飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

怪異の世界#51・・・於岩稲荷・陽運寺(東京・四谷)

2009-04-14 | ワンダーゾーンの世界
鶴屋南北の描いた「東海道四谷怪談」のお岩さん伝説については、諸説がありその真相はあきらかでないといいます。昨日アップした於岩稲荷田宮神社の記事はお岩さん貞女説でありました。一方、南北の「東海道四谷怪談」が上演された2年後に町の伝説を集録して奉行に提出したものとして『四谷町方書上』というのがあるそうで、そちらのお岩さん伝説は田宮神社のものとは違い、お岩さんは伊右衛門の犠牲者となっています(そこには南北の歌舞伎の影響も多分にあると言われています)その話を田中聡著、荒俣宏監修の本「東京妖怪地図」(祥伝社・刊)から引用しました。昨日の話とその違いを見てみるのも一考かと思います。

“お岩さんは元来疱瘡のため片眼となった、醜婦であったという、父の伊織は同心だったが、永の患いで、万一このまま死ねば男の子はなく家が断絶してしまうと心配し、秋山長右衛門の媒酌により急いで婿に迎えたのが伊右衛門であった。伊右衛門は食いつめた浪人者で、御家人になれるなら醜婦でも我慢しようというほどにおもっていたようである。伊織はまもなく病死し、伊右衛門が三十三俵三人扶持の同心の家を継ぎ、田宮家の当主となった。

それから七、八年経った頃、伊右衛門の上役の与力、伊藤喜兵衛の妾お琴が妊娠した。困った喜兵衛の、金を付けるから誰かお琴を引き取ってくれないかという思惑に、乗ってきたのは伊右衛門だった。伊右衛門は媒酌人の秋山を計画に引き入れた。まず伊右衛門はお岩を虐待し、放蕩に明け暮れてみせた。耐えかねたお岩が秋山の元へ相談に行くと、伊右衛門を反省させるのにしばらく家を出てみなさいと、番町の旗本屋敷への奉公を世話される。

そうして後にお琴が入った。腹の子供はまもなく生まれ、やがて伊右衛門との間にも二人の子をもうけた。一方のお岩はなにもしらず奉公に精を出していたが、あるときそんな伊右衛門の噂を耳にして仰天、すぐさま四谷へ駆けだした。屋敷まで来て噂が本当だったことを知り、お岩は怒りのあまり鬼のごとき形相で走り去って、それきり行方不明になった。お岩さんの走り抜けた通りはそれ以来、鬼横町と呼ばれた。

その後、お琴や子供らが変死した。伊右衛門は悪病に倒れ、秋山夫妻は殺害された他、伊藤喜兵衛など事件にかかわったもの十八人が次々と急死して、ついには断絶になる家もあった。さらに旧田宮宅に入った者にも祟りが続いたので、享保四(1719)年に妙行寺で追善供養が行われた。”※田中聡著・荒俣宏監修「東京妖怪地図」(祥伝社)から引用

さてそのお岩さんですが、昨日アップした田宮神社の道路を挟んで斜め向かいにはもう一つもお岩稲荷(於岩稲荷)があります。両家は本家争いをしているようで、それはお岩さんの伝説が諸説あることも原因とか。これはこれで奇怪というか・・・。


於岩稲荷・陽運寺にお祈りする場合は、手を叩かず祈ります。お寺ということだからでしょう。

お岩さん縁の井戸。

於岩稲荷水かけ福寿菩薩。

お稲荷さんなので狐はつきものです。

毎月1日は、お岩さま開運祈願祭というのがあるようです。
You Tubeで見つけた陽運寺の映像です。


お岩さんの墓(西巣鴨・妙行寺)は昨年の8月に記事としてアップしたことがあります。←よろしければそちらもご覧ください。
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