◻️555『岡山の今昔』岡山人(20世紀、横溝正史)

2021-10-01 06:45:44 | Weblog
555『岡山の今昔』岡山人(20世紀、横溝正史)
 
 横溝正史(よこみぞせいし、1902~1981)は、推理作家だ。神戸市の生まれ。薬種業を営む父親の故郷は、浅口郡船穂町柳井原(現在の倉敷市船穂町柳井原)であり、岡山とつながる。
 中学生時代から推理小説、中でも探偵物に興味を抱き、読みふける。創作も試みていたのかもしれない。
 1921年(大正10年)には、雑誌「新青年」の懸賞に、「恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)」にて応募し、めでたく入選する。
 その後、大阪薬学専門学校(現在の大阪大学薬学部)に進学する、まずは食べていかねばならないと考えたのではないだろうか。卒業後は、実家の薬種業に従事する傍ら、探偵小説の執筆に精を出す。
 そのうちに江戸川乱歩に才能を見出され、その勧めで1926年(昭和元年)に上京して、出版社「博文館」に入社する。会社では、「新青年」の編集を担当したという。おりしも暗い時代の足音が繁く、1933年(昭和8年)から1939年(昭和14年)まで、長野県にて療養して暮らす。そのことで、戦争に召集されないでいた。
 それでもひるまず、戦時中は当局からの探偵小説に対する圧迫で捕物帳を発表する。1945年(昭和20年)には、東京から総社へ、さらに岡田村桜(現在の倉敷市真備町)へ疎開する。終戦直後から「トリックの鬼」と化す。1948年(昭和23年)に東京へ戻るまでの間、金田一耕助初登場の「本陣殺人事件」を始め、以降、次々と新作をものにしていく。

 それらの作品中での名台詞としては、沢山ありすぎて選ぶのに困るのだが、しいていうなら「犬神家の一族」の中での「思えば、たとえ善意に発したことでも、いったん処置をあやまるならば、どのような大惨事を惹起させぬでもないという、これがひとつのよい教訓になるであろう」あたりだろうか。

(続く)

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