先日の鳥山石燕の画集とともに買ってあったのが角川ソフィア文庫から出ている「桃山人夜話~絵本百物語~」という本。こちらは妖怪研究家の間では有名な本らしく江戸時代に桃花園三千磨(桃山人)という戯作者が書いたそうで、妖怪の絵は竹原春泉なる絵師が描いているとのこと。私は全くこの本が存在したことも当然ながら知らなかったのですが、読んでみると(口語訳で)これが意外と面白いのです。たとえば冒頭の白蔵主という妖怪を紹介する文には以下のようなことが述べられています。
『夫奇怪(それきくかい)は、己よりむかへて又己より滅せり。去れば、有らんかと疑ふ時はかならず顕(あらは)れ、なしと歓ずる時は更にあることなし。をのれにものすごしと思えば傘、のふるぼねも怪異の姿に見えて、手を出して招き口を開きて笑ひ、われにおそろしと思へば、松にかけたる草鞋(わらんじ)も首を延ばして笠のうちを覗けり。されば我慢なく豪情なく、扨はとおもふ一念もなきに於いては、鬼神といふとも其人のこころをさとることにあたわずとしるべし。』
つまり、妖怪、怪異な現象は、要は、心の持ち方次第でどうにでもなるのだ。怖いと思えば目の前のものがなにやら奇怪なものに見えてくるのだと言っている訳です。これって、今の感覚と変わるとこがないように思います。もっと言えば、妖怪は人の心のなかに住んでいるのだと言えるのかもしれません。であれば、語り継がれてきる妖怪の話は日本人の集合的無意識の投影なのかな~なんて想像力を飛躍させてみたりもします。あるいは「飛縁魔」なる項は男が女に迷い身を滅ぼすことを指した奇怪を意味しており「飛縁魔」は『外面似菩薩内心如夜叉(女性の顔は美しく見えるが、その心の内は恐ろしいものである)』であり、『けせうとは化粧ふことなり(化粧とは化け粧うことである)』なので、女に心を奪われてはいけないと戒めているのです。こうしたことも人のことであり、魔物はやはり心に住むものであると言っているのでした。一番恐ろしいのは人間だということ、よく言われることですが…。
桃山人夜話―絵本百物語 (角川ソフィア文庫) | |
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