♦️72の2の2『自然と人間の歴史・世界篇』貨幣の出現と流通(その由来、マルクス)

2018-05-17 21:54:45 | Weblog

♦️72の2の2『自然と人間の歴史・世界篇』貨幣の出現と流通(その由来、マルクス)

 人の手でつくられ、世の中にあるものは、何事も最初が肝心だとか。貨幣が初めて出現したのは、かなり古代での出来事であったことだろう。その貨幣たるや、地球上の地域によって、さまざまなものがあったという。これをもう少しいうと、石やその類から、金属まであったらしい。
 とりわけ金属にあっては、刻印や形の整っていないとかで、その社会に出回っていたこともあったであろうことから、そんな自分にこれを受け取った者は、常々(つねづね)もしくは次第によっては、「どうか本物であってほしい」ということにもなっていたのかも知れない。
 そんな多様な形態をもって始まった貨幣を説明するには、どのように説き起こせばよろしいか。この問いに、最も系統だった回答をしているのは、科学的社会主義の提唱者として知られるカール・マルクスであろう。
 彼は、こう始めている。
 「誰でも、他のことはなにも知らなくても、諸商品がそれらの使用価値の雑多な自然形態ときわめて著しい対照をなす一つの共通な価値形態ー貨幣ーをもつということは、知っている。しかし、ここでなされなければならないことは、ブルジョア経済学によって一度も試みられなかったこと、すなわち、この貨幣形態の由来を証明すること、つまり諸商品価値関係のうちに含まれている価値表現の発展を、そのもっとも簡単な、目立たない姿から、まばゆい貨幣形態まで追跡することである。それによって同時に貨幣の謎も消滅する。」(カール・マルクス「資本論」第一巻)
 そこで貨幣がどのようにして導かれるかの理屈を説明すると、まずは「簡単な、単一の、または偶然的な価値形態」としてのx量の商品A=y量の商品Bというものを考える。これだと、商品Aは自分で自分を表現できない。だから、商品Bによってその価値を表現するしかないのだが、その場合、商品Bは商品Aの価値の鏡の役割をはたす。
 これの関係を商品Aからいうと、商品Bとの相対的な関係からその価値を表現するので、相対的価値形態の立場に身をおくであろう。これに対して商品Bは、価値の鏡として、等価として機能することから、等価形態の役割を担うであろう。
 この基本的な関係は、窮屈なものであって、より多くの交換をなすには、「全体的な、または展開された価値形態」へと発展しなければならない。式の例示でいうと、z商品A=u商品Bまたは=v商品C=または=w商品Dまたは=x商品E、等々。
 これからさらに、「一般的な価値形態」へと進む中では、y量の商品B=,z量の商品=C,w量の商品D=のそれぞれの右辺側が全てx量の商品Aへと集約される。つまり、その社会に出回るすべての商品が、単一の商品Aを唯一の価値形態とみなされるという、一商品が一般的な等価形態(第三形態)へと昇格する。
 こうして一つだけの商品がその社会の一般的な等価形態に這い上がるのは、ただその商品が、他のすべての商品によって、この商品世界のいわば共同作業とてして行われるようにったからだ。
 そこでいまこの一般から際立って区別された商品が、その商品の自然的性質が、等価形態の機能をはたすのに最も適しているとの理由から、一つにに限定されると、その商品はその社会の中で諸商品の等価形態として、社会的妥当性を獲得するにいたる。このような自然的特性と等価形態(社会性)という機能との結びつき、重なり合った特別な商品こそが貨幣商品と呼ばれるものであり、この究極の姿は金(きん)である。

(続く)

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