天災は忘れた頃にやってくる。
最近では忘れた頃ではなく、忘れなくとも突然に起こりうる出来事、改めて自然の恐ろしさを知らされる。日本は自然災害の多い地域だと知っていても現実には民族として逃げられない。島国である現実に加えて、生活習慣、言葉の相違もある。ならば、心構え程度は正しく理解できていないといけない。
高速道路陥没 新幹線脱線 近代的な施設が 病院が耐震強度不足
利便性を追えばどこかに手抜きが、そう思わせる出来事が地震と言う自然災害によって伝えられた日です。安全とは、誰がどのようにして判断するのか、不明な点が多いと感じる最近です。東北大災害の時にも初期判断の誤りが指摘されていた。活断層の存在は分っていたし、対応のあり方も専門の方々には、理解されていたはずです。が、そこに住む方々の頭の中では地震が起こると連想できない。今風に言うならば、親切に丁寧に説明が出来ていたのだろうか?自然の力の大きさには対応できない人の力。災害が発生してしまった今は、大きな余震におびえる人たちに如何にして以前の生活を取り戻させ得るかが課題です。
日韓の関係も互いに信頼し合えなければ、これまでの努力が…です。相手の非は、おのれの非でもあると理解すれば道はおのずと開ける。
災害地から遠く離れた県では
新たな息吹 季節は春 アケビとホウチャクソウ活き活きと
ホウチャクソウも元気に芽をふくらませて来た。
これに鳥たちの声とゲラ族が木に住まいを作る音が加わり、豊かな自然を演出している。
ウワミズザクラはこれからここにもと
孫はロンドンに17年余り、娘夫婦も転勤で香港に転出との事、爺様達には厳しい環境が、です。これにも耐えて行かねば真の春は来ない。
ウワミズザクラ、ここにもと今朝声をかけてきた。こんなところにとの思いでした。一つ一つに丁寧に親切に咬みしめながら春を楽しめたら最高。自然に励まされ、自分での健康管理を正確にとの課題を助け合いながら乗り越えねばと感じた日でもある。明日はささやかな送別の会を持つ。夜は自治会の総会前の最後の打合せ、皆の力で引き継ぐまではです。