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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

男達は過剰を目指す。ヘルツォークのシネマ#11 「キンスキー、我が最愛の敵」

2011-08-10 | Weblog

■製作年:1999年
■監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
■出演:クラウス・キンスキー、ヴェルナー・ヘルツォーク、クラウディア・カルディナーレ、他

ヴェルナー・ヘルツォーク監督と俳優のクラウス・キンスキーの出会いがなけれな生まれ得なかった奇跡のようなとまで言ってしまうと大袈裟なのかもしれないが、稀有なという表現は間違いではないだろう映画「アギーレ 神の怒り」と「フィツカラルド」。まさにこの二作品は二人の強烈な個性が光り輝いた作品だったと思う。クラウス・キンスキーの死後にヘルツォークの手によって作られたこのドキュメンタリー映画を見ていると、この二人は運命の糸によって結ばれていたし、出会うべくして出会ったのだと思ったのでした。

 

この作品には「フィツカラルド」の撮影現場でキンスキーを写した映像があったのですが、プロデューサーに金切り声をあげて罵声を浴びせ倒していました。それを静かに見ている船を引き上げた原住民達。ヘルツォークによると原住民は監督を守らなければならないと思っていたらしくキンスキーを殺害するという意志まで持っていたといいます。そうした意志の暴発直前の場面(映画の)が、そこに流れるのですが、そうした裏話を聞いてそれを見ると異常な緊迫感に溢れています。とにかくこの作品を見ている限りでは、キンスキーは我がままの暴君で自分が中心になっていないと暴力は振るうは、騒ぐで現場はものすごく大変だったようです。ただ、ヘルツォークのコメントと関連づけてキンスキーを見ていると、彼は実際は極度の臆病で病的なくらい神経質、それを隠す虚勢を張る行為として極端な暴力や暴言による表現へと走っていたのではないかと思えてくるのも事実です。そしてこの過激なまでの感情の起伏と精神の状態がベースにあってこそ、他の俳優では絶対にまねができない狂気を帯びた演技を見せることができたんじゃないのかとも思えました。

 

ビックリするようなエピソードもありました。「フィツカラルド」の撮影の時、毒蛇に噛まれたスタッフがいて、もちろんジャングルの中なので医者など居ようもなく全身にその毒が回る前に、チェーンソーで足を切断したというのです。ただ事ではない状態で撮影はなされ、映画は完成していたのです。よくよく考えるとキンスキーの凶暴さもさることながら、実は冷静な顔をして淡々とキンスキーのことや撮影に関するエピソードを語るヘルツォークは、実はもっともしたたかというか、内側に狂気を抱え込んでいると言えるのではないかと思えてくるのです。陽の狂気がキンスキーならば陰の狂気がヘルツォーク。ヘルツォークは作品を創るためなら、周囲の迷惑など考えないキンスキーの破天荒さを迷惑だと言いながらも計算に入れて、キンスキーにしか作り得ない映像をきっちり撮り映画創りをしているのではないかと。スタッフが危険にさらされ足を失おうとも自らの映像を創ろうとする監督の内に秘めた狂気?

 

しかしそうした私の下世話な想像などを軽く超越したすごい映像がラストに用意されていました。それは蝶と戯れるキンスキーの映像です。蝶はキンスキーにじゃれているのです。全く警戒しない蝶、逃げて飛び去ることもありません。寧ろ戻ってくる。こんな映像見たことがありません。奇跡のような映像です。いろいろ問題児ではあったようですが彼の魂は私の凡庸な次元とはあきらかに違う次元にあったのでしょう。ビックリしました。キンスキーは選ばれし俳優なのでありました。

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