新322◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(18~19世紀、関鳧翁)

2021-06-26 14:08:01 | Weblog
新322◻️◻️『岡山の今昔』岡山人(18~19世紀、関鳧翁)

 関鳧翁(せきふおう、本名は関藤政方(まさみち)、還暦を迎えた頃に鴨の鳥毛入りの服を着るようになったことにちなんで鳧翁と号す、1786~1861)は、医者であり漢学者、歌人でもある。


 笠岡(現在の笠岡市)の吉浜村の生まれ。やがて京都へ出て、医学と漢学を学ぶ。その後に笠岡村に帰り、敬業館教授の小寺清先に国学を学ぶ。


 文政年間には、笠岡村で小児科を開業しながら、国学の研究や、歌人として活動する。


 評論としては、「傭字列」「声調篇」「言葉のかけはし」「春風消息」などがある。これらのうち「傭字例」は、日本語の音の韻尾「ン」と「ム」との区分を明らかにし、漢字の和音の誤りを正す役割を担う。
 と、今日でいうところの音韻学の先駆者でもあるというから、驚きだ。


 それから、歌集としては、「安左豆久比」「嘉平田舎詠草」、「梅歌千首集録」は菅原神社に奉納してあるという。
 時世の歌には、「わが魂の行へはいづくしら雲のたたむ山への松のした陰」とあり、風雅と市井の人々への慈愛を感じさせる。
果たせるかな、多様な才能を持ち、それでいて静かな佇(たたず)まいの人であるようだ
 福山藩で活躍した関藤藤陰は彼の弟にあたり、互いに尊敬する間柄であったのではないだろうか。

(続く)

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