新552♦️♦️414『自然と人間の歴史・世界篇』日本への原発投下の理由(諸説の検討)
それにしても、なぜアメリカは日本に2発の原爆を落としたのだろうか。また、アメリカが原爆を投下するのは、なぜ日本でなければならなかったのか。その理由については、戦後、さまざまな語られ方にて、現在に至っている。それらの中では、あの時、悲惨な戦争を終わらせるにはそうするしかなかったとか、目前に来ていた日本への上陸作戦に不可欠であったとか、などである。
ここでは、そんな中から、原爆を実際に投下した軍人がどう考えているかを、しばし紹介しよう。
「日本からポツダム宣言に対して初めて検討に値する回答が返ってきたため、アメリカは日本に対する攻撃を一時的に弱めて、降伏のために時間を与えることにした。Bー29による攻撃は中断された。トルーマン大統領は、原子力兵器の使用を許可した以前の命令を撤回した。彼が再度特別な許可を与えるまでは、原子爆弾は投下してはならないことになった。
マンハッタン計画の最高責任者であるレスリー・グローヴズ将軍は、これとは別に、自分の許可なくしてプルトニウムが輸送されることを禁じた。日本の頑固さとは対照的に、我々の政治的・軍事的指導者たちは、日本の指導者たちの回答を待つあいだは、通常爆弾あるいはその他の方法によって日本人に対してこれ以上の制裁を加えるつもりはなかったのだ。爆弾の代わりに、第20航空軍は何百万枚というビラを落とし、日本人市民と兵士に対し、確実に破壊されることを考えて降伏するように強く勧めた。
しかし日本の軍事的指導者たちはまだおさまらなかった。市民と兵士とあいだに広がっていた降伏の噂を打ち消すために、日本の軍部指導者たちは戦場にいる兵士たちに、戦いを続け、敵を叩きのめすことを命じた。」(チャールズ・W・スウィーニー著、黒田剛訳「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」原書房、2000)
しかしながら、そうした理由付けでもって、アメリカ大統領は、かくも残酷な無差別殺戮の決断を、最終的に下すものであったろうか、そのように問いかけると、たとえそういう部分かあだたとしても、全体的に一番の正しい原爆投下の理由とは言えまい。
そもそも、この問いに答えられる人の多くは21世紀に入った現在、すでに故人になっていて、今テレビに出演するなどして、「あのときはこういう力が働いた、証拠はここにある」などと述べてくれるものではない。したがって、誰もが納得できるようなその結論は、出ていない可能性が広がりつつあるのだから、今日、あれは「複合的な要因が合わさっての出来事であった」として片付けても、その論者が大きな非難を浴びることはないのかもしれない。とはいえ、時を経るにつれ、以前は明確でなかった空白の点のいくつかが新手の情報なり思索により「あぶり出される」というか、新たに繋がりあうこともあったりで、今日ではかなりのところまで肉薄できているのではないか、と感じられる。
新たに加えられたものとしては、次の二つがあるのではないだろうか。その一つは、戦後を思い描く中でのソ連との対抗関係を中心として語るものであり、この範疇に属する最新のものでは、例えば次の論考がある。
「さらに状況を複雑にしていたのは、ソ連だ。佐藤から申し入れを受けておきながら、スターリンは、8月15日までに日本に宣戦布告するというトルーマンの要請に同意していた。これは、それ自体、おそらく日本の無条件降伏という形で戦争を確実に終結させる動きであるが、同時に、大平洋地域において領土を拡張する許可をソ連に与える動きでもある。
別の方法がある、とバーンズは主張する。ソ連が介入する前に、原子爆弾が、日本との戦争を終結させる方法を提供したのだ。アメリカ兵の人命が救われ、すでに長すぎている戦争をついに終結させ、ソ連の野望を阻止し、軍事技術におけるアメリカの優位を明快に示し、それによって戦後世界における強力な地位を確立できる。さらに検討すべき点があった。使われもしない兵器の開発に20億ドルを費やしたなど、戦争の歴史において前代未聞のことだからだ。
トルーマンとバーンズにとっては、容易に下せる結論だった。7月25日、トルーマンは日記に次のように書いている。
「この兵器が、日本に対して今から8月10日までに使われることになる。私は、陸軍長官のスティムソン氏に、使用に際しては、軍事施設と兵士、水兵を標的とし、女子どもを標的にするなと命じた。たとえジャップが野蛮で無礼、無慈悲で狂信的であろうとも、共通の幸福を目指す世界の指導者として我々は、日本の古都にも新しい都市にも、この恐ろしい爆弾を落とすことはできない。
彼も私も同意見だ。標的は、純粋に軍事的なものとし、ジャップには降伏し、命を大切にしろと警告文を出すつもりだ。彼らは降伏しないだろうが、チャンスは与えたことになる。ヒトラー陣営もスターリン陣営もこの原子爆弾をつくり出さなかったには、確かに世界にとってよいことだった。この爆弾は、史上最も恐ろしい代物のようだが、これを最も有益なものにすることもできる。」」(ジム・バゴット著・青柳伸子訳「原子爆弾1938~1950年、いかに物理学者たちは、世界を残虐へと導いていったか?」作品社、2015)
もう一つ、こちらは新兵器を獲得するに至った人間の心理から演繹して、事柄の本質を衝こうとするもので、簡単にいうと、こうなるであろう。
それまで原爆の人体への効果は分からなかった。落として初めて、そのなんたるかが分かるというものだ。それだから、むしろ実験を現実に移す絶好の機会だと考えていた、言い換えると、政府と軍がともにこの稀代の新兵器の威力を試すためであったとしても、不自然ではあるまいと。
また、このことは、前述のジム・バゴットの論考において、「さらに検討すべき点があった。使われもしない兵器の開発に20億ドルを費やしたなど、戦争の歴史において前代未聞のことだからだ」という下りとも密接に絡みついているものと考えられる。
(続く)
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