ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

藤巻幸夫の挑戦!

2004年07月30日 | Weblog
先日、NHKで「福助」社長 藤巻幸夫さんの奮闘振りを特集していた。藤巻さんといえば大変情熱溢れる人。その藤巻さんを持ってしても企業の体質を変えるというのは生半可なことではないようだ。

個人的に特に印象的だったのが、「どんなにいい商品を作ったとしても、最後の陳列で手を抜けばその商品は売れない」ということ。「福助」はもちろんメーカーだ。ドラッグストアやデパートなどに商品を卸しているわけで、直営店で販売しているわけではない。

当然、社員の意識はいい製品を作ることで終わっている。しかし「そうではないんだ、お客様に商品を手にとってもらうまでが仕事なんだ」と。そのためには商品の配置にまで気を遣う。製造から流通、販売まで一貫して面倒をみようというのは、元カリスマバイヤーとしての経験・想いもあったのだろう。

また老舗ブランドゆえに自然と商品ブランド・イメージができあがってしまっている。販売店から上がって来る声や期待は当然「商品ブランド」通りの商品だ。しかし藤巻さんは社員を連れ立って、高級ブランドを扱うブティックを回る。そうした販売店が期待するものが必ずしもお客さんが求めているわけではないからだ。

長年作られてきた製品は決して悪い製品ではないだろう。藤巻さんはかってカリスマバイヤーと呼ばれた感性で、デザイナーたちに「商品の違い」-デザインだったり、材質や製法だったり、商品のもつ雰囲気だったり、可視化されない「差」こそがお客さんが求めているモノであることを訴える。お客さんが何を望んでいるかを感じ取り、商品を作り上げる。そうすることでよくも悪くも、出来上がってしまっている「商品ブランド」、「イメージ」からの飛躍が可能になるのだから。

こういった状況は何も「福助」に限ったものではないだろう。

例えばサイトで商品を売ろうとする時、点数が多くなるとどうしても管理の容易さを求め、商品の特性やお客さんからの視点を忘れた「運用のしやすい」サイトデザインにする。「運用のしやすい」サイトは必ずしも「商品の魅力を伝える」サイトではない。商品はいいのかもしれないのに、「商品の魅力が伝わらなかったり」「購入までの導線が複雑であったり」「手続きが煩雑であったり」し、商品の販売に結びついていないサイトというのはかなり多い。こういうサイトは往々に、商品の製造あるいは調達、流通といった部分が中心になり、「お客さんの手に渡るまでがサイトの仕事である」という意識が薄い。

またいったん出来上がった「サイトイメージ」「サイトブランド」に縛られて、お客さんの本当に求めていることから離れてしまっている、ということも多い。もちろん、当初はそうしたイメージやブランドが支持されていたのであろう。しかし成功体験に縛られて時流の変化に気づかなければ、やがてお客さんは離れていくことになる。常に市場の変化を感じ取らねばならないのだろう。

googleの登場は、もちろん技術的な背景はあるわけだけど、それまでの検索エンジンでは対応できなくなってきた市場の変化に対して応えたものであったし、amazonのサイトの仕掛けは現実の書店を運営している人間では気づかなかった仕掛けの集合だあろう。しかし、両者にしても果たして本当に"現在"使いやすいサイトかどうか考えてみればいい。これで十分ということはないだろう。

可視化されていない「差」をどうみつけ、どう対応するか、それは同時にお客さんにどれだけ近づけるかということでもある。


木村剛vs藤巻幸夫 『新生「福助」に情熱のすべてを賭ける』

佐々木かをり×藤巻幸夫

コメントを投稿