入試関係の会議の合間に2時間あき時間ができたので、久しぶりに研究室のパソコンでDVDを見ることにした。
Keep社版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画(グレー45)”、ヒチコックの「私は告白する」(原題も“I Confess”,1953年アメリカ映画)。
むかし≪法学セミナー≫に「映画による法学入門」という記事を執筆した時にも紹介した映画だが、実はまだ見たことがなかった。
典型的なヒチコックのサスペンスものであるが、その道具立てになっているのが神父の証言拒否権というか、懺悔内容の守秘義務である。
モンゴメリー・クリフト演ずる神父が、殺人者から人を殺したことを懺悔される。
ところが、被害者が神父の弱みをネタに神父を恐喝していたことが明らかになり、神父自身がその事件の容疑者として取り調べを受けることになってしまう。
懺悔の内容を喋ってしまえば神父自身は無罪放免となるのだが、神父には守秘義務がある。しかも神父にはアリバイを証明しにくい事情がある・・・。
ここから、ヒチコック流サスペンスが展開される。
真犯人が殺人を犯す動機がやや薄弱に感じられたことと、神父に濡れ衣を着せようと画策する真犯人の行動と最後の場面における真犯人の言動とが説得的に結びついていないことに不満が残ったが、まあヒチコックの水準作とはいえるだろう。
少なくともヒチコック「汚名」よりは、はるかによい。
実際にアメリカの法律、判例などによって神父(聖職者)に守秘義務、証言拒否権が認められているのかどうかは、ぼくは知らない。
わが国には、「牧師や聖職者の守秘義務は、宗教上の義務にとどまらず、法律上の義務でもあると解すべきであり、告白の内容が第三者に漏洩され、告白者のプライバシーや家庭生活の平穏等の人格的利益が侵害されたといえる場合には不法行為が成立する」とした判例が存在する(東京高裁平成11年12月16日判決)。
2010/3/1