ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「ヤンキー母校に帰る」

2005年03月18日 | Weblog
昔、好きな映画の代表作はロビン・ウィリアムズが主役の「いまを生きる」だった。厳格な全寮制の進学校に赴任したキーティング(ロビン・ウィリアムス)の下、生徒たちが自我を発見していく物語だ。それ以外にもリドリースコットの「白い嵐」や「陽のあたる教室」、ちょっとタイプが違うけど「グッド・ウィル・ハンティング」など先生/生徒ものに好きなものが多い。あまりにくさすぎるのはNGだけど、熱い先生や屈折した生徒の姿についつい共鳴してしまう。そんなこともあって「ヤンキー母校に帰る」の再放送を見たのだが、いかん、はまりそうだ。

ヤンキー先生こと義家弘介教師のブログは2月24日から更新されていないが、義家氏のメッセージ映像などを見ているとかなり熱い教師なのだろうと言うことがわかる。

これを竹野内豊が演じているのだけれど、これが意外とはまっている。こんな泥臭く熱い役どころができるとは思ってなかったんだけどちょっと驚き。しかし何と言ってもいい味を出しているのは岩崎先生役を演じる原田芳雄だ。

残念ながら第1話を録り忘れていたので2話からの視聴だったんだけど、永井大を諭す場面は圧巻だ。例えば竹野内が演じる吉森先生は、ある意味、感情を直情的に表現すればいい分、体当たりの演技、テンションと感情移入で誤魔化すこともできるだろうが、余市高校のベテラン教師役で生徒からの信頼を得ている岩崎先生の場合、感情を直接表現するわけにはいかない。まさにベテラン 原田芳雄ならではの味付けされた演技だ。

それにしてもこのドラマを見ていて思うのが、(多少脚色されていることがあるとしても)余市高校のように、ある意味、文科省が想定している標準からもれた生徒たちが集まった学校の場合、教師の関わり方も文科省のマニュアル通りにはいかないのだろうということだ。個々の生徒たちの個々の事情に合わせた完全オリジナルなやり方がもとめられる。しかも前提としては生徒に対しての情熱が求められつつも、それだけでは不十分であり、安藤先生のように現実を受け止め、適切な対処法を導き出すことが求められる。

特に3年C組、通称「岩崎組」のように「岩崎先生」という圧倒的な求心力の下にそれぞれの激しい個性が集まっている場合、屈折したエネルギーが「岩崎先生」によってあるべきベクトルに修正されているようなクラスの場合、「個人」の力が求められるのだろう。「岩崎組」35人はある面では35人でまとまってはいるものの、基本的には岩崎先生とそれぞれの生徒が1:1で結びついた集合体なのだ。

今、こういうドラマを見ると、自分もバカなことをしてたなぁとか、先生に悪いことをしたなぁと思う一方で、こういう先生があの時いたら…という思いもある。そして「教師」といわれる人々も僕らと同じようにただの人間でしかないこと、また義家先生が学校を辞めざろうえなかったように、例え余市高校のような規格外の学校であったとしても、いろいろな人間関係のしがらみがあり奇麗事ではいかない現実を残念に思う。



義家弘介の教育コラム:残り少ない日々

「ヤンキー先生 放熱のとびら」-義家弘介と著名人が語る 教育と子供たち、そして未来-


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1 コメント

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Unknown (esca)
2005-03-18 00:52:54
「いまを生きる」いい映画ですよね。

学生の頃に劇場で観て、恥ずかしいほど大泣きしました。

懐かしいなぁ・・・。

青春だったなぁ・・・。
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