日々の暮らしの中で感じたことなど

2010-02-20 22:03:10 | Weblog
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拙ホームページ(2012月12月23日現在、全部で14本ありますが、いずれも作成途中につき内容は確定)しておりません)のアドレスを紹介させていただきます。


日本の政治経済社会の歩み
http://ktmhp.com/hp/maruo14

中国の政治経済社会の歩み
http://ktmhp.com/hp/maruo9

韓国の政治経済社会の歩み
http://ktmhp.com/hp/maruo10

ソ連・ロシアの政治経済社会の歩み
http://ktmhp.com/hp/maruo11

アメリカ政治経済社会の歩み(主要な出来事)
http://ktmhp.com/hp/maruo12

ヨーロツパ連合の政治経済社会の歩み
http://ktmhp.com/hp/maruo13

ASEAN(アセアン)政治経済社会の主要な出来事
http://www3.hp-ez.com/hp/maruo15/page1



インドの政治経済社会の歩み
http://www4.hp-ez.com/hp/india/page1

中東・アジアの政治経済社会の歩み
http://www5.hp-ez.com/hp/maruo19/page1


ブラジルと中南米諸国の政治経済社会の歩み
http://www5.hp-ez.com/hp/maruo17/page1

アフリカ諸国の政治経済社会の歩み
http://www5.hp-ez.com/hp/maruo18/page1

カナダ、オセアニアと太平洋諸国のけ政治経済社会の歩み
http://www5.hp-ez.com/hp/maruo22/page1

北欧・東欧諸国の政治経済社会の歩み
http://www5.hp-ez.com/hp/maruo20/page1

中央アジア諸国の政治経済社会の歩み
http://www5.hp-ez.com/hp/maruo23/page1




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第3話:「神」について、あなたはどう思いますか。

 私は現在58歳になりますが、最近では、おりにふれさまざまなことについて「ありがとうございます」とか「無事でありますように」とかの願い事を唱えつつ、よろずのことにつけ祈ることが多くなりました。
 祈るためにはただ漠然とそれを行うのではなく、その対象がなくてはならないのかもしれません。それが多くの人の場合「神」とか「創造主」いう言葉で代表されるものであるのなら、私の祈りの対象はもっと漠然とした、宇宙のような広がりをもったものなのではないだろうか、と考えています。
 唯一の神と神々との二つの世界観を分ける歴史的、地理的な場所としてインドがイメージできるのではないでしょうか。
 いまもわたしを導いてくれる人物の一人としてガンディーの言葉があります。
 ガンディーは独立インドの宗教に対する態度について、はっきりした「政教分離」の政治思想をもっていて、また自らが奉じるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を説いていました。彼は、こう言っています。

「独立インドは、ヒンドゥー教徒の統治になりません。多数派の宗派や集団ではなく、宗教とは無関係に全国民から選ばれた代表者たちによる、インド人の統治になります。」(1942年8月9日付け「ハリジャン紙」に掲載されました。マハート・ガンディー著・鳥居千代香訳「ガンディーの言葉」岩波ジュニア新書、2011、178ページ)に所収。

 では、彼の心と政治的良心の拠り所は何だったのでしょうか。続いてこう述べています。

 「国家は例外なく非宗教的でなければなりません。そうすれば、すべての国民は、法律のもとで平等になります。しかし、どの人もコモンローを破らないかぎり、どんな邪魔や妨害も受けることなく、自由に宗教をもとめることができます。
 アッラーでもなく、フダーでもなく、ゴッドでもなく、真理と言う名で呼びます。
 私には真理のことが神であり、真理は私たちのどんな計画より重要です。すべての真理は、その偉大な力、真理のみこころのうちに具体的にあらわれます。
 私は子供のときから、真理は近づくことのできないもの、到達できないものと教えられました。また、あるすばらしいイギリス人には、神は人間の理解の及ばぬものと信じるようにと教わりました。しかし、神は理解できるものなのです。ただし、それは私たち人間の、限りある知力が許す範囲内においてですが。」(1947年4月20日付け「ハリジャン紙」に掲載されました。マハート・ガンディー著・鳥居千代香訳「ガンディーの言葉」岩波ジュニア新書、2011、178ページ)に所収。
(注意)フダーとは、ペルシャ語で神の意味で、アッラーの別称。

 「神は、私たちのやり方ではなく、神自身のやり方で私たちの祈りに応えてくれます。神は人間とは違った方法をとられるので、私たちには計り知ることができません。祈りの前提には信仰があります。祈りは無駄にはなりません。他の行動と同じです。私たちの目に見える形とはかぎりませんが、実を結びます。心からの祈りは、行動などよりはるかに強い力を持つのです。」(1946年6月29日付け「ハリジャン紙」に掲載されました。マハート・ガンディー著・鳥居千代香訳「ガンディーの言葉」岩波ジュニア新書、2011、178ページ)に所収。

 私は、若い頃、いろんな宗教書とか、それへの批判の本を読みました。10冊はくだらないだろうと思います。それで、40代の頃までは、それで結構「自分は宗教のなんたるかを結構わかっている」つもりでおりました。

 私にとって、現在も影響されている「神の領域」への心境を表現しようとするとき、借りてくるもう一つの言葉としては、孔子の言葉があります。彼は知人に「死後の世界の有無」をたずねられて「この年になっても生きることさえよく分かっていないのに、死んだ後のことなどは考えたことがない」と述べたとか、「論語」の中にその一文を探しているものの、ありかがわかりません。ですが、注釈はなくても、ここでの孔子の気持ちは、なんとなく分かるような気がするのですから不思議ですね。

 「孔先生がいわれた。「君子に三種の敬虔さが要求される。天命(人間の意志を越えた秩序)にたいして敬虔であり、大人にたいして敬虔であり、賢人のことばにたいして敬虔であるということである。小人天命を解しないのでこれに敬虔でなく、大人になれてずうずうしくなり、聖人の言葉を軽視する。」」(貝塚茂樹注「論語」中公文庫、1978年刊行、第十六李氏編、474ページ)

 これに対する貝塚茂樹さんの感想はなかなか鋭い、彼はこう述べています。
「日本人は無宗教であるといわれる。そのことは、人間を超越するものを信ぜず、敬虔の感情を持たないということである。中国のかつての支配者は、天に対して敬虔であった。西洋の支配者は神に対して敬虔であった。日本の現代の支配者は自分より強い権力者は恐れるが、それだけで、敬虔の感情を持たない。わたしはこういう権力者の感情と行動とにたいしてあわれみを感じる。」(同書、474ページ)

 現在まで、私は特定の神というものを持たず、どの宗派にも属していません。それは、私としては確かな考えがあってのことではなく、「神はあるか、あるとすればどのような存在か」の問いにどのように返答すべきなのか、またどのような態度でその問いに応えるべきなのか、いまだに分かりません。
 人類社会の時代が進んでいく中で、人間が知り得る情報はどんどん進んでいっても、それにつれて分からないことも増え続けているのが現状ではないでしょうか。これは現代の物理学とかの領域でも言われているようですね。脳科学の領域でも、人間が生きてゆくには「神」という概念が不可欠だと述べる人もいるとか。これらの考えと、かのフォイエルバッハが「神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったのだ」という意味の言葉とは相呼応するものではないでしょうか。

 こういう神に関する不確定な視点に立つようになると、昔言われていたような唯心論と唯物論との対立を軸としてどちらが正しいかを言うだけでは、私としては、どうも足らないんではないか、と考えるようになりました。イギリスの哲学者であり数学者バートランド・ラッセルが、いみじくも「宗教は必要か」と言った書物を著していますが、その著者の結論である「神が実在するという根拠は薄い」とまでは述べている先達はかなりいるようです。アインシュタインも、私は長らく彼は神を肯定していたと思っていましたが、2012年に発見された紙切れには「神への信仰は子供じみている」というような否定的な文章が書き込まれていたとか。そこまで言える「彼らはすごいな」というのが、私の観じているところです。

 そもそも17世紀に生きたデカルトとパスカルとの間には、どうしても埋められない一線がありましたね。それが神と人間を巡るテーマでありました。
 以来、近代科学の精神はどんどんと「神の領域」に立ち入っていくのですが、私はこれによる議論は決着することはなく、これからもずっと続いていくのではないか、と考えています。
 人間にとって科学や文明、中でも人間哲学が前進するにつれて、その一方では「どうしたらよいかわからない事柄」を含めさまざまな領域で深い問題が立ち上がり、いうなれば私たちにとって未知なる領域が相対的に広がっているようであります。したがって、私たちはこれを正しく正面から受け止めることによって認識をたしかなものとしつつ、つねに謙虚な姿勢で未知なる領域、現在から未来へと臨んでいくことが必要ではないでしょうか。
 


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第2話:「無縁社会」の報道(2011年2月11日と12日)に思う。
 
 NHKはこの両日の夜9時から1時間の報道番組を視聴しました。

「無縁社会の衝撃、若者と働き盛りの叫び。失業・病・独り暮らし。結婚できない。ネッ

トつながりが命綱。無縁社会から立ち上がった人々の物語り」。

「日本の、これから。無縁社会・働く世代の孤立を防げ。あなたにしのびよる無縁の危機。

親の介護・未婚・失業・解決策はこれだ。激論」。

 私の感想から言えば、解決策はこの中で明らかになったという印象はありません。実態は

個々の人々や社会を通じてあらわれる、ということではかなりの説得力がありました。

 ここでは、人々の生き様からかいまみることができたこと、それらから私なりに学ぶこと

ができると考える事柄について、少しだけ述べてみたいのです。

 あるの男性Yさんは39歳で、体調を崩して仕事から離れています。毎日がんばりすぎた

結果なのかもしれませんね。現在は、公団住宅らしきところに住んでいて、自分は社会に必

要とされていないのでは、と悶々として悩んでいたようです。そこに、ある日、ある種のひ

らめきがあり、アパートの付近の公共の場所の掃除を始めたら、ある日小学生と話が出来だ

したとのこと。わたしは、勇気ある一歩だと感心しました。道は案外形から這入っていくこ

とで開けていくのかもしれませんね。

 二つ目は、支援団体の中に、横浜でしたか、キリスト教教会が加わっておられます。夜の

寝る場所を提供されたり、支援団体とともにクリスマス会を催しておられました。私は韓国

の下町を夕方歩いていたおり、夕闇の中に教会の十字架の赤いネオンがいたるところから目

に入ってくる光景をいまでも忘れることができません。そこは人々の安息の場所だと韓国ド

ラマで聞かされていたからです。日本にもあるんですね、そんな場所が。

 三つ目は、支援団体の人が何人も出演されていました。自分のこと、自分の家族のことだ

けでも大変なのに、よくぞがんばっていただいているな、と感心しました。 私はいま、体

のこととか、家族のこととか、仕事のこととか、自分と家族の今後のこととかで、よく不安

になったりします。

 総じていえば、人間、ひとりではないんですね。ちゃんとみんなのことを考えていてくれ

る人たちがここかしこににいてくれる。私たちは良き人びとと交流することで安心感を覚

えるとともに、自分もまた支えられている一人なんだな、ということで勇気だって少しずつ

ですがでて来るようになる、そのことがなんとなくわかったような気がしました。



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第1話:寒空の下で過ごす人々を気遣う朝日新聞への投書について


 20世紀最後の師走16日の朝日新聞に【ホームレスにすべきことは】と題された一通の投書が掲載されています。
「十日の「生活守れぬ『安全網』の記事に心が痛んだ。失業し路上生活に追いやられなが
ら、生活保護からも年金からも締め出されている人たちのことだ。
二年ほど前、社会政策の学会有志で、ホームレス、失業、貧困対策を呼びかけるアピー
ルを出す予定であった。直前になって、政策の動向を見てからという意見があり、実現しなかった。
 その後も路上生活者は増え続けている。政府も政党も労働組合も、あたかもかれらが
存在しないかのごとくに振る舞ってきたと言わざるを得ない。この人たちは、日本国民や
社会の一員ではないのか。
 日本の社会保障は、これ以上低めてはいけないという意味の底の部分が抜けている。公金は、まず国民一人ひとりの生活を守るためにこそ使われるべきである。病気の人には医療が、働ける人にはその人に応じた仕事が、そして誰にも住む場所が必要だ。
 この間まで普通に暮らしていた人たちに、見捨てられているという絶望感を与え、他方
で見ぬふりをしながら、それに気づいている自分がいる。声を出せる人は自分の声を、毛布を、食を。誰をも見捨てないという姿勢を示したい。
 それが、今を生きるすべての人の威信をどんなに回復するか計り知れない。この国で
「年を越す」ということは、そういうことではないのか。」
 これを読んだとき、わたしの心はほっと一息をついた。妻とセブン・イレブンに買い物に行ったとき、駐車場の隅にうずくまっている中年男性を見かけました。ふと顔をみあわせたところの、彼の視線は弱いものでした。買い物を終えて家に帰り、妻と相談して何かを差し上げるべく現場に引き返したときには、その人は姿を消していました。
 1991年頃からの不況を通じて、日本人の同胞を気遣う心は冷え切っているのではないでしょうか。一人の自分がそう言っている。もうひとりの自分は、本間さんが正直にも吐露されたように「他方で見て見ぬふりをしながら、それに気づいている自分がいる」という言葉に相槌を打っているのかもしれません。
 そして、私自身ですが、「いまも過労による「鬱病」という病気を引きずっている自分にいったい何ができるのだろう」と自問しています。もう一人の自分は本当は何かを社会に対してしたいのだが、それができないもどかしさに良心の呵責さえを覚えているものでした。
 わたしは新宿駅の構内で物乞いを請われたことがある。その人は二〇代らしい、まだ若い男性でした。
「お金を恵んでください。」
 彼の顔は必死の形相でいきなり出くわしたわたしに訴えてきました。
 わたしは初めての経験に、面食らってしまったようです。頭の中はまるで回らなかったというより、そもそも動く気配を見せなかった。じりじりと言う感じで何秒か経っていきました。そして、そのまま、時間がたっていく心に焦りが生まれ始めていました。ようやく、こんなことではいかん」という自噴の心の中では気の毒で何か言おうと声をかけたものの、至近距離にあったのにもかかわらず、相手に聞こえる形では声にならなかったようでした。
「ええい」だったか、「ああっ」という絶望の響きであったか、その男性は大きな声とともにくびすを返して新宿駅の雑踏の中に走って、私の視界から遠ざかっていってしまいました
 その日の出来事は、その日以来、私にとって痛恨の一事となりました。

2000年12月29日

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