♦️631『自然と人間の歴史・世界篇』ハイチ(1960年代~)

2018-11-13 12:01:17 | Weblog

631『自然と人間の歴史・世界篇』ハイチ(1960年代~)

 ハイチは、1492年にコロンブス船団のイスパニョーラ島発見により西洋に知られる。1697年にフランス領となる。1803年5月には、イギリスがナポレオンのフランスに宣戦布告し、11月にはフランス軍は撤退を余儀なくされた。1804年1月には、フランスから独立する。ハイチ共和国の名は、「山の多い土地」を意味するアラワク語をとったという(増田義郎・山田睦夫編「ラテン・アメリカ史1」山川出版社、1999)。

 「さあ、自前の国をつくろう」ということであったろうが、新たに黒人とムラート(混血)との間で主導権をめぐる対立が起こる。1806年、黒人将軍アンリ・クリストフが初代皇帝を殺し、1811年に国土の北部を基盤として王位に就く。1820年、その黒人王国が消滅する。

 1915~1934年には、米国による軍事占領が行われる。1957年9月には、デュバリエ政権が誕生する。その彼は、1964年には終身大統領となる。1971年4月、その息子のデュバリエが大統領に就任する。  

 1987年4月には、憲法が発布される。1991年2月にアリスティッド政権成立。しかし、1991年9月軍事クーデターが起こり、アリスティッド大統領は国外に脱出する。  

 1993年6月には、国連安保理が制裁を行う。8月末に一時停止となる。1993年7月には、アリスティッド大統領の帰国に向け合意が成立する。1994年5月にいたり国連安保理が禁輸制裁を強化する。

 そして迎えた2010年1月12日、首都ポルトープランスから南西に25キロメートルの地点を震源として、震源の深さは約10キロメートルのところで、マグニチュード7.0の大地震が発生した。この地震により、約21万7300人が死亡した。負傷者にいたっては約30人に上ったといわれる。祖被災者たるや、国民全体の5分の1にあたる約210万人に及んだという。そんな中で、特徴的であったのは、少なくとも17万戸以上の家屋が損壊したことにあり、それらの多くは貧民層の住居であった。つまり、彼らの粗末な建物には満足な耐震が施されていなかったのだ。一方、富裕層の住居のほとんどは倒壊を免れたという。

(続く)

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