211の6『岡山の今昔』岡山人(20世紀、有元利夫)
有元利夫(ありもととしお、1946~1985)は、今や日本の代表的な画家の一人とされる。両親が疎開していた岡山県津山市の生まれ。男ばかりの4人兄弟の末っ子だという。
その僅か3ヶ月後、一家は戦前の住まいがあった東京都台東区谷中へと戻る。以前は、貸家業を営んでいたという。戦災でその殆どが焼失してしまい、彼の父は文具店を始める。上野と隣り合わせの谷中に住む。
そこで、一日の大概を過ごし、西洋美術館にも通う。東京芸術大学へ入ろうと、四浪し、5度目の挑戦でようやくデザイン科に入学を果たす。3年生になる直前の春休み、一か月近くヨーロッパを旅行を敢行する。フレスコ絵に出会う。仏画との繋がり、岩絵の具、箔(はく)の使用を考えたのだという。
有元利夫(ありもととしお、1946~1985)は、今や日本の代表的な画家の一人とされる。両親が疎開していた岡山県津山市の生まれ。男ばかりの4人兄弟の末っ子だという。
その僅か3ヶ月後、一家は戦前の住まいがあった東京都台東区谷中へと戻る。以前は、貸家業を営んでいたという。戦災でその殆どが焼失してしまい、彼の父は文具店を始める。上野と隣り合わせの谷中に住む。
そこで、一日の大概を過ごし、西洋美術館にも通う。東京芸術大学へ入ろうと、四浪し、5度目の挑戦でようやくデザイン科に入学を果たす。3年生になる直前の春休み、一か月近くヨーロッパを旅行を敢行する。フレスコ絵に出会う。仏画との繋がり、岩絵の具、箔(はく)の使用を考えたのだという。
帰国してからは、独自の道を歩んでいく。1972年の卒業制作が、大学買い上げとなる。1976年に独立してからは、絵画に限らず、素描、版画、木や鉄などにも、必要に応じてさまざまな作品を構築していく。
そこには、まるで周囲に多様な空間を幾つも持っているかのような、いうなれば、四隅を開口し、自由自在にそれらの境を踏み越えることが常であるかのような、さらに、ヨーロッパの中世の出で立ち、顔の輪郭にも、表情にも「ふんわか」「のびのび」さらには「ゆったり」したものが感じられる。
(続く)
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そこには、まるで周囲に多様な空間を幾つも持っているかのような、いうなれば、四隅を開口し、自由自在にそれらの境を踏み越えることが常であるかのような、さらに、ヨーロッパの中世の出で立ち、顔の輪郭にも、表情にも「ふんわか」「のびのび」さらには「ゆったり」したものが感じられる。
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