□223『岡山の今昔』岡山人(20世紀、内田百けん)

2019-03-12 09:28:22 | Weblog

 223『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、内田百けん)

 内田百けん(1899~1971)は、小説家、随筆家、それにドイツ語教授など、多才でしられる。岡山市内の生まれ。後年は、東京で暮らし、その間に家庭では色々あったようだ。文学の修練においては、夏目漱石の弟子としてあった。

 やがての、戦時中の暮らしにさいしては、根っからの軍隊嫌いがあったようだ。そのため、日本文学報国会には最後まで入会せず、気骨のあるところを示した。いうなれば、これにて嫌われることになっても、自分に正直に生きようというのであったろうか。 

 文学上の立場としては、あまり鮮明ではなく、まずは、室生犀星(むろうさいせい)に「「鶴」と内田百けん先生」という評論があって、なかなか当を得た作品評だと考えるので、しばし紹介したい。

 「つまり内田百けんの面白みというものは悉く小説的な表はし方であるために、興趣があり哀愁があるのである。その証拠には大抵会話がおもに挿入されて行って、読みよく滑らかさを活字の面に具えている。単なる随筆の堅苦しさを持っていたら、内田百けんはあんなに有名にならないはずである。

 といっても純粋な身辺小説であるといふことは断言出来ない。つまり彼の随筆があんなに面白いということは、随筆と小説の雑種児あいのこ文章であったからであろう。雑種児というものは人間にあっても必ず美しいものであり、特色の烈しい眉目を持つてゐるものであるが、内田百けんのアイノコ文章も誰も何もいはないけれど、どこまでも小説と」云々。

 小説の中では、「冥土」という短編がその作風をよくあらわしているのではないか。ふとした機会に、死んだ父を垣間見たようなのだが、それに気がつくうちに、その姿は幻影と化していく。だれにでも、たまにはありうることなのかもしれない。しかし、それを文章にすることにこそ、彼の視点が宿る。なんとも不思議な感性の持ち主だといえよう。 

 

(続く)

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