◻️268の3『岡山の今昔』岡山人(20~21世紀、稲葉右二)

2021-02-19 21:04:55 | Weblog
268の3『岡山の今昔』岡山人(20~21世紀、稲葉右二)


 稲葉右二(いなばゆうじ、1928~2017)は、獣医師にして、獣医学の大学教官である。津山市の生まれ。
 1945年(昭和20年)には、地元の県立津山高等学校を卒業する、その頃までに自らの歩む道を見定めていたのだろうか、鳥取農林専門学校の獣医畜産科へ進む。その頃は、何しろ敗戦後もまもなくの時であったから、教官その他のその場で教育に携わる人も、学生も、「空腹にてひもじい」というか、双方でさぞかし苦労が重なったのではないだろうか。

 それでも、ある年譜によると、1949年に卒業後は、農林省の家畜衛生試験場の研究員として働く。求めたのは、畜産を科学の立場から支え、発展させること。それからは、生来の研究気質というか、次々と業績を上げていく。

 そのあたり、人間には、その体とそこから醸し出される情念とは、かなりの結びつきが往々にしてあるという。そうであるなら、どこかしら、「何事かなせ、なさざるべからず、生まれたる者は」(経済学者の櫛田民蔵の発した言葉として広く伝わる)といった信念も働いていたのかもしれない。あるいは、富や名声といった世間一般の観念とは一線を画した毎日であり続けた、まるで静かなる「匠(たくみ)」のような人であったのだろうか、

 再びかかる年譜によると、そのともすれば地味だと考えられているだろう分野にて、例えば、「畜産農家に恐れられていた牛の伝染病「牛流行熱」「イバラキ病」「アカバネ病」の原因がアルボウイルスであることを突き詰め、診断法やワクチンを開発した」とあり、かのジェンナーの仕事などの偉業も頭をよぎる。

 その背景にあると見られているのは、地球規模での温室効果や異常気象などの気候変動の介在であって、その影響下での吸血昆虫の生息域の拡大であるとされている。1970年代には、約4万頭からの家畜がかかるウイルスに罹患したとされ、ワクチンの開発が至上課題となる。

 それからは、家畜衛生試験場製剤研究部長、日本ウイルス学会理事、日本大学生物資源科学部教授、獣医師免許審議会委員などを歴任したとあり、この分野での草分けの一人としてある。
 さらに、その頃の岡山、とりわけ美作の辺りは、畜産が盛んであったらしく、人々の情熱さえもが、今さらながら熱く感じられる。


(続く)

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