昔の記憶に語呂合わせがありました
良い国つくろう(1192年、鎌倉幕府始まる)。私たちの学生時代には、こうして歴史、平方根の数字等を記憶したものです。文言についても、昔は横書きの文は右から左と書かれています。ダンカズラの碑も葛段でした。今でしたら、段葛と左から右えと書きます。縦書きについては今も昔も右から左えと。これは巻紙を使用していた時からの習慣かなと思う程度には理解していました。良きこと?が忘れられて行くのはいかがかと思います。伝承は大切にと、しみじみ感じています。
鎌倉八幡宮 階段左に樹齢千年とも言われた大銀杏があったのです
段葛(ダンカズラ) 八幡宮二の鳥居から三の鳥居まで一段高い歩道。
段葛が新しくなった聞いていたが、実際に目にしてきました。加えて八幡宮の社殿にまで登ったのは何十年ぶりです。階段脇の銀杏、歴史から消えてしまったかと思っていましたが・・・形はありました。この陰から公暁が実朝を暗殺した?と伝えられていましたが。
突然の打合せが断り切れないで、数多くの方に迷惑をお掛けしました。今後は、更に慎重にスケジュールを調整していかねば。打ち合わせ先の垣根、なんと呼ばれていたかは忘れています。
鎌倉には歴史というか時の流れが・・・
この様な垣根は今はほとんど見られない。良き日、遠き昔ですか。
予定の変化について行けない。
時の流れに、流されまいとしながら流れていく個人。時を停め乍ら、歩みに合わせながら送らねばと反省しきりです。