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新潟交通電車線・旧月潟駅を訪問

2012-05-01 | 博物館・保存施設等

新潟交通は新潟県内最大手、地方バス事業者としては大規模な事業者として有名な存在ですが、20世紀末の1999年春まで電車も運行しており、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様方の中には、実際にこの電車に乗車した事がある方も居られるかと思います。

新潟交通の電車線は新潟市中心部の県庁近くにある白山前を起点に、燕までの路線を運行していましたが、90年代に入ってから併用軌道区間の白山前~東関屋間と、月潟以遠の区間が廃線となり、末期は東関屋~月潟間で電車の運行を行っていました。

MAKIKYUは新潟交通の電車線廃止間際の99年春に、首都圏から秋田へ向かう途中に新潟に立ち寄った際、一度だけ新潟交通の電車線に乗車した事があるのですが、軌道状態などの設備面は凄まじい有様だった事を記憶しています。

当然ながら活躍する電車は全て非冷房車、運賃も決して安いとは言い難い状況で、おまけに沿線から新潟市中心部へ向かうには、東関屋で路線バスに乗継が必要であるなど、趣味で乗車するには非常に面白い路線であるものの、都市近郊の公共交通機関としての利便性や快適性という観点で見れば、時代遅れで非常に芳しくないと言わざるを得ない状況と感じたものでした。

そのため新潟交通グループ自らが電車に代わって路線バスを運行し、現在に至っているのは致し方ない面もあるのですが、電車線の廃線跡も運行拠点だった東関屋駅などは市街地に位置する事もあって、再開発で面影もない状況なのは残念な限りです。

しかしながら一部区間は廃線跡活用方法の定番とも言える自転車専用道路などとして整備されている他、末期の電車線終着駅だった月潟駅は、今でも駅舎やホームが残存し、最末期の全線廃止まで活躍した車両が3両保存されています。

一月程前にMAKIKYUが新潟を訪問した際にも、電車線末期の時以来13年ぶりに月潟を訪問し、旧月潟駅も視察したものでした。

 
駅周辺の線路は大半が撤去されて自転車専用道路になると共に、月潟駅周辺の軌道跡の一部は駐車場として再整備されているものの、旧月潟駅舎や保存車両は現役時代さながらといった雰囲気で、今でも一部が残存している架線が弛んでいるのが少々惜しい限りです。

保存されている車両は東関屋方から順に、モハ11・モワ51・キ116の3両となっており、この3両が少しずつ間隔を空けて東関屋方面行きホームに縦列で停車する格好となっています。

 
モハ11はMAKIKYUが電車線最末期、新潟交通電車線を一度だけ利用した時にも乗車し、ワンマン運転にも対応した単行運転可能な両運転台の電動車ですが、1両だけでの運転や同形式の2両併結、そして異なるタイプの付随車との2両編成など様々な姿で活躍し、新潟交通電車線で最もポピュラーな存在と言える車両でした。

白山前まで乗り入れていた時には、短い距離ながらも現在の福井鉄道福井市内区間の様に、併用軌道区間を走行していた事もあって、ドア部分にはステップが設けられているのも特徴です。

製造が1960年代で、日本車両製のすっきりとした雰囲気の車体は、戦前製の元小田急車などに比べるとはるかに近代的で、今日の地方私鉄で活躍していても不思議でない雰囲気がありますが、下回りは地方私鉄らしく旧型車両の転用品を用いた吊り掛け式駆動で、最後まで冷房化やカルダン駆動化などは行われなかった為に、最末期は凄まじい走行音を奏でて走り、とても21世紀を目前にした時期に走る電車では…という雰囲気でした。

この電車は行先表示器などを設けておらず、車内運転席側から行先札を掲出する形態となっている辺りは、如何にも一路線だけの小規模私鉄らしい感がありますが、現在保存されているモハ11号は東関屋方が「東関屋 行」、月潟方が「月 潟 行」と異なる表示を掲出している
のも注目です。

 
モハ11号の後ろにはモヤ51・キ116号と続き、こちらは電動貨車と除雪用車両ですので、新潟交通の電車線は最末期に一度乗車しただけのMAKIKYUとしては、旅客用車両の主力として活躍したモハ11号と異なり、個人的には余り染みのない車両です。

とはいえ現役時代もさほど規模が大きい鉄道ではなかったにも関わらず、廃線から13年も経過した今日において、裏方的存在の事業用車両も含めて3両もの車両が、現役時代さながらの雰囲気で残存しているだけでも凄い事です。

小田急ファンでもあるMAKIKYUが欲を言えば、最末期まで活躍したクハ46号(小田急の旧型車体を載せた制御車で、最末期に新潟交通電車線に乗車した時には、この車両にも乗車したものでした)が保存されていれば…と感じたものですが、美しい姿のモハ11号を見物できただけでも、月潟まで足を伸ばした甲斐は充分にあったと感じた程です。


また駅舎と共に東関屋方面行きホームは現役時代さながらに残存しており、最末期は使われていなかった中之口川方の燕方面行きホームこそ姿を消しているものの、この区画を拡張して新設したホームは保存車両と適度に間隔が開いており、保存車両の撮影も考慮した配置になっているのも評価できる事です。

土地柄冬場は保存車両にビニールシートが掛けられて保全されるのは致し方ない所で、月潟駅舎や保存車両のモハ11号車内は、イベント開催時以外は施錠されて立入不可となっているのは残念な限りです。

しかし特に入場料金などを徴収する施設ではないにも関わらず、下手な博物館やローカル私鉄以上の手入れが行われ、見た目だけなら新潟交通電車線の現役時代末期や、今日の地方私鉄老朽車などよりも美しい姿なのでは…と感じた程です。

現在有志で保存活動を行っている方々が、装いなどからかぼちゃ電車とも呼ばれた新潟交通電車線に相当な思い入れがあり、地道な活動を続けている事を実感させられたものですが、機会があればイベント開催時などに月潟を再訪出来れば…と感じたものでした。