まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

人生の失敗は外にあるのではなく、その人の性格にある(3)

2008-08-21 | 随筆
もうひとりは、カミさんの同級生のホソノさんだ。ホソノさんは解体業を営んでいて、バブル時代は豪邸に住んで、羽振りもよかった。人のめんどうもよく見て、八王子の暴走族を取りまとめて仕事をさせたりしてたらしい。ところがだんだん景気が悪くなったらしく、その上、去年国税庁が入り、税金を払えとさらに追い討ちを掛けられた。奥さんとは慌てて偽装離婚し、会社は倒産、一人アパートに住むようになった。今年になって、もう一度再起を図ろうとしたが、奥さんのほうの名義にした財産は奥さんがシャッターアウトして、事実上、偽装ではない離婚となった。今年の春になって、同窓会の後、うちのカミさんだけにその事を話しして、ぼくはその事を知った。二週間ほど経ったある日の夜、ホソノさんは、カミさんを尋ねてきて、同窓会で映したビデオを持ってきてくれた。カミさんは、ぼくに「所持金がもう250円しかないの。これからどうするつもりかしら。50万円あったら、なんとかなるって言ってたけど・・」。ぼくは今日中に50万円なんとかするから、明日の朝とりにくるようにホソノさんに連絡をとれとカミさんに言った。たぶん50万円ぽっちで再起は難しいと思っていたが、寿命が一ヶ月でも延びればと思って、次の日「これは、香典の前渡しだから、返済も領収書もいらないから」と初めて会うホソノさんに渡した。「すみません、大事に使います」そう言って、ホソノさんは去っていった。「おい、アパートに一度電話してごらん」、二ヶ月ほど経って、ぼくはカミさんにそう言った。「この電話は使われてませんって。携帯もつながらないわ」。「やっぱりなー、たぶん、もうアパートにはいなくって、どこか富士の裾野にでもうろついているんじやないかな」、予想通りとは思いながらも、どこかで生き延びていてくれれば、と願った。
もうひとりは、今も近くの河原でホームレスをしているシゲちゃんだ。シゲちゃんはカミさんの行くカラオケスナックの常連だった。音大を出ているだけあってカラオケは昔の歌を歌わすとうまかった。教師をしていたらしいが、ケンカをして辞めて、それから離婚し、八百屋に勤めたり、中華そば屋で働いたりしていたが、長続きせず、いつの間にかホームレスになっていた。いつも健康のためにウオーキングする河原にシゲちゃんのテントがあり、定期的に堰のコンクリートで集めてきた空き缶をつぶしている。ある日、カラオケスナックにシゲちゃんが来て「オレ、ホームレスやってんだ」とあっけらかんとしていたという。夏はテントの中にムカデが入ってくるので、昼間は図書館に出入りしている。空き缶は近所の集積所に回収日の前日の夜に回れば、いくらでもあるという。それをつぶして、自転車で回収業者のもとに持っていけば2500円になるらしい。最近、テントに市から撤去の張り紙が貼ってあったと常連客が言っていたが、シゲちゃんも河原にいつまでいられるだろうか。
最後にあげるのがクロちゃんだ。クロちゃんは糖尿を患っていて、インシュリンを打っている。運送のドライバーをしていたが、飲酒運転でジコってから、無職となり、パチンコ通い、瞬く間に借金が膨らんで、聞いてみた時には、サラ金などから700万円も借りていた。ぼくは自己破産の手続きをするように弁護士を紹介した。自己破産手続きが完了し、ようやくサラ金の取立てがこなくなった。今は、深夜に運転代行の仕事をして、なんとかやっている。
今まで取り上げてきた人たちに共通するのは、人はいいけど、脇が甘いということだ。いずれも憎めない人たちだが、落ちるべくして落ちた、という性格上の必然性がある。
人間は勿論、どんな人間も完璧ではない。しかし落ちていく人たちには、自分への甘さが性格となって付きまとっている。その性格を変えない限り浮上することは難しい。悲しいことだが、傍は見ているほかはない。自分の性格に気づき、その性格を直し、自らの力で変貌するしか道はないのである。みんな、元気で、とにかく何処かで生きていることを願っている。


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