春の踊りを舞う花 二輪草
森に活気が戻る、街にも戻れ明るい息吹。
朝は静かに眠っていた花、森の光に起こされて舞う。音楽は人の語らいの声、脇を走る電車のこだま。
同じ花でも個性が異なる、眺める位置で更に違いが。
天上天下、直立あり、脇を向きしなだれるあり
品性、色気を感じさせる、これは爺の独り言。
李の花は終わったが、春を残していった。桜蕾も開いてきた。
花ビラは散ったが、花は散らない。心に残り輪を広げた。
春の踊りを舞う花 二輪草
森に活気が戻る、街にも戻れ明るい息吹。
朝は静かに眠っていた花、森の光に起こされて舞う。音楽は人の語らいの声、脇を走る電車のこだま。
同じ花でも個性が異なる、眺める位置で更に違いが。
天上天下、直立あり、脇を向きしなだれるあり
品性、色気を感じさせる、これは爺の独り言。
李の花は終わったが、春を残していった。桜蕾も開いてきた。
花ビラは散ったが、花は散らない。心に残り輪を広げた。
目でも口でも味わえる春
暖かくなると爺さん早出になるが、ニリンソウは眠りの中で花をすぼめている。可愛い姿だ。でも、仕事前の散策、収穫多い。
今朝の出迎えは野鳥、モズ。
モズが枯れ木で鳴いていた・・・という歌もありました。
土筆(スギナ)
目の下には、あっと言う間に芽を出した土筆が顔を出している。春爛漫の朝です。
漢方にも、食用にもなる「ニワトコ」春の芽です。
締めくくりは「迎春花」中国ではそう呼ばれるとか。
日本では黄梅と呼ばれています。
朝の僅かな時間で春を楽しみ元気倍々。
打ち合わせで早く出かけたが、相手が遅れた。
その間に、多摩川の堰の春を楽しんだ。
この川の流れには不安の色はない。流れは清く何時までもと願う。岸辺では桜蕾ほころび、まさに開かんとして春の声高い。どの河川もそう・・・あってほしい。
コゲラ(キツツキの一種)の姿が見えます、巣作りでもしているのか、こつこつと。人も急がずこつこつと、焦るとことを損じる。人も巣作りからかな。
アマナ 甘菜
ユリ科の花、この花も一度に開いていた。昨日は、采配蘭の葉も教えていただいた。私は花を見たことはありませんが、パソコンでその写真を確認してください。その名の通り采配でしょう。花の造作と命名は素晴らしい。
最後になりましたが、二輪草です。
昨日は咲いていないのに、今日は乱舞してました。一日で世界は変わる。この国も替われる。
暖かい一日。白と薄い青、ニリンソウとオオイヌノフグリと変な調和ですが、春はそこ。すべての方々に春の声を届けたい。明日も今日に勝る暖かさと聞く。
桜花、開くだろう週末は。心の花も満開にしたい。
彼岸を過ぎてもこの寒さ
この李(スモモ)には来年がない。親木は切り倒されててしまった。後数日で開花するのに、あまりの不憫さに家に持ち帰り、日に当て水をやり替えて花を咲かせた。日々、その花の数が増える。彼らのささやかな恩返しだと感じている。
木瓜(ボケ)
ボケの枝は鋭い棘を持ち、人を寄せ付けない。福島原発、第何号機か知りませんが壊れた外壁の骨組みのようにも見える。人を寄せ付けない恐さだ。 雪柳
心地よさげに春風にそよぐ。見る目を変えると無責任な風に身をゆだねる以外に今を生きる術を持たない群に見えた。自然?の災害で苦しんでいる方々を思うと花の風情も切ない。
お詫び
3月26日 山山葵と紹介した花は、『百合山葵』の誤りでした。訂正とお詫びをいたします。
今日、森で一輪草が咲いているのを見つけた。明日は一輪草を
野の花
老いと現実、語らう事が物忘れをしのぐ、野の花も語りかける。聞こう。
知る人ぞ知る、アブラチャン満開。
静かな森の中に咲く。知られないのは長生きの元。
えっ、この花が、まさかと思いますが。
季節を通り越した季節が、・・・現実にはある。これが事実、不思議。
災害に遭った李の花、咲き競う、朝の光の中。素晴らしい。
楽しみは投下資本に正比例、災難に対して手を差し伸べてみよう。
生き返った花、生き返った自分。
差し伸べる部分は個人としては僅か、国の大きな支援、
負けない努力がすべて、皆で支えよう苦難を。
答えは暖かな手、話しかけが挫ける気持ちを力づける。
オヤスミ明日また頑張ろう。
春弥生の日曜日は、忙しく時が過ぎた。
切花は華やかなれど、命短し、
幹に繋がる花は希望がある。
春の歌声を大きく
李の花
蕾が少し膨らんできた楽しみです。今朝、切り倒された幹に残っている数枝を切り取り仲間を増やしてやりました。辛い時は賑やかにわいわいが元気が出ます。
森の中にも春がニリンソウの葉が満ちてきた。
山山葵(ヤマワサビ)?の花
回りにはニリンソウの葉が。野の花は偽らない。
明日は春、李花開く。生命力強し。助けて良かった。
自然と共存なくして、明日はない。助け合いこれが総てだ。
李の花が咲き始めた、二輪。明日詳細を写真付きで。
素もよし、人の力を借りるも良し気持ちが開く、明日を楽しみに。
慰め、杏の蕾。
切り倒された杏の木、蕾が数日後には開くのに。無常の風吹く。枝を切り取って帰り、陽のあたる場所に置き花を開かせる力に加担する。今日、家内が友人からクリスマスローズの鉢と花を頂いてきた。クリスマスローズの花言葉は『慰め』とある。クリスマスローズの力を借りて杏を咲かせよう、楽しみ倍加する。
クリスマスローズ
写真は三脚を立ててセルフタイマーを使用しました。
写真がブレないと教えられています。
頂いてきたクリスマスローズ三種類もある。
世の中捨てたものではない、手助けをすれば希望は叶う。小さな手助けが大きな明かりを灯す。クリスマスローズの花言葉に『私を忘れないで』ともある。不思議な気がします。きっと杏を咲かせるぞ。良い一日だった。
杏とクリスマスローズの花に額をつけて見ました。忘れて手法を思い出しながら。この技法を教えてくれたのは「花さん」私のパソコンの先生の一人です。有難う、感謝をこめて。
瓜田不納履 李下不正冠
瓜畑では履(クツ)を直さない、スモモの木の下では冠を直さない。
指導者は常に高い予見能力が求められる時代になった。簡単に言えば先見力、先見才能が大切、事後処理なら誰にでもできる。今回の不幸な出来事、あまりにも対応が遅すぎるのではないか。もろもろの汚染を伝えるニュースは暗いですね。
普通に摂取していれば、許容範囲と伝えられていますが、不安がつのる方が多いのではと思います。水の安心は国の安心とも言えます。かって中国では水不足が伝えられ、日本の水資源を買いあさったと聞いていました。国内の水はどこから採取するか?
寒さ暑さも彼岸まで、この文言も変えねばならないか、今日は一段と寒い。
杏の花、蕾が膨らんで来た。白い華麗な花が咲く。楽しみ。
災難は何時起こるかわからない。この木は午後切り倒されていた。
切り倒された李の木の枝、切り取って活けてみた、咲かせてやりたい。
春の七草の一つ、ぺんぺん草(ナズナ)
雑草と呼ばれて久しいですが、セリ、ナズナのナズナです。春を呼ぶ。
春の色は菜の花、鮮やか。
春の小川のほとりで癒しの花。この畑も来年は住宅地に。
これが最後の満開です。脇には蕗の薹群がる。自然が消える。
花に来年がない事もあるが、人には明日は必ずある。
時に怒り、時に優しく。人も同じ。
老人の独り言
都心、新橋界隈から、節電のため街が暗い。
従来、無駄な明かりが多すぎたので感覚的にその様に感じるのは止むを得ない。駅のエスカレーターもほとんど動いていなかった。なくても・・・いいのかな。弱者を手助けする機能として、エレベーターは一部稼動しているようだ。健康な者は階段の上り下りで対応しよう。東京(23区以内)は計画停電が実施されないようだが、節電に努めている状態がよく理解できた。自分の生活拠点の計画停電は理解しているが、他のエリアの時間帯を理解して行動するのは無理だと感じて帰宅しました。
今後、計画停電が長引けば街の活気を大きく阻害するかもしれない。個人、個人が更なる節電を日常的に継続して努力せねばなるまい。早寝早起き丈夫な子、私の日常生活ですな。
今朝は、畑の隅でヒメオドリコソウ(姫踊子草)群がって踊っていた。
シソ科の植物、葉に産毛が密集している。この花と感じが似ている「ホトケノザ」が薄紫に畑を染めていいる。自然の自然の美しさ。人は。目にも留めない。
繁殖力は強いのだろう。本家の踊子草は大柄ですっきりしている。いずれ咲く時期には紹介します。
明日は通称ぺんぺん草、スズナを楽しみたい。これも畑の隅に沢山咲いていました。春の七草、セリ、ナズナ、ホトケノザ(タビラコ)野の花は裏切らない。大切に。
冷たい雨の日、生き生きと輝く花あり
辛夷、咲く。
昨夜、花が開いているのを確認、早朝、撮影した。
雨滴が薄く光りきらめいている。澄んだ気分になる。
雨の洗われたのか葉の緑が鮮やかな雪柳、
染み入る清らかさ。
1945年、あの当時は情報もなかった。
1945年8月、二発の砲弾で正確ではないが、30万人前後の方が亡くなった。その当時は、国民は何の情報もないままに置かれ時が過ぎて行った 。それでも、共に苦しみを分け合い立派に再興した日本、
もう、60数年が過ぎた。厳しかったことを忘れていない。
国敗れて山河あり城春にして草木ふかし 杜甫
希望の春はきっと来る、花々も咲く。