157『岡山の今昔』岡山人(15世紀、徹書記)
徹書記(とおるしょき、1381~1458)は、室町中期の僧侶だ、臨済宗。備中の小田郡の生まれ。幼いうちに、京都にある、臨済宗東福寺の栗棘菴に入る。
徹書記(とおるしょき、1381~1458)は、室町中期の僧侶だ、臨済宗。備中の小田郡の生まれ。幼いうちに、京都にある、臨済宗東福寺の栗棘菴に入る。
この寺は、全国に所領を営み、働き手をもち、大所帯にて事務は多かったはずだ。「徹書記」と称するからには、その才能があったのではないか。やがて、「右筆」となる。同寺の幹部の仲間入りをしたのであろうか。
そればかりでなく、いつの頃からなのか、和歌を能くしていたという。若くして、冷泉為秀に学んでいたとも伝わる。
ところが、ある日、自宅の火災により二万数千首を焼失してしまう。それでも、怯まなかったという。
しかも、革新的歌人として二条派と対立する。藤原定家に傾倒し、新古今集でのような夢幻的歌風を好む。
一条兼良の信任を受ける。武家にある歌人との交友も行う。貴族と都の武家にも顔を知られたことだろう。こうなると、もはや本業が何なのかわからない。しかし、六代将軍足利義教の怒りに触れ、草庵領小田庄を没収されたという。
家集「草根集」は一万一千余首を収める。歌論書ということては、「正徹物語」がある。そんな中から、秋の月を詠んだものから幾つか並べよう。
「窓の月にいとまありともむかはめやおのれにくらき文字の関守」
「むかしよりいく世の人かあかずしてながめすてけん故郷の月」
「白玉かなにぞととへば萩のうへの影はこたへずふるさとの月」
「秋やときはじめは雨をしぐれとも思はぬ月のはれくもり行く」
(続く)
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