○○472『自然と人間の歴史・日本篇1990年代後半の景気対策

2016-09-17 21:55:52 | Weblog

472『自然と人間の歴史・日本篇1990年代後半の景気対策

 1995年初め以降、民間企業設備投資は堅調な伸びを続けていました。95年度の伸びは7.4%の増加で、96年度を見ても9.1%増を記録していました。個人消費も回復し、この時期の景気を牽引しました。96年は5年ぶりに3%を超す経済成長に漕ぎつげ、バブル崩壊後、初めて明確な景気回復軌道に乗ったかに見えたものです。
 ところが、その設備投資は97年度に入ってから急速に落ち込んできたのです。まず、独立的投資が頭打ちになったこと。通信業や卸売り・小売り業の分野での設備投資が、規制緩和の効果の一巡で鈍化しました。2つめに、企業収益が4年ぶりに減収減益になるなど、キャッシュ・フローが減少。このなかで中小企業への金融機関の貸し渋りが取りざたされるようになりました。これにともなって、企業の中期的な見通しもはっきりしなくなってきました。
 このような景気後退が不可避になったのは、9兆円もの国民負担を増大させた緊縮予算といわざるをえません。政府は、消費税の引き上げ等の影響は4-6月で消えるのではないかとうそぶいていました。ところが、消費税引き上げ後は惨憺たるもので、97年3月頃からはっきりおかしくなり、そのまま97年末にかけて景気は底割れしたのです。
 97年の株価下落は、経済がおかしくなったのに敏感に反応しました。96年6月25日政府が消費税引き上げを閣議決定したときから下がりはじ
め、97年になるとそのペースが増し、97年11月末まで下落を続けました。
 95年7月、新進党が参議院比例区で躍進、9月には自民党総裁選で橋本龍太郎氏が総裁に就任、96年1月には禅譲の形で橋本自民党首班内閣が発足しました。 
96年10月の総選挙で、96年1月に衣替えしたばかりの社会民主党は一気に15議席まで議席を減らしました。96年12月には村山氏から土井たか子氏へと委員長が交代しました。
 公共事業の規模は90年代後半になるとさらに膨らみました。
95年9月の総合景気対策は14兆2200億円の規模で、GDP比2.9%。減税ゼロ。公共事業費は9兆600億円。そのうち用地買収費を除いた、いわゆる真水分は8兆740億円。公共事業予算追加額は、国が4兆9766億円、しかし地方のそれ(決算額-地方財政計画額)はマイナスの3593億円の合計で4兆6173億円でした。
 98年4月の景気対策の総額は16兆6500億円で、過去の経済対策では最大となりました。その名目GDP比は3.3%の予測で、減税額は4兆6000億円。公共事業費は7兆7000億円。そのうち直接的にGDPを押し上げる費用として6兆5000億円が組まれました。減税については、97年度に1兆4000億円を確保しました。
 1991年度~2000年度までの国家予算・一般会計に占める公共事業関係費は一般歳出比で平均24%、総額で100兆円に膨れ上がりました。景気対策の総額は120兆円を超えました。
 政府は財源確保のために消費税率を97年4月からそれまでの3%から5%に引き上げました。国民総生産(GNP)に占める比率はいわゆる先進国のなかでトップレベルであるにもかかわらず、物価上昇分を差し引いた実質経済成長率はこの10年間の平均で1.6%にとどまっています。
 96年度末の国債残高は約240兆円に達していました。地方債の残高は約101兆円でした。地方自治体が組んだ景気対策としての地方単独事業によって、5年間でほぼ倍増していました。地方債とは、地方自治体が公共事業や財源対策として自治省の許可を得て発行するものです。資金運用部など政府資金が引き受けるものと、銀行に引き受けてもらうものとが主なもので、市場で自由に売買できる債券形式の地方債もあるが、大半は証書形式で、長期借入金とほとんど変わりません。
 続いて97年度の一般会計決算は、4年ぶりに1兆5000億円もの規模の歳入不足(いわゆる赤字決算)に陥りました。政府は97年春の消費税
率の引き上げで当初予算に比べ11.0%増の税収増を見込んでいたものの、特別減税の追加などを受けて税収を97年末の補正予算では8.0%
増の56兆2260億円に減額修正にしていたものです。
 それでも景気低迷に伴う企業の利益減や不良債権処理の処理の拡大などで1兆円以上見積もりを下回ったりしたことが大きく寄与したものです。これは、98年度の第2次補正予算で赤字国債を増発して赤字を処理する方針を出しました。不足分は、決算調整資金を国際整理基金から借り受けして穴埋めするにほかなりません。
 一方、97年5月、国と地方を合わせて500兆円もの財政赤字に危機感を抱いた政府・与党が分野ごとの歳出削減の数値目標を盛り込んだ「財政構造改革の推進方策」を纏めていました。98年予算編成を前にした97年11月末には財政構造改革法として制定し、以後の予算編成にたがをはめようとするものでした。
 その内容としては、次の8項目があります。
①2003年度までに財政赤字を対国内総生産(GDP)
②2003年度までに赤字国債依存から脱却
③社会保障費は、98年度予算での増加額を3000億円以下に、続く2年間の増加率は
前年度比2%以下に抑制
④公共事業費は、98年度予算で97年度比7%削減、続く2年間は全年度以下に抑制
⑤文教、防衛、中小企業対策、主要食糧関係、エネルギー対策は前年度比以下に抑制
⑥政府開発援助は、98年度予算で97年度比で10%削減、以降は前年度比以下に削減
⑦化学技術振興費は、98年度予算で伸び率を5%以下に、以降は増額を出来る限り抑制
⑧地方財政計画は、98年度予算で97年度以下に、以降も国と同一基調で抑制
 これを受けて策定された98年度一般会計予算では、まず総額77兆6692億円で前年度予算と比べ0.4%の微増にとどめました。政策的経費である一般歳出はというと、1.3%の減と11年ぶりのマイナス予算となり、公共事業に至っては同法の7%目標を上回る7.8%削減となっています。
 見過ごしてならないのが社会保障費の削減で、国庫負担を減らすため、薬価基準を5.7%引き下げたものの、診療報酬()は1.5%引き上げられ
ました。老人医療費の制度改正などによって国庫負担が削減される分は、サラリーマンの組合健康保険などが肩代わりすることになって、将来の
 保険料率の引き上げに含みをもたせる結果となりました。国立大学の授業料は99年度入学者から年額47万8800円に引き上げ。それにスライド
して在学者の授業料も自動的に値上げされるシステムがとられました。
 これで98年度予算における財政赤字はGDP比で9.7%となって、赤字国債の発行は7兆1300億円で済む。しかし、97年度当初に比べて
3400億円の削減となっただけで、2003年までの6年間で赤字国債の発行をゼロにする目標を維持するため、97年度で7兆5000億円に達している赤字国債を毎年1兆2500億円ずつ削減する目標は達成できていません。
 この原因としては、橋本首相が選挙対策もあって、突然2兆円特別減税を打ち出したことがありますね。特別減税の財源としては赤字国債で賄うしかありえず、とりあえず97年度補正予算で1兆円計上するものの、残りは98年度予算で賄う羽目に陥って、その結果赤字国債発行額が膨らんでしまったのでした。こうなると、99年度以降で、赤字国債を1兆4000億円強ずつ削減しなければならない計算になってしまったのです。」
(拙ホームページ「戦後日本の政治経済社会の歩み」)
 ともあれこれで財政赤字改革法の赤字国債削減規定との矛盾が避けられなくなり、恒久減税を実施するには同法の改正が必要との声が政府・与党の間でも出てきました。

(続く)

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