84への追加『自然と人間の歴史・世界篇』歴史家のヘロドトスとトゥキディデス
ヘロドトス(前485前後頃?~前430後のある時期か)は、小アジア西南部のカリアと呼ばれた地方のポリスの名家に生まれる。青年になると、大旅行に出る。通説によると、「かれの足跡が北は黒海の北岸のスキュティア、南はエジプト、東はフェニキアのテュロスとメソポタミアのバビロンまで及んでいることは明らか」(村上堅太郎「歴史叙述の誕生」、責任編集・村上堅太郎「」)
「歴史」(原語は「探究」の意)を記し、人類最初の歴史家とも語られる。その主題は、地中海沿岸を舞台としたアジアとギリシアの戦争であり、リディア王クロイソスの時代からクセルクセスの敗北までを描く。
まずは、リディアの古史から説き起していく。その後の順序としては、リディアに代るペルシアの興隆と、その中のキュロス、カンビセス、ダレイオスと続く歴代の王の遠征、すなわちペルシア帝国の強大化におよぶ。
それからの歴史は、ギリシアとペルシアの激突に向っていく。その他にも、エジプトを含めて各地の地理、習俗、宗教、政治などについて調査した結果を詳しく報告している。
しかも、今日でいう歴史とはやや異なるが、伝説や逸話を無数に盛込んでいる。
終りの3巻ではイオニアの反乱によって火ぶたが切って落されたペルシアとギリシアの宿命的対決を述べる。ペルシア軍の2度にわたるギリシア本土侵攻と、その失敗の模様を描く。
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トゥキディデス(トゥキュディデス、前460頃~前400頃)は、古代ギリシャの軍人、政治家、歴史家だ。アテネ出身。ペロポネソス戦争を記した「歴史」8巻は、未完の大作とされる。
アテネとスパルタは、ペロポネソス戦争(前431~前404)を戦う。こうなっていくには、トゥキディデスによれば、次のような理由があった。
○「あえて筆者の考えを述べると、アテーナイ人の勢力が拡大し、ラケダイモーン人に恐怖をあたえたので、やむなくラケダイモーン人は開戦にふみきったのである。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(上)」岩波文庫、1966)
○「ラケダイモーン人が和約は破られたと認め戦争開始を決議した理由は、同盟諸国の説得に動かされたことにも多少はよるにせよ、主たる理由はアテーナイがすでにひろくギリシャ各地を支配下にしたがえているのを見て、それ以上のかれらの勢力拡大をおそれたことによる。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(上)」岩波文庫、1966)
○「諸君も承知、われらも知っているように、この世で通じる理屈によれば正義か否かは彼我の勢力伯仲のときさだめがつくもの。強者と弱者の間では、強きがいかに大をなし得、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱し得るか、その可能性しか問題になりえないのだ。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(中)」岩波文庫、1966)
この二つの都市国家は、お互いに助け合った歴史も長い。最終的にはアテネはスパルタに全面降伏する。最強を誇ったアテネ海軍は解散させられ、アテネはすべての海外領有地を失う。
(続く)
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ヘロドトス(前485前後頃?~前430後のある時期か)は、小アジア西南部のカリアと呼ばれた地方のポリスの名家に生まれる。青年になると、大旅行に出る。通説によると、「かれの足跡が北は黒海の北岸のスキュティア、南はエジプト、東はフェニキアのテュロスとメソポタミアのバビロンまで及んでいることは明らか」(村上堅太郎「歴史叙述の誕生」、責任編集・村上堅太郎「」)
「歴史」(原語は「探究」の意)を記し、人類最初の歴史家とも語られる。その主題は、地中海沿岸を舞台としたアジアとギリシアの戦争であり、リディア王クロイソスの時代からクセルクセスの敗北までを描く。
まずは、リディアの古史から説き起していく。その後の順序としては、リディアに代るペルシアの興隆と、その中のキュロス、カンビセス、ダレイオスと続く歴代の王の遠征、すなわちペルシア帝国の強大化におよぶ。
それからの歴史は、ギリシアとペルシアの激突に向っていく。その他にも、エジプトを含めて各地の地理、習俗、宗教、政治などについて調査した結果を詳しく報告している。
しかも、今日でいう歴史とはやや異なるが、伝説や逸話を無数に盛込んでいる。
終りの3巻ではイオニアの反乱によって火ぶたが切って落されたペルシアとギリシアの宿命的対決を述べる。ペルシア軍の2度にわたるギリシア本土侵攻と、その失敗の模様を描く。
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トゥキディデス(トゥキュディデス、前460頃~前400頃)は、古代ギリシャの軍人、政治家、歴史家だ。アテネ出身。ペロポネソス戦争を記した「歴史」8巻は、未完の大作とされる。
アテネとスパルタは、ペロポネソス戦争(前431~前404)を戦う。こうなっていくには、トゥキディデスによれば、次のような理由があった。
○「あえて筆者の考えを述べると、アテーナイ人の勢力が拡大し、ラケダイモーン人に恐怖をあたえたので、やむなくラケダイモーン人は開戦にふみきったのである。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(上)」岩波文庫、1966)
○「ラケダイモーン人が和約は破られたと認め戦争開始を決議した理由は、同盟諸国の説得に動かされたことにも多少はよるにせよ、主たる理由はアテーナイがすでにひろくギリシャ各地を支配下にしたがえているのを見て、それ以上のかれらの勢力拡大をおそれたことによる。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(上)」岩波文庫、1966)
○「諸君も承知、われらも知っているように、この世で通じる理屈によれば正義か否かは彼我の勢力伯仲のときさだめがつくもの。強者と弱者の間では、強きがいかに大をなし得、弱きがいかに小なる譲歩をもって脱し得るか、その可能性しか問題になりえないのだ。」(トゥキディデス著、久保正彰訳「戦史(中)」岩波文庫、1966)
この二つの都市国家は、お互いに助け合った歴史も長い。最終的にはアテネはスパルタに全面降伏する。最強を誇ったアテネ海軍は解散させられ、アテネはすべての海外領有地を失う。
(続く)
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