新269◻️◻️『岡山の今昔』内陸部での新田開発など

2021-06-24 21:43:13 | Weblog
新269◻️◻️『岡山の今昔』内陸部での新田開発など

 内陸部での新田開発を巡っては、美作森藩が、積極的に挑んでいたようだ。
 そもそも山間部の多いこの地域においては、耕作しやすくて肥沃な平坦地は限られており、収穫を増やすために、新田開発、それに加えるに、荒れ地の開墾や用水、ため池、井堰(いせき)などが奨励された。
 これらのうちもっとも馴染みのあるのは、やはり新田開発なのだろう。美作の場合、江戸時代に入っては、吉井川とその支流の宮川、加茂川、佐良川(さらがわ)などの川沿いの低地に、新田開発がなされていく。山間部でも、ある程度の広さの山腹ないし谷間が見られる所では、斜面を削るなりもして、某かの耕地を作り出していく。

 特に、棚田(たなだ)ということでは、農家としては手っ取り早く耕地面積を拡大できよう、それは、美作にとどまらず、久米の辺りまで、江戸時代からの田畑もかなりの広範でそこそこに見られるのではないだろうか。


(続く)

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