♦️728『自然と人間の歴史・世界篇』アルメニア

2017-11-30 21:44:38 | Weblog

728『自然と人間の歴史・世界篇』アルメニア

 現在のアルメニア共和国(通称アルメニア)は、南コーカサスに位置する共和制国家である。「ロシアとその周辺国」に数えられるのが通常だが、東ヨーロッパに含められることもある。
 その書かれた歴史は紀元前9世紀頃にも遡る。ヘロドトスの著作「歴史」以来の国名アルメニアにて、中東でも勇名を馳せていたらしい。紀元前4~同3世紀、東アルメニアにエルヴァンド朝が建っていた。紀元前1世紀、西アルメニアにソフェネが成立する。紀元前190~紀元後10頃、アルタシェス朝古代アルメニア王国が成立する。1~5世紀、アルサケス朝の支配を受け、ローマとペルシアにより分割される。301年、アルサケス朝のトルダト3世がキリスト教に改宗する。これがあって、アルメニアは「最初のキリスト教国家」とも称される。
 7世紀には、ササン朝ペルシアとビザンチン帝国による分割統治下にあった。885年に王位に就いたアショット1世は、両者の承認を得て、教会の新設や修復を行う。991年には、アフパト修道院がビザンチン様式で建てられる。この建物は、「アフパトの聖十字架」と呼ばれ、1996年に世界遺産に指定される。
 11世紀、この地はセルジューク・トルコ朝の統治下にあった。1050年頃~1375年、キリキア(アナトリア南東部)にアルメニア系王朝があった。13世紀、この地にモンゴル軍の攻撃があった。14~15世紀、この地はティムール朝、カラ・コユンル朝、アク・コユンル朝に相次いで支配される。16~18世紀、オスマン・トルコ朝とサファヴィー朝によるアルメニア争奪戦下におかれる。1894年には、オスマン・トルコ朝の支配に反対するアルメニア人活動か1~2万人が虐殺される。
 1928年、トルコマンチャーイ条約により東アルメニアが、イランからロシアに割譲される。1918年5月、アルメニア共和国が成立する。これを第一共和国という。1920年、アルメニア・ソビエト社会主義共和国が成立する。1922年、この地の人びとは、アゼルバイジャンと共にザカフカス社会主義連邦ソビエト共和国を形成し、ソ連邦の結成に参加する。1936年には、アルメニア・ソビエト社会主義共和国が成立する。
 1988年2月、ナゴルノ・カラバフ帰属を巡るアゼルバイジャンとの抗争が表面化する。1990年8月23日、共和国主権宣言を行う。1991年9月21日、共和国独立宣言を発す。1991年10月、テル・ペトロシャンが大統領に就任する。1994年5月、ナゴルノ・カラバフ紛争に関しアゼルバイジャンと停戦協定を締結する。1998年3月に、コチャリャン大統領に選出される。2008年2月、サルグシャン大統領が選出される。

(続く)

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