♦️84への追加『自然と人間の歴史・世界篇』歴史家のヘロドトスとトゥキディデス

2022-01-04 22:54:57 | Weblog
84への追加『自然と人間の歴史・世界篇』歴史家のヘロドトスとトゥキディデス

 ヘロドトス(前485前後頃?~前430後のある時期か)は、小アジア西南部のカリアと呼ばれた地方のポリスの名家に生まれる。青年になると、大旅行に出る。通説によると、「かれの足跡が北は黒海の北岸のスキュティア、南はエジプト、東はフェニキアのテュロスとメソポタミアのバビロンまで及んでいることは明らか」(村上堅太郎「歴史叙述の誕生」、責任編集・村上堅太郎「」)
 「歴史」(原語は「探究」の意)を記し、人類最初の歴史家とも語られる。その主題は、地中海沿岸を舞台としたアジアとギリシアの戦争であり、リディア王クロイソスの時代からクセルクセスの敗北までを描く。
 まずは、リディアの古史から説き起していく。その後の順序としては、リディアに代るペルシアの興隆と、その中のキュロス、カンビセス、ダレイオスと続く歴代の王の遠征、すなわちペルシア帝国の強大化におよぶ。
 それからの歴史は、ギリシアとペルシアの激突に向っていく。その他にも、エジプトを含めて各地の地理、習俗、宗教、政治などについて調査した結果を詳しく報告している。
 しかも、今日でいう歴史とはやや異なるが、伝説や逸話を無数に盛込んでいる。
 終りの3巻ではイオニアの反乱によって火ぶたが切って落されたペルシアとギリシアの宿命的対決を述べる。ペルシア軍の2度にわたるギリシア本土侵攻と、その失敗の模様を描く。

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 トゥキディデス(トゥキュディデス、前460頃~前400頃)は、古代ギリシャの軍人、政治家、歴史家だ。アテネ出身。ペロポネソス戦争を記した「歴史」8巻は、未完の大作とされる。
 アテネとスパルタは、ペロポネソス戦争(前431~前404)を戦う。こうなっていくには、トゥキディデスによれば、次のような理由があった。

○「あえて筆者の考えを述べると、アテーナイ人の勢力が拡大し、ラケダイモーン人に恐怖をあたえたので、やむなくラケダイモーン人は開戦にふみきったのである。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(上)」岩波文庫、1966)

○「ラケダイモーン人が和約は破られたと認め戦争開始を決議した理由は、同盟諸国の説得に動かされたことにも多少はよるにせよ、主たる理由はアテーナイがすでにひろくギリシャ各地を支配下にしたがえているのを見て、それ以上のかれらの勢力拡大をおそれたことによる。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(上)」岩波文庫、1966)

○「諸君も承知、われらも知っているように、この世で通じる理屈によれば正義か否かは彼我の勢力伯仲のときさだめがつくもの。強者と弱者の間では、強きがいかに大をなし得、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱し得るか、その可能性しか問題になりえないのだ。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(中)」岩波文庫、1966)

 この二つの都市国家は、お互いに助け合った歴史も長い。最終的にはアテネはスパルタに全面降伏する。最強を誇ったアテネ海軍は解散させられ、アテネはすべての海外領有地を失う。

(続く)

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新新64○『自然と人間の歴史・日本篇』大和朝廷を巡って(政治体制の確立、聖徳太子など)

2022-01-04 20:53:37 | Weblog
新新64○『自然と人間の歴史・日本篇』大和朝廷を巡って(政治体制の確立、聖徳太子など)

 592年(崇峻大王5年)、欽明大王と堅塩媛(きたしひめ)の娘である炊屋媛(かしきやひめ)が、明日香の豊浦宮(現在の明日香村豊浦地区)において女性の大王として即位する。そして迎えた593年(推古大王元年)、欽明大王の一代前の用明大王の息子にして彼女の甥であるとされる厩戸皇子(うまやのおうじ)が、推古大王の摂政に就任したという。これ古代の国史たる「日本書紀」にも登場する、謎多き「聖徳太子」の誕生の物語にほかならない。

 彼は、当時勢威を張っていた蘇我馬子(そがのうまこ)と共同して国政に当たったのだとされる。もっとも、現在の日本の歴史学においては、この太子が実在の人物ではなかったとの有力説が出されている。

 ゆえに、あらたな卓越した指導者の出現によってか、よらぬのか判然としないものの、朝廷は仏教による国造りを目指した。そのことを民衆が下から求めたのではなく、政治権力を握る側が自己の立場を補強するために仏教を受容したものだといえよう。

 奈良盆地の明日香(あすか)には、「飛鳥寺」が現在に伝わっている。その創建は596年(推古大王4年)、日本(当時の外国からは、「倭」と呼ばれていた、つまり「日本」はまだ成立していなかった。これを戦後に明確に述べたのは、網野善彦の功績である)最古の本格的に建てられた寺院と伝わる。

 この寺の本尊とされるのが「飛鳥大仏」で、609年(推古大王17年)の造立として、現存する日本最古の仏像と伝わる。奈良の大仏よりずっと小さいが、数ある法印の中から、右手で人々の悩みや苦しみを受け、右手で安らぎを与える法印を選んで結んでいる。そのことでは、東大寺の大仏と同じである。すっきりした顔の表情からして、もしかしたら遠くギリシア文化の影響も受けて造立されたのかもしれない。

 国史「日本書紀」において、聖徳太子なる人物が推古大王の摂政になったとされる年の10年後の603年(推古大王11年)、朝廷は「冠位12階」を制定したという。これは、官僚などの身分制を細かに色分けにすることでの改革を行ったというものだが、既述のように聖徳太子なる人物が実在しなかったとすれば、誰が中心で行ったものであろうか。

 これらについては、後代の720年(養老4年)になった編纂される国史『日本書紀』の「推古十一年十二月条」に、こう記される。ちなみにこの年は、推古大王が小墾田宮(おはりだのみや、推定地ははっきりしていない)への遷都を挙行している。

 「十二月戊辰朔壬申、始行冠位。大德・小德・大仁・小仁・大禮・小禮・大信・小信・大義・小義・大智・小智、幷十二階。並以當色絁縫之、頂撮總如囊而着緣焉。唯、元日着髻花。髻花、此云于孺。」

 604年(推古大王12年)になると、同大王による国固めが一つの劃期を迎える。「17条の憲法」が制定されるのである。

 参考までに、「日本書紀」第22巻 、「豊御食炊屋姫天皇 推古天皇12年」には、「夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條」の断りで
 「一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。」とあり、書き下し文は、下記の通り。
 「一に曰いわく、和を以もって貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順したがわず、また隣里りんりに違(たが)う。しかれども、上和(かみやわら)ぎ下睦(しもむつ)びて、事を論()あげつら)うに諧(かな)かなうときは、すなわち事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。」
 なお、こちらの文節の現代語訳(中村元)は、次の通り。
 「おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父には従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。」(中村元訳「聖徳太子」の「17条憲法」の項、中央公論社、1970)

 この第1条中には、「然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成」とある。これを朝廷が率先しての意思で定め、始めたのなら、当時の施政者としては温厚な人柄が溢れて感じられるのだが、かの「論語」をはじめ中国の文献にもよく見られる表現であって、どれだけの独自性があったのかは不明である。冠位の方は、これでもかと言うくらい、細かく色分けられていた。
 これについては、上位から紫(徳)、青(仁)、赤(礼)、黄(信)、白(義)、黒(智)の六色であり、これが徳なら大徳・小徳の二つに別れていた。大徳の紫が小徳の紫より濃い色を使い、これにより濃淡の違いで大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼の六つに当てはめられてると、十二階位に区別できる。

 当時の最高の位階を表す紫とされたのは、『万葉集』にある「紫草」(むらさき)でつくった「古代紫」の色合いであろうか、それにしても、最高位の大王やそれに準じる人は、どんな色なりの冠を被っていたのか。おそらくは、倭の大王自らは白、その皇太子は黄丹(橙色)という色があてがわれており、十二階にはめ込まれた臣官は使えないことになっていたとされる。

(続く)

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♦️1155♦️♦️『自然と人間の歴史・世界篇』商品管理から社会システム管理へ(ビッグデータとAIと資本主義、社会主義のこれまで)

2022-01-04 16:17:17 | Weblog
1155♦️♦️『自然と人間の歴史・世界篇』商品管理から社会システム管理へ(ビッグデータとAIと資本主義、社会主義のこれまで)

 21世紀になってからは、情報管理技術の発展のテンポが一段と速くなっているのではないだろうか。日々の生活に身近なところでは、スーパーやコンビニエンス・ストアなとでの買い物で、POSシステムで顧客管理の網に入ったり、出たりする(注)。スマートホンを取り出して道先案内を頼むと人工衛星との関係で位置情報なりが、またアプリをダウンロードすると新型コロナ感染拡大の現在がわかるという、それら以外にも、さまざまな情報が個人に、家庭に、職場に、社会全般の中を相当分自由自在に飛びかっているようなのだ。
(注)
 POS(Point Of Sales、「販売時点情報管理」)というのは、物品販売の売上実績を単品単位で記録し集計する仕掛けを指し、「パソコンPOS」「POSレジスタ」などとして、様々な現場や事務所で使われている。現在はPOSと様々形で連携する周辺機器を通信回線共々ひっくるめ、総称して「POSシステム」と呼ぶこともある。お馴染みのPOSとしては、スーパーマーケットやコンビニエンスストア、ドラッグストア、アパレルショップ、ホテルなど、全国のあらゆる施設で導入されている。
 

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 そんな中から、ここではまず、私たちの買い物を取り仕切られているかのようなものに、今や、POSシステムの採用でいろんなことができるようになっていることがあろう。これを用いることにより、次に掲げるような管理・運営ができるという。

○売り上げ管理
 商品が「いつ」「何が売れたのか」「決済方法は何か」など売り上げに関する情報を管理し、データベースに記録。顧客リストがあれば、顧客ごとの売り上げも管理の可能性あり。
 なお、決済時にはレシートを発行する他、店舗によっては顧客ごとに、ポイントに応じて割引券やクーポン、チラシを発行したり。

○商品情報の管理
 商品コード、名称、単価など、商品情報をPOSシステムに登録できることから、売り上げが発生する前に商品のバーコードと情報をPOSシステムに記録することで、その商品がPOSシステムで扱えるようになる。これにより、商品やサービスが売れると、直ちに同システムの中にデータとして反映されよう。

 ○在庫管理
 これだと、売り上げ登録と同時に、在庫数を更新することで在庫情報を管理できる。リアルタイムで在庫状況がわかり、在庫が規定値以下に減ると自動的に発注依頼をするものも見てとれる。

○顧客管理
 商品を購入した顧客に関する情報を管理。顧客の年齢、性別、来店日時など顧客の行動を分析し、次回来店時の接客に活かすこと可能性。顧客の持っているポイントや、ポイントシステムに登録した個人情報を売り上げ情報と紐付けて管理することも技術的には可能だろう。
 データベースや在庫管理とも連動し、顧客毎に売り上げ管理。発注管理や商品企画などのマーケティング。複数店舗の管理や分析。売り上げジャーナルを参照・発行することが可能となろう。

○従業員や出入りの業者など関係者の労務管理、契約管理など
 こちらは、関係者に対して、より細やかな、それでいて大胆な管理を行うことごできるようになってきている。

 これらをまとめると、このシステムは、商品やサービスの金額を時間刻みに応じる形で計算(集計など)するだけでなく、多種多様な情報を蓄積できる。POSから取得したデータを商品別、時間帯別、顧客別などの切り口で分析することで、店舗や企業のマーケティングツールとして活用できる。それのみならず、仕入れ先や各種サポートを授受している他業者などとも通信回線で必要な情報をやりとりすることも、技術的には可能だろう。

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 次に移ろう。社会主義国は、現在はぐんと少なくなってしまった。ちなみに、歴史的にこれまで社会主義とはどのような体制があったのかというと、大まかに次のような類型にまとめることができよう。
(1)中央集権的な管理・運用に基づく社会主義、分権的・自主管理的な運用と中央集権的な管理・運用の組み合わせによる社会主義、分権的・自主管理的な管理・運用に基づく社会主義
(2)市場メカニズムを利用しない社会主義(完全計画経済)、市場メカニズムを利用する社会主義(計画を主体としながらも市場を何らかの形で経由させて物事を決定する社会主義)
(3)普通選挙制に基づいて代表・代議員を選出している社会主義、限定的な選挙制に基づいて代表・代議員を選出している社会主義、選挙制に基づかない社会主義
(4)生産手段の公有制を原則とする社会主義、生産手段の私有制を部分的に認める社会主義
(5)能力に応じて働き労働に応じて受け取る社会主義、能力に応じて働き労働にベーシックインカム、社会的共通資本の拡充などを加味して受け取る社会主義
(6)いわゆる閉鎖的経済タイプの社会主義とその連合体、開放的タイプの社会主義とその連合体
 なお、(1)の中の中央集権的計画経済というのは、非常に変数の多い複雑なシステムにならざるを得ない。また(4)の議論にあっては、私的資本と社会的共通資本を区別している。後者を分かりやすく具体化すると、堤防、道路、港湾、公園、上下水道、電力、鉄道などの社会資本があり、その性格と、どう扱うかについて、経済学者の宇沢弘文(うざわひろふみ)はこう提言している。
 いわく、「社会的共通資本は、私有が認められず、社会的に管理され、そこから生み出されるサービスは、市場機構を通じてではなく、社会的な基準にしたがって各構成員に供給、分配されるものである」(宇沢弘文「経済学の考え方」)という。
 してみれば、この範疇に属する資本については、あたかも資本主義とは異なる原理により運営されるのが望ましいことにもなっていこう。宇沢本人は、べつの文脈において自由の観点から社会主義とは距離をおく発言をしていて、はたしてどちらにウエイトが傾いているかなどと、なかなかに興味深い。

 それでも、ただ手をこまねいているのではなく、社会主義市場経済を標榜している。例えば中国では、公有セクターにおいて、「改革開放」の中、個々の工場、事務所などにかなりの権限が与えられていることで、かなり分権化が進んでいるようである。

 ここで「分権化」というのは、技術論だけでいうならば、これからの展開としては、各事業主は、過去の販売データと現在の売り上げ状況を組み合わせ、人工知能(AI)がアルゴリズムにしたがって販売の予測モデルをつくる。その際には、各々の業界に対応する共有データベース(各種事業者が共同して運営するのが望ましく、各々はこれに通信回線によりつながっている)にアクセスして、必要な部品や役務などについての業界レベルの情報をもらい、自らの供給量と価格を決めるのに役立てることができるだろう。さらに現在においては、例えば「キャディ」と呼ばれる部品発注側と町工場の双方の間を取り持つ業域が育ちつつあることから、それらを活用するのが望ましい。

 なお、ここでアルゴリズムとは、何らかの問題を解決するための数学的計算手順(算法ともいう)であり、これで得られた手順をコンピュータに理解させるように記述したものがプログラムである。

 それでも、そうして得られた予測が需給の変化や錯誤などで正しくないとわかった瞬間には、それまでのモデルに変更を加える必要が出てくる。その時は、AIが見通しを修正し、価格を改めることにもなりうるのだろう。
 これだと、価格は過去の慣習や、業界内の暗黙の了解で決められるのではなくて、その時々の需給に応じて変化するものとなり、価格を決める過程が科学的で明快なものに近づけることができるのではないだろうか。

 顧みると、ソ連時代のゴスプラン(国家計画委員会)は、国の膨大な経済情報に収集と一元的処理を担う前提にて生産・供給計画を策定していた。しかし、短時間で多数の商品に関する生産情報(それに要する部材を含む)や消費者の多様なニーズを集めたり、それを分析、そして処理することでは、1970年代からは次第に遅れをとるように成り変わっていた。

 なお、重要な物資・サービスについて、政府がそれらの企業に価格を示達するのはあり得て、その場合でも、市場メカニズムによる価格形成を否定するのてはなく、当該価格の上限と下限に留めるべきだろう。厳しめの誘導が必要な局面では、その幅を適宜調整すれば普通は足りると考える。参考までに、資本主義経済下のアメリカでは、1971年7月に金とドルと交換停止政策を打ち出した際時、賃金と物価の90日間凍結命令が出されたことがある。
 そのような国家の中央当局が出てくる具体例としては、そのことが必要な状況、それには例えば、供給の隘路、競争激化による価格暴落や、カルテル結成による価格操作など、もっと大きく国民経済に好ましくない状況が起きている時などが考えられよう。

 それというのも、一方で、地方及び中央には格段ごとに記された経済発展計画があって、それぞれに見合った形で社会主義原則による管理が行われている。後者には、最近は多分に民間のIT大手への独占禁止法絡みの規制が含まれよう。

 中でも、国家統計当局が総供給と総需要を把握するということでは、ビッグデータの、通信技術を用いての収集と分析は、計画経済を効率的に運営することでは、現状と比べると、大幅な前進の可能性を与える可能性が込められているのではないだろうか。
 なぜなら、一口に市場を使って国家・公共計画サイド(分権的な社会主義経済システムが前提)が、必要な情報を試行錯誤的に手にいれようとしても(注)、そうこうやりとりしている間にも市場での状況は変化していく、中には思わぬ展開で大幅な変化が生じることもありえよう。

(注)ちなみに、経済学者のオスカー・ランゲは、1936年の論文「社会主義の経済理論」の中で、完全競争経済を前提に、「効率的な資源配分をもたらす価格は、所有権の私有公有を問わず存在し、政府は試行錯誤の末にその価格を探り当て、効率的な資源配分を実現する」とした。現代の大方の経済体制は独占資本主義(しかもグローバル経済が進んでいる)なので、完全競争経済とは到底言えない。それにしても、独占禁止政策なども動員して独占の弊害をある程度に押さえ込み、その土台の上に今度は競争的ではない、しかし活力ある計画経済を作り上げていくのは可能だと考えている。

 もしそうなれば、かつての社会主義計算論争などをわざわざ経由することなく、かつ、かつてソ連が取り組んでいたようなコンピューター管理による一極集中とは抜本的に異なる社会主義経済運営が可能になる、その下地が生まれるのではないかと期待されているようである(なお、ソ連での経験としては、さしあたり、当時のソ連の計画担当者の筆になる、日本語訳「コンピューターと社会主義」岩波新書を薦めたい)。

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 「自らのものとしているその知識と自然の支配という意味での一般的生産力の自己還元、一口でいえば、社会的個体の発展をその内容とするようになる。(中略)
 直接的形態での労働が富の偉大な源泉であることをやめてしまえば、労働時間はその尺度であることをやめ、またやめざるをえないのであって、したがってまた交換価値は使用価値の尺度であることをやめざるをえないのである。
 そうなれば、大衆の剰余労働が社会的富の発展の条件であるという事態は終わるし、同様にまた、少数者が労働を免れることによって人間の一般的な知的能力を発展させるという事態も終わる。そして、それとともに交換価値に立脚する生産様式は崩壊する。」(都留重人訳、マルクス「政治経済学要綱」)

(続く)

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