ようやく晴れたので、久しぶりに物置の本の処分を再開した。
連日の作業が祟ったのか、3月中旬に椎間板ヘルニアと診断されてしまい、1か月間、リリカという鎮痛剤を飲んでやや軽快したが、完全には治らなかった。
しかし1か月以上も継続して鎮痛剤を飲むのも心配なので、飲み薬はやめて、その後は「インドメタシン配合」とか銘うった経皮鎮痛剤を朝晩塗って凌いだ。これでまた少しずつ良くなった。
今日捨てることにしたものは、数十年間読まずに放置してあった単行本。
買った当時はけっこう入れ込んだ作者のものが多いが、とにかくそれ以降はまったく「ときめき」がない。思い切って捨てることにした。
清水幾太郎「わが人生の断片(上・下)」(文芸春秋)。
晩年には日本の核武装化を唱えたりして、到底ついて行けなくなったが、私小説的な彼の学生時代の記述には傍線が引いてあった。東京の物語として読むこともできる。
彼は私の祖父の友人でもあり、ともに冷飯食いの時期があったりしたためか、祖父は彼を嫌いではなかったように感じた。
長谷川尭「神殿か獄舎か」(相模書房)、同「建築の現在」(鹿島出版会)。
法律雑誌の編集者時代に建築物に興味を持った時期があった。「建築物でたどる日本近代法史」などと言う企画を提案したこともあったが、採用されなかった。標高が国会議事堂と同じという条件のコンペで建造された最高裁判所から、網走監獄まで、1年間12回の連載は可能だと思ったのだが・・・。
「神殿か獄舎か」には、旧松本裁判所庁舎(朝日1981・6・29)、東京証券取引所(日経1981・5・6)、法務省本館(朝日1983・2・16)、神戸地方裁判所篠山支部庁舎(当時現存する最古の裁判所庁舎だったらしい。日経1982・12・23)、中野刑務所(朝日1983・2・23)、陸軍大学校(当時は青山中学校、朝日1983・2・23)、最初の米国大使館(麻布善福寺、日経1983・2・24)、丸ノ内ビルヂング(朝日1983・2・16)、旧枢密院庁舎(当時は皇宮警察本部、読売1979・11・27)、中央大学(駿河台、日経1983・2・10)などの新聞記事の切り抜きが挟んであった。
書き手がいたかどうかは分からないが、ほとんどの建物が現在では取り壊されてしまっており(一部は明治村などに移築されたが)、我ながら惜しい企画だったと思う。
長谷川の「建築の現在」は、こちらもほとんどが取り壊されてしまった丸の内街の歴史的建築物を論じており、写真も(きれいではないが)挿入されているので、取っておくことにした。そういえば、今年に入ってから長谷川氏の死亡記事を見たような気がする。
続きは、また日を改めて。
2019/7/23 記
連日の作業が祟ったのか、3月中旬に椎間板ヘルニアと診断されてしまい、1か月間、リリカという鎮痛剤を飲んでやや軽快したが、完全には治らなかった。
しかし1か月以上も継続して鎮痛剤を飲むのも心配なので、飲み薬はやめて、その後は「インドメタシン配合」とか銘うった経皮鎮痛剤を朝晩塗って凌いだ。これでまた少しずつ良くなった。
今日捨てることにしたものは、数十年間読まずに放置してあった単行本。
買った当時はけっこう入れ込んだ作者のものが多いが、とにかくそれ以降はまったく「ときめき」がない。思い切って捨てることにした。
清水幾太郎「わが人生の断片(上・下)」(文芸春秋)。
晩年には日本の核武装化を唱えたりして、到底ついて行けなくなったが、私小説的な彼の学生時代の記述には傍線が引いてあった。東京の物語として読むこともできる。
彼は私の祖父の友人でもあり、ともに冷飯食いの時期があったりしたためか、祖父は彼を嫌いではなかったように感じた。
長谷川尭「神殿か獄舎か」(相模書房)、同「建築の現在」(鹿島出版会)。
法律雑誌の編集者時代に建築物に興味を持った時期があった。「建築物でたどる日本近代法史」などと言う企画を提案したこともあったが、採用されなかった。標高が国会議事堂と同じという条件のコンペで建造された最高裁判所から、網走監獄まで、1年間12回の連載は可能だと思ったのだが・・・。
「神殿か獄舎か」には、旧松本裁判所庁舎(朝日1981・6・29)、東京証券取引所(日経1981・5・6)、法務省本館(朝日1983・2・16)、神戸地方裁判所篠山支部庁舎(当時現存する最古の裁判所庁舎だったらしい。日経1982・12・23)、中野刑務所(朝日1983・2・23)、陸軍大学校(当時は青山中学校、朝日1983・2・23)、最初の米国大使館(麻布善福寺、日経1983・2・24)、丸ノ内ビルヂング(朝日1983・2・16)、旧枢密院庁舎(当時は皇宮警察本部、読売1979・11・27)、中央大学(駿河台、日経1983・2・10)などの新聞記事の切り抜きが挟んであった。
書き手がいたかどうかは分からないが、ほとんどの建物が現在では取り壊されてしまっており(一部は明治村などに移築されたが)、我ながら惜しい企画だったと思う。
長谷川の「建築の現在」は、こちらもほとんどが取り壊されてしまった丸の内街の歴史的建築物を論じており、写真も(きれいではないが)挿入されているので、取っておくことにした。そういえば、今年に入ってから長谷川氏の死亡記事を見たような気がする。
続きは、また日を改めて。
2019/7/23 記