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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

精神の極北そして鬱の森#1・・・映画「アンチクライスト」(監督:ラース・フォン・トリアー)を見た

2012-03-09 | Weblog

■製作年:2009年

■監督:ラース・フォン・トリアー

■出演:ウィリアム・デフォー、シャルロット・ゲンズブール、他

 

ラース・フォン・トリアー監督の最新作「メランコリア」は日が経つにつれ、あれは壮大な心理ドラマなのではないか?近づくメランコリアという巨大惑星=欝の塊、登場人物は私自身の様々な意識の側面、ならば地球は自己そのものか?という考えが浮かんでは消えていく…。もっぱら気分をどちらかというと憂鬱にさせるラース・フォン・トリアー監督の映画を見てきた私ですが、一番最初に見た彼の作品(「アンチクライスト」)をもう一度見てみようという気になりました。なんせその映画を見た時はここまで徹底して心の裏側を描いた監督とは知らなかったので。何が気づきがあるとそれも面白いなということになるわけです。

 

トリアー監督のあいかわらず映像のセンスは抜群にいいのがわかります。特に冒頭のハイスピードカメラを駆使したプロローグ映像は唸ってしまいます。モノクロというところが更にいい。夫婦がセックスに夢中な時に子供が一人歩きして2階から落ちて死んでしまうというものですが、子供の墜落死と妻のエクスタシーが同時に描かれています。性と死、エクスタシーが上昇する感覚があるならば、死は下降するベクトルがある。性によって生命が誕生するならば、その誕生させる行為の時に自ら産んだ命を失ってしまう。音楽はヘンデルの「私を泣かせてください」。強烈な映像でした。

 

この映画のタイトルは「アンチクライスト」、つまり反キリスト教ということ?ならば、キリスト教の禁欲主義と貪欲な性的欲望は対立する軸にある。キリスト教にとって肉欲が悪魔とすると、悪魔的な存在へと変貌していく子を失った妻は性的欲望が子供の不慮の死によって道徳的な抑圧をはじめ様々な要因がからんできて幾重にも捻れてしまったいびつな欲望そのものを象徴しているのかも知れません。原題の「アンチクライスト」のTは女性のシンボルマーク、妻は性的欲望が捻れに捻れて悪魔的存在へと変貌した反キリスト者なのか?私はこの映画にまたしてもニーチェの影響を見てしまいます。ニーチェが暴き出したルサンチマンによる世界の見方を監督は一つの方法論として身につけているように思えてなりません。

 

とにかくも後半になってくるとホラー映画テイストになってきて救いがなくなってきます。妻は自分の暗黒面を全開させ自慰に獣のようなセックスと夫を独占する性的な怪物へと化していき、暴力を含むおぞましい場面へと展開していきます。そして問題の場面、快楽の象徴的部位の切断。自分の性器をハサミで切断するという、ブニュエルとダリによるシュルレアリスム映画の名作「アンダルシアの犬」の眼球切開に匹敵する嫌悪感走る映像。日本では映像にぼかしがかかっておりモロに映ることはなかったのですが、ブチッというハサミによる切断の音に虫ずが走らずにはいられませんでした。

 

激し過ぎる女を演じたシャルロット・ゲンズブールはこの「アンチクライスト」でカンヌ映画祭の主演女優賞をとっています。それも頷ける超熱演、一体、日本の女優でここまでやれる人がいるのだろうか?後味はけっしてよくはない重い映画という印象は映画館で見たときとかわりませんでした。

 

◆2011年4月に書いた過去記事◆-----------------------------

 

人間の狂気の部分、闇の部分を見せられたような胸が苦しくなるおぞましさも漂う何とも言えぬ作品でした。とはいいながらもコケ脅しが先行する映画ではなく、非常に作品性も強く芸術性も高い重厚な作りがの映画でありました。おそらくこの「アンチクライスト」は、いろいろな見方が可能であるということ、それにより評価や好みが極端に分かれるのではないかということ、そして何よりもタイトルに象徴されているように西洋的な概念、文化をよく知っていないと感覚的にわからないところもあるのだろうなと思えるある意味で難しい観念的な映画でありました。だからではないのですが、どうこの映画について書けばいいのか、言葉がなかなか出てきません。キーボードを打つ手を止めることしばしばです。

 

映画はモノクロームの超スローモーションで、雪がしんしんと降る夜、ある夫婦が愛し合っている様子を捉えます。そこにはその夫婦の子供、まだ赤ん坊、がいて部屋を徘徊し窓の方に向かっていきます。夫婦は自分たちのセックスに夢中で子供を転落死させてしまいます。その間、映像は先に書いたように超スローモーションで描き監督の映像美学が垣間見ることができ、バックにはヘンデルのアリアが流れています。自分を責める母親はだんだんと精神に変調を来たし始め、カウンセラーである夫は病院に行かずに、自分がカウンセリングしてやるということに。その会話の中で、夫は怖い場所は何処だと催眠療法で問いかけ夫婦は、エデンと呼んでいる森の中の小屋へと向かうことになります。一番怖いところと感じている場所に行ってその感情を克服して精神の安定と回復を求めようとするのです。しかしエデン=小屋は、楽園などではなく悪魔の場所であった?それを予見するかのように森向かう途中の車中の窓には一瞬サブリミナル映像のように歪んだ女の顔が浮かぶ……。

 

出産途中の鹿、激しい音を立てて屋根に落ちてくるどんぐり、メキメキと音を立てて崩れる木、カオスが支配すると囁くキツネなど小屋の周りでは超自然的な現象により、根源的な恐怖感を煽り立てます。妻の精神の不安定さは収まらず、それを紛らわすかのようにセックスを求めます。セックスという行為も根源的なものであることは間違いなく、何かこう奥深いものというか、内側のさらに内側のドロドロとしたものが渦巻いている。そのカオスを表出させるのがこのエデンであるように感じられます。第三章以降は人の内側に潜む狂気が一気に露呈しおぞましい場面が続きます。

 

何と言ってもショッキングなのは、妻は狂乱の中自らの性器をハサミで切断するところ。バシッという音が不気味に響きました。また驚きなのは勃起したまま下腹部を強打させ気絶している夫のナニを手でしごき血まみれの精液を射精させたところ。あるいは根を剥き出しに立つ森の中の大樹で全裸になり激しく性器を刺激しながらオナニーをする妻、どれも性に纏わる過激な表現で生と性が激しくぶつかり合い影響しあい人を理性とかそうした次元を超えてつき動かしているというのが痛いまで見えてくるのです。ドロドロとした心の奥深い闇、本能のエネルギー、それはけっして美しいもの、きれいごとだけでは捉えることができない善悪渾然としたもの。妻が悪魔学の研究をしていたというのも重要な要素なのでしょう。悪魔とは闇であり、超自然であり、性の根源的な部分に潜む暴力であり、それは人の心に同時に巣くっているもの。一皮も二皮もベロリと剥がされどうだと言わんばかりに突き付けられるのは重苦しい気分以外の何物でもありません。そして、妻は狂乱の尋常ではない叫び声で逃げた夫を追いかけます。これは怖かった。見事な演技であったといえます。

 

映画の後半はときかく異常な行為の連続でただただ目を見開いて見ているのみ、唖然とさせられました。この映画が公式作品としてカンヌ映画祭上映された後、称賛の拍手と嫌悪のブーイングが入り乱れたというのもあながちわからなくありません。それほどに衝撃的な映画であったのです。この映画がどうボクの中で消化されていくのか……、間違いないのは重量級の作品であったということ。

 

 

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