない、黙ってて」。カミさんは同居のストレスも加わって感情が頂点に達していた。結局、同居は難しくなって、その時に老人ホームをいろいろ捜し、それぞれ申し込み順なので、出来るだけ多くの老人ホームに声を掛けておいたほうが入居しやすいこと、ケースワーカーに事情をよく相談したほうが場合によっては入居を繰り上げてくれることなどを知っていたわけだ。それを兄貴に昨日メールで入れておいたのだ。兄貴は認知症の母と、障害者の長男と京都で三人で暮らしている。兄貴もバテ気味だった。ところが昨日気遣っていた母と長男がケンカとなり、とうとう同居が難しくなってきたという知らせがあった。兄も事前に老人ホームに申し込んではいるが、空き待ちでいつ入れるか分からない常態だった。それが、ケースワーカーに相談して、すぐ入れるかも知れないという。「そっかー、おにいちゃん、よかったなあ」、ぼくは電話でそう応えた。しかし、本当に心が重い。兄貴だって、ぼくだって、本当は、ホームになど、母親を入れたくはない。まるで姨捨山を捜しているような気持ちになってくる。本当に辛い話だ。しかし、それしか道はない。共倒れになってしまうからだ。四人部屋で、カーテンで仕切ってあるホームというが、感情過多で人嫌いの母が、果たして共同生活をうまくやっていけるかどうか、次はそれが気がかりである。そして、ほくは、親不孝だ。



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