Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

SFO Cinemacasts: MADAMA BUTTERFLY <本後編>

2008-04-20 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
本前編より続く>

我々観客がインターミッションでトリヴィアを読んだり、インタビューを見ているうちに、
蝶々さんの家では三年が経ってしまったという設定の第二幕。

この蝶々さんのやる気のなさはどうでしょう!!幕が開いていきなりごろ寝ですよ!ごろ寝!!



実際のところは、彼女は戻ってこないピンカートンのことを思ってアンニュイになっているのでした。
そしてスズキは、上の写真に写っている肖像画(誰の?!)をこのすぐ後売ってしまいます。
それほど、二人の生活は窮状に陥っているということです。

少しこの写真では見えにくいですが、壁にはびっしりとイラスト入りの半紙が貼られていますが、
”an old man 年とった男”というような文字が見られ、さながら、英和の単語帳です。
蝶々さんが本気でピンカートンとコミュニケートしようとし、またいつの日か
アメリカに行くことを夢見ていることがわかります。

スズキ役のカオがインターミッションで話していたとおり、ニ幕からは本当に
エモーショナルな場面と音楽が続くうえ、ラセットの歌がさらに良くなっていくところ。

その日暮らしのような貧乏さの上に、すでにピンカートンが二度と戻ってこないのではないか、と、
感じて泣き崩れるスズキに、”お聞きなさいよ!彼は絶対に帰ってくるんだから!!”と
蝶々さんが歌うあまりにも有名な”ある晴れた日に Un bel di ”。
お客さんの中にはこのアリアを聴いたことがあっても、こういうくだりでこの曲が入ってくると
いうことを知らなかった方もいたようで、会場からは、”あら!”という声も聞かれました。

SFO(サン・フランシスコ・オペラ)のウェブサイトで公開されていたこのアリアの
抜粋をPCで聴いたときには、少しラセットの声が軽く聴こえるような気がしたのですが、
映画館の中では、オペラハウスで聴くときに近い、どしっとした歌声になっていました。



さて、この公演でキャスト上一番弱かったのはカオのスズキかもしれません。
歌はそう悪くはありませんが、スズキをどういう人物像にしたいのか伝わってこない。
彼女はインタビューの中で、彼女がいかに蝶々さんに忠実で優しいか、ということを言っていましたが、
私の基準からすると、彼女のスズキはあまりに優雅さに欠ける。
ラセットの動きが非常に綺麗なので、どうしてこんな女主人にこんなお下劣な女中がくっついているのか?
と問いたくなるほど。

後に続くシーンで例を挙げるなら、例えば、ゴローが、父親なしで生まれた子は
アメリカでだって仲間はずれだ!というような陰口を叩いて、蝶々さんとスズキを怒らせるシーンでは、
まるで非行少女のようにゴローにけりを入れて、私を震え上がらせましたし、
ピンカートンの船が入港したのを喜んで花を撒くシーンでは、
突然きゃぴきゃぴ喜んだかと思うと、まるで子供がバケツから
水を撒いているような品のなさで籠から花をばらまき、
横ではらはら~っと優雅に花びらを撒いているラセットとはあまりに対照的。
はっきり言って、この方はスズキとはどんな人物か、全く理解していないばかりか、
蝶々さんとの舞台所作上のコンビネーションも上手くとれていない。猛省を促します。
見た目がアジアっぽい、という理由だけでキャスティングされるべきではない、
大事な役なのに。スズキは。

一方で、全く名前を聞いたことがなかったのですが、シャープレスを演じたパウエルは、
少なくともこの役で見る・聴く限り、安定した歌唱と卓越した演技力で、なかなか魅了されました。
私が今までみたシャープレスが、比較的、渋い大人のおじさま系の役作りの人が多かったせいもあり、
パウエルが一幕で現われ、ピンカートンとの会話を始めたときには、
”なんだ?!このちゃらちゃらしたおやじは!?”と不安が募りましたが、
どうして、どうして、彼のシャープレスはこれはこれで非常に良く練れていると思います。
彼自身の、少し長めで、下手をするとやや俗っぽくなりがちな顔の雰囲気(またまた失礼なことを、、)
を上手く利用しているな、と思いました。
つまり、彼のシャープレスは、良識のある、思いやり深い紳士、というよりは、
彼自身、過去にいろんな遊びも経験し、世慣れた部分のある”昔は遊び人”系おやじなのです。
しかし、遊びにはきちんと遊びのルールがある、ということを知っているおやじ。

だから、一幕でシャープレスがピンカートンをたしなめるとき、
それは、女遊びをするな、と言っているのではない。相手を見てしろよ、と言っているのです。
だから、シャープレスの歌う、”蝶々さんの声を聞いたが、
あれは自分がこれから結婚する相手を信じている人間の声だった”とピンカートンを戒める言葉が胸にしみる。
良識からでしか物が言えない人に言われると、ふーん、としか思えないことが、
人生経験豊かな人に言われると、重みが生まれるのと同様に。

だから、彼が、ピンカートンとの間に子供が生まれていたことを
蝶々さんに打ち明けられるときの、彼の動揺ぶり、、。これもまた心を打ちます。
こんなことは、彼の遊びのルール・ブックには絶対にありえないこと、
この時、彼はそれまでやや及び腰だった姿勢をあらため、
きちんとピンカートンと蝶々さんの間に入ってあげよう、と決意するのです。
人物描写という観点からだけで言うと、今まで見たシャープレスの中で、彼は
トップクラスに入る出来でした。

ラセット、パウエル、この二人が非常に演技が上手いため、
シャープレスがゴローと一緒になって蝶々さんがヤマドリと結婚してくれたら、、と願うシーン、
シャープレスがピンカートンから言付かった手紙を蝶々さんに読むシーン、
続いてシャープレスが、”もし、このままピンカートンが帰ってこなかったらどうしますか?”
という言葉を発して蝶々さんを悲しませるシーン、
蝶々さんに子供が生まれていたことをシャープレスが知るシーン、
そして、シャープレスが蝶々さんに子供のことをピンカートンに伝えることを約束するまで、と、
とにかくものすごいテンションの高さで、気が付くと私の頬にも涙が伝っているのでした。

いや、頬の涙をハンカチで拭っている私などはかわいいもので、
例のオペラヘッドのおばさまが座っている方向(そして、その方向にはおばさましかいない)からは、
嗚咽の声が聞こえ、やがておんおんというすごい泣き声に変わっていったのでした。



しかし、ここで泣くのはまだ早い!
シャープレスが去った後、船の入港を知らせる大砲の音が聴こえて一瞬舞台が静まり返るところからは、
観客(たった10人ですが)も息を呑んで食い入るように画面を見ています。

ピンカートンの船?!とはやる心を抑えて望遠鏡をとるも、
手が震えて位置を定めることが出来ない蝶々さんの様子が、ラセットってば、
歌も演技も心憎いくらい上手い。

そして、ラセット自身も歌っていて一番ここが好き!と断言する、

Trionfa il mio amor!
la mia fe'trionfa intera
ei torna e m'ama
(私の愛の勝利、私の愛と信じる心が勝ったのよ!
あの人は戻ってきた。
そして、私を愛している!)

”もうっ!!”

私はこの一言しか言えません。それくらい素晴らしい。
こういう一瞬のために私たちはオペラハウスに行くのだ、ということを思い出させてくれます。

しかし、全体的にSFOのお客さんは上品な感じがします。
メトの昨年の10/27の公演では、ちょうどサブスクリプションの日にあたっていたので、
周りがオペラヘッドの巣となっていたせいもあってか、彼女がe m'amaを歌い終わると、
轟音のような拍手が出ていましたが(みんな泣いているので声は出せない)、
しかし、このSFOの公演では静かに皆さん聴いておられます。
それぞれのオペラハウスのカラーってあるのだなあ、と実感。

続いてやさぐれスズキと蝶々さんの花の二重唱。ここでの乱暴なスズキの花撒きは先述の通り。
しかし、二人の声の相性は悪くありません。
いや、これで声の相性が悪かったら、カオのスズキにはほとんど何も残りませんから、
がんばってもらわないと。



さて、ピンカートンが来るのは今か、今かと待ちながら身繕いをする蝶々さん。
鏡に写った自分の姿を眺めて思わず、”なんて自分は歳をとってしまったか、、”と
呆然とする蝶々さんの様子が悲しい。
スズキ、蝶々さんの子供と障子の側にたってじっとピンカートンの来訪を待ちわびます。

このプロダクションでは下のようにスクリーンに影絵で大写しになる軍艦が。
その大きさが舞台におおいかぶさるように巨大で、またその黒さが不気味でもあり、
この巨大な軍艦に象徴される威圧的なまでの強さこそ、蝶々さんがアメリカに対して
自分がはみだしてしまった日本という国から救ってくれるのでは?と期待する理由になっていたものであり、
しかし同時に、それは救ってくれるどころか、彼女の運命もろとも破壊してしまう存在になり始めていて、
その瞬間がひたひたと迫っていることをシンボライズしていて、なかなか効果的。



この三人が立った姿のまま、ハミング・コーラスへ。
新国立劇場の栗山昌良さん系の演出です。
栗山さんの演出の素晴らしかったところは、とにかくこの3人を完全にストップモーションにして、
そのまま通常第三幕と言われているシーンまで突入し、朝が明けて、初めて彼らが動き始めるようにした点。
見ている観衆は、”なんでこんなに長いんだよー!”と痺れを切らしそうになるのですが、
それこそまさに栗山さんの思う壷。
実際にはこの後に続くハミング・コーラスを経て朝焼けに至るまではそう長くはないのに、
この静止状態を置くことによって、異様に時間が長く感じられるのですが、
それは、まさに蝶々さんがピンカートンを待ちわびて死ぬほど時の歩みが遅く感じられた気持ちと
シンクロしているのです。

この演出では、ほとんどそれと同じ手法を踏襲しながらも、失敗を犯してしまったのは、
バックの色が段々夜の闇の色に変わっていくに応じて、灯篭を用意するために、
スズキを舞台で横に歩かせた点。
明かりを灯すことで夜になったことを強調したかったんでしょうが、ここは
3人ともじっとしていてほしかった、、。

今日の指揮はラニクルズ。テンポ設定も適切だし、指揮そのものは良かったと思うのですが、
彼の指揮の良さを十全に引き出すには少しオケの力量が不足しているか?
各セクションで部分的に粗雑な演奏があるのが少し気になりました。
同じラニクルズが指揮したメトの『ピーター・グライムズ』のオケの演奏が素晴らしかったことを考えると、
メト・オケの方が一回り実力があるのかな、という気がします。
もちろん、SFOに関して一回きりの演奏を聴いて判断するのはフェアではありませんが。

そして合唱。これは新しいコーラス・マスターになってから、
ものすごく実力をつけ始めているメトとかなり差が開いているように思います。
SFOの合唱、がんばりましょう。

また、このハミング・コーラスに関しては、私の好みからすると、少し音が大きすぎた。
私は、ここは、柔らかく、柔らかく演奏してもらうのが好みなので、
かなり力強く飛び出してくるハミングに、”ちょっと何なの?この無粋な音楽は、、。”
と引いてしまいました。

さて、このハミング・コーラスが終わったので、余韻にひたりながらも、
また蝶々夫人のトリヴィアを勉強するインターミッションかな?と思っていたら、
何とそのまま通常第三幕と数えられる幕に突入!!!
(ただSFOの資料では、全ニ幕ということになっていて、ここは幕ではなく、
次の”場”という扱いになっているようです。)

やるじゃないですか!!SFO!!!
メトではここでいつもインターミッションが入ってしまうので、
(それは現在のミンゲラ氏の演出でも、以前の演出でもそうだった)
これには私は大感激!!
そう!絶対にこうでなければなりません!!!

感激で胸が打ち震えている私に、その後SFOが氷水をふっかけてくるとは誰が予想だにしたでしょうか??

だって、せっかく舞台では、朝が明けていく音楽をバックに、
三人がじっと障子のそばで控えているというのに、あろうことか、
何と、映画のスクリーンでのみ(よって映像編集により)、
今までの思い出の場面のフラッシュバックが、次々と写し出され始めたではありませんか!!!
しかも、スローモーション&霞がかかったような画面に修正して、、。

私はこれを見たとき、その場でぶっ倒れるかと思いました。
一体、この映像を編集した責任者は、いや、SFOは何を考えているんでしょうか?!
これではせっかくの演出家の意図が台無し、、。
ホールマーク・チャンネル(*誕生日などのカードの製造販売でお馴染みのHallmark社が
ケーブルTVで保有しているチャンネル。ださいソープオペラまがいのテレビ映画が次々と放送される。)
もびっくりのこの安っぽい映像編集・・。ありえない。

だいたいロン・ダニエルズという演出家のこのプロダクション、
少し練れていない個所もありますが、演出の全体の方向としては決して悪くない。
例えば、ゴロー、ヤマドリ、シャープレスが何とか蝶々さんを助けようとしている、
その心理も比較的うまく描けているし、
この第三幕突入作戦をとったということだけでも、私としては頭に月桂冠をのせてあげたい位なのに、
このべたな映像編集が一瞬にしてこの演出の良い個所に土足であがって泥を塗りまくったのでした。
これは演出家がかわいそすぎます。
せっかく浸っていた感動の嵐が、一瞬にしてさーっと引く思いがしました。

ずっと静止画面のような舞台だから観客が退屈すると思ったのか?
観客を舐めんなよ!です。

さて、気を取り直して。なぜなら、ここからのラセットは独壇場だから。
罪の意識(何をいまさら、、)で蝶々さんに合わせる顔もないピンカートンに変わって、
彼女に子供はアメリカに引き取って育てることを伝えようとするシャープレスと
ケイト=ピンカートンのアメリカ人の正妻。
もちろん蝶々夫人は長崎に残って。

ここでのシャープレス役のパウエルの苦渋の表情も上手いです。
ケイトに”彼に愛されてあなたは世界で一番しあわせな女性だ”と蝶々夫人が歌う個所。
ここは歌われ方ではちょっと怖い感じもするのですが(蝶々さんの恨み、いやみ、ともとられかねない。)、
ラセットのそれは心底から羨ましがって、蝶々さんが最後に見せる少女らしさのようなものも感じさせて、
また涙。斜めうしろ45度(オペラヘッドのおばさんがいるあたり)からも、再び嗚咽の声が。

子供は、ピンカートンが自分で引き取りに来たら、手放しましょう、という蝶々さん。
もちろん、彼女の心はもう自害を決めています。

父親が切腹に使用した刀を捧げ持ち、”名誉をもって生きれぬものは、名誉を持って死ぬべし。”
と呟くように歌う蝶々さん。

とここで、白人とアジア人カップルの女性の方がおもむろに立ち上がり、
足早に映写室を退室。ええっ?!こんな大事なシーンで?!
だから、デートには向かない、とワーニングを出したのに、、。
アメリカ人とアジア人の二人の運命ってこうなの?と悲観したのか、
自害シーンが苦手なのか、、。
慌てて追いかける白人の男性、、。かわいそう。これからが見所なのに。

一旦刀を首につきたてたものの、傍らで遊ぶメグ・ライアン似のかわいい男の子の姿に
つい心がくじける蝶々さん。
彼を抱きしめながら歌うアリア”かわいい坊やよ、さようなら Tu, piccolo addio "。
言葉ではこの気持ちは説明できません。
ただただ涙がとめどなく溢れて止まりませんでした。
この曲をこんな歌唱で聴いて、それ以外、何が出来るというのでしょう?
これだけは、ぜひ、彼女の歌をぜひ生の舞台なり映画なりで体験していただくしかありません。

このアリアが始まってすぐ、例の白人の男性がいそいそと、一秒でも見逃すのが
惜しい!といった風情で、映写室に駆け戻ってきたのが印象に残りました。
いやあ、これは見逃したくないでしょう!!



アリアの最後の、”さあ、遊んでおいで”と泣きながら言うのに合わせて、子供に、
母親の死に目を見なくていいよう、白布で目隠しをする蝶々さん。

各演出、各歌手によって自害の仕方も様々で、ここも見所のひとつ。
このアリアの後、歌がなく、オケの演奏をバックにとつとつと演じなければいけないので、
演技力のない人がやると見てられません。
しかし、ラセットなので、そんな心配があるわけがない。

首にさっと刀の切っ先をあてて、そのまま刀を背中に沿って滑らせる方法で、
血らしきものを想起させる小道具は一切なし。
(ちなみにメトのミンゲラ演出版では黒子がさっと長い赤布を広げて、血の流れを描写します。)
すべてはラセットの演技力にかかっていますが、刀が首に入って行くに従って、
観客からも”うわっ!”という呟きが聞こえたほど。
とにかく、死に際までエレガントなのが本当に素晴らしい。



崩れ落ちた蝶々さんの後ろで、鳥居を想起させるバックが赤色に変わって幕。
これも、結局、アメリカにあれだけ心酔し、期待していた蝶々さんも、
最後は日本のスピリットに基づいて死んでいかねばならなかった、と
いうことを表現していると思われ、この演出家は少なくともこの作品の、コアとなっている部分というのを、
本当によく把握していると思います。



最後の舞台挨拶でびっくりしたのが、ピンカートン役のジョヴァノヴィッチが登場した途端、
ブーイングの嵐が出たこと。
実際にオペラハウスにいたわけではないので、本当のところはわかりませんが、
映画館で聴いている限りは素晴らしい出来だったので、ピンカートンという役に対する
ブーイングととるしかないのですが、実際はどうなんでしょう?
オペラハウスで聴いた方に確認してみたいものです。
本人も笑いながら、おいおい!という感じで肩をすくめて見せ、
続いて、喝采の嵐の中登場したラセットは、指をたてて”ちっちっち!”と、
「そういうひどいことを蝶々さんにするからブーイングなのよ!」というジェスチャー。
仮に何かジョヴァノヴィッチの歌に欠点があったとしても、
彼女がこのジェスチャーをしたことで、役に対するブーイングという風に意味合いが転換され、
彼女は本当、こういうところが機転が利くな、と思います。

しかし、このブーイングが本当に役そのものへのブーイングだったとしたら、
これはある意味、ジョヴァノヴィッチに対しての最大の賛辞とも言えるのではないでしょうか?

ブルックリンにまで足を延ばした甲斐大有りの、最大級の賛辞を送りたい公演。
”絶対にDVD化してほしい!!”とSFOのシネマキャストの担当者の方にメールをしておきました。
ただし、”あの変なフラッシュバックはなしでよろしくお願いします。”とも。

メトの来シーズンの『蝶々夫人』のライブ・イン・HD、
ドマスではなく、ラセットに歌わせてほしい、と私が吠えているのは、こんな理由なのです。


Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Brandon Jovanovich (Pinkerton)
Stephen Powell (Sharpless)
Zheng Cao (Suzuki)
Matthew O'Neill (Goro)
Eugene Chan (Yamadori)
Raymond Aceto (The Bonze)
Katharine Tier (Kate Pinkerton)
Dylan Hatch ("Trouble", Cio-cio-san's child)
Conductor: Donald Runnicles
Production: Ron Daniels
Performed at the War Memorial Opera House, San Francisco
Cinemacasts viewed at Pavilion Park Slope, Brooklyn, New York

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

SFO Cinemacasts: MADAMA BUTTERFLY <本前編>

2008-04-20 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
序編より続く>

いよいよ始まったSFO(サン・フランシスコ・オペラ)のシネマキャスト、『蝶々夫人』。

まず画質にぶっとぶ。悪い。悪すぎる。
昨シーズンのメトのライブ・イン・HDのうち二作品がDVD化されていますが、
その鮮明な映像に比べると、異様に解析度が悪い。
この小さな試写室もどきの小さなスクリーンでこれですから、
大スクリーンに映った日にはどんなことになるのだろう?
これはもしかすると、映画用の機材で撮影しているんでしょうか?
画面のテクスチャーそのものがアナログな感触で、全然デジタルっぽい感じがしません。

音が出てきて更にびっくり。
音が画像と微妙に合ってない、、、。これはあまりにお粗末。
特に歌手がどのような表情、筋肉の使い方で声を出しているのか見れるのが
映画館で見る醍醐味の一つなのに、音とその顔が合ってないという、、。
一幕の途中まで、ずっと、質の悪いアフレコのような音声で非常に気持ち悪い思いをしました。
(途中でぶちっ!と言う音がして、突然画像と音がマッチしはじめました。ふう。)

最近のトレンドとして、あくまで私見ですが、『蝶々夫人』に関しては、
家を細かに再現したようなセットよりは、非常に簡素な、例えば、障子や階段といった
もののみをシンボリックに舞台に置き(メトの新プロダクションが一例)、
シンプルなものにしたその代わりに、照明などを多用し、
色彩のイメージにこだわったものが非常に多くなってきたような気がします。
このSFOのプロダクションはちょうどその中間を行くようなセット。



日本という国を表現するには、まず、この色彩ということと、光の感じ
(アメリカと比べると、日本に帰国したとき、まず違うなあ、と思うのは光の色です。)を
掴んでいてほしい、と思うのですが、このプロダクションは色彩の点で悪くありません。
少なくともメトのミンゲラ・プロダクションの原色使いよりは私は何倍も好感を持ちました。

ピンカートンを歌うのは、昨秋のタッカー・ガラに一番手で登場していた
ブランダン・ジョヴァノヴィッチ。
あの時は錚々たる面子に囲まれて固くなっていたのか、
声の線も細く、歌も個性がない、と感じたのですが、
今日のこの見事に軽薄そうなピンカートンを堂々と歌っている様子はどうでしょう!
こんなに実力があったのか、と嬉しくなりました。



タッカー・ガラでの様子やヘッドショットの写真に見られる実直そうな素顔とは裏腹に、
無邪気と軽薄さゆえの残酷さが声や立ち振る舞いからも滲み出ています。
今まで見た公演のピンカートンは、アラーニャですら
少し位が上の軍人さんかしら?と思う恰幅のよさがありましたが、
このジョヴァノヴィッチはまだまだ若しく、こういうのりの兵隊さんって、
六本木あたりで遊んでいる姿を今もたまに見かけます、という雰囲気で、なかなかに新鮮。
蝶々さんとのことは、もしかすると若気の至りという面があったのかもしれないな、と
思わせる役作りで面白く感じました。

歌に関しては、時々音がおろそかになったり、二重唱の最後で少し音を外していたり、と、
まだ改善の余地はありますが、しかし、これくらい歌ってくれればまずは上出来です。
声に関しては、タッカー・ガラの時にはこんなにからんとした声を出せるとは
全く想像だに出来なかった上、
へらへら笑って立っている仕草の演技など、若手とは思えぬ堂の入りっぷり。
お見それしました。

さて、蝶々夫人のラセット。
登場してすぐの合唱に続く蝶々さんの旋律の最後のオプショナル高音はなし。
彼女はもうここの高音はなし、ということにしているようで、今まで聴いた3回とも音をあげずに済ませています。

しかし、私はここから彼女の表情に釘付けに。
オペラハウスで遠目に見ていても、芝居が上手な彼女ですが、
こうしてどアップで見ていると、表情にもものすごく細かい感情が次々と現われては消え、
を繰り返していて、特に目の表情、これが素晴らしい。
さっと瞳にかげりが出たり、嬉しそうになったり、、、。
これが、ピンカートンとの会話、一語一句ごとに起こっているのです。
しかも、その表情がいちいち的確。
もうこれを見ただけで、いかに彼女がこの役をよく理解しているか、わかろうというもの。
遠めに見て上手い、と感じる演技は、このような緻密な役の分析と理解に
基づいたものなのだ、と納得。



彼女は日によって、立ち上がりの発声が少し固くなることがあるのですが、
今日は頭から大全開。ほとんど全くといっていいほど、固さを感じませんでした。
特に二重唱に入ってからのこの声の豊かさはどうでしょう!

ただ、このプロダクションに私は二、三、不満な点があって、その一つがこの二重唱から
おもむろに舞台に出てきたベッド。
そして歌われる言葉にあわせたんでしょうが、後ろに満点の星、、。
コンセプト的には、メトの『ロミオとジュリエット』の空飛ぶベッドに近いんですが、
これはなんか変。こてこての和風家屋になぜベッド??
しかも、ベッドにはせいぜい腰掛ける程度の二人なので、
一体このベッドに何の役割があるのか、私にはよくわかりません。
これで蝶々夫人がアメリカという世界に足を踏み入れたということを表現しようとしている?
だとすれば、メトの『トリスタン~』のパンチdeデートと同じく、観客を甘く見た、
意味のない幼稚な小道具です。

ラセットがここの歌唱で、ものすごく高度な艶っぽさを見せているので、
余計にこのちゃちな小細工が寒く見えます。
ここはメトのプロダクションのように余計なものを置かずに、直立で歌ってもいいのでは?
さて、ラセットの歌の艶っぽさについて言及しましたが、それは、愛の二重唱の中の、
Siete alto, forte (あなたは背が高くて、強くて)という言葉から。
それまでとは違う、この言葉の微妙な歌い方の変化により、その時点まで、
すでに盛り上がりまくりのピンカートンに対しても、まだ非常にガードが固く、
恥ずかしがりやの少女らしい様子だった蝶々夫人が、まるでがばっ!とおもむろに
仮面を脱いだかのように、なまめかしい大人の女性の表情を見せ始めるのです。
ほんのちょっとしたフレージングの差で、そんな蝶々夫人の心の変化を
歌い描くのですから、ラセット、恐るべし!
そして、ここから最後までは、もう私を奪ってちょうだい!とばかりに蝶々さん大爆発。
イタ・オペで最もエロティックな二重唱と言われるのもむべなるかな、なのです。



蝶々さんが、”外国では蝶々をピンでさして台の上に留めるんでしょう?”
という、この蝶々夫人の未来をも暗示する質問を放つときの激しさ
(すでに彼女は無意識に自分の不幸を感じ取っているのかもしれません)の表現も
非常にすぐれたものがありました。

先にも触れたとおり、二重唱最後の音をジョヴァノヴィッチがやや外していたのに加え、
ラセットも少しピッチが下がり気味でしたが、許容範囲。

第一幕は、試写室もどきに響きわたる、オペラヘッド連盟=おばさんと私の
二人の大拍手を持って終了したのでした。

さて、メトのライブ・イン・HDがこのシネマキャストに比べるとよく出来ているな、と、
感じさせられるのは、
その画質と画像編集の技術。カメラの性能と数の多さが違うからでしょうか、
メトの方がずっと画像のアングルが多彩だと思います。
シネマキャストは基本的には、アップか引いた画面のどちらかしかなく、
この二つの間を行ったり来たりするのみ。
そして、もう一点は、インターミッションの使い方。
ライブ・イン・HDについては、たった数回、
それもほんのちらっとオペラハウスで流れているのを見ただけですが、
それでも、登場歌手やスタッフへのインタビューあり、舞台裏の様子の映像あり、
客席の映像あり、と、
仮に日本のように実際のNYでの公演から何日か経った後で上映される場合でも、
生っぽさというのがきちんと保存されている気がします。
それに比べて、このシネマキャスト、固定した映像をバックに、
『蝶々夫人』についてのトリヴィアのような文章が次々と写されるのみ。
ええっ!!これで10分の休憩時間全部使ってしまうんですか、、?と思っていると、
やっと最後になってほんの短いものですが、蝶々さん役のラセットと、スズキ役のカオへの
インタビューが入りました。ああ、油断してトイレに立たなくて良かった、、。

まず、この公演では、かつらの似合う、ふっくらとした女中顔のカオが、



なぜだかインタビューでは地で登場。80年代の女性ロッカーのような頭にびっくり。
そんな風貌で、”ニ幕のほとんど最初っから来ますよ。もう途中からは客席から、
がんがんすすり泣きが聴こえます”と言われても、、。
しかし、蝶々さんはともかくスズキすら世界の主要劇場で歌ってくれるような
日本人歌手がいないのは何でなんでしょうか?
韓国勢や中国勢の歌手のがんばりに比べると寂しいものがあります。

一方のラセットは、実際の公演のインターミッション中に撮影したのか、
蝶々さんの衣装、およびメイクのまま登場。
インタビュアーの”この作品を見たお客さんに望むことは?”という質問に対して、
ラセットが”これは、お客さまへの愛情を込めて言うのですが、
演奏が終わった時、どうしようもなく打ちのめされたような気分(devestated and wrecked)になってくれていたら最高です。”と言っていたのが印象的でした。
また、歌っていて一番好きなシーンは?という質問に、
”それはもう、蝶々さんがピンカートンの船が入ってくるのを見つけて、
ei torna e m'ama(と、ここで実際に鼻歌程度ですが歌ってみせてくれた)と歌うところ!”。
ここは昨年の10/27の公演でも素晴らしかった個所で、やっぱり歌っている彼女本人も
好きだからあんな歌になるのだ、と納得。

彼女は喋っているときもとてもウィットに富んでいて頭の回転が早そうなので、
これまでもメトの土曜のマチネの全国FM放送のミニ・コーナーの司会を担当したり、
シリウスでもゲストで招かれたりしていますが、このインタビューもこんな短い時間でなく、
もっといろいろ話を聞いてよ!と思ったのは私だけではないはず。

本後編に続く>

Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Brandon Jovanovich (Pinkerton)
Stephen Powell (Sharpless)
Zheng Cao (Suzuki)
Matthew O'Neill (Goro)
Eugene Chan (Yamadori)
Raymond Aceto (The Bonze)
Katharine Tier (Kate Pinkerton)
Dylan Hatch ("Trouble", Cio-cio-san's child)
Conductor: Donald Runnicles
Production: Ron Daniels
Performed at the War Memorial Opera House, San Francisco
Cinemacasts viewed at Pavilion Park Slope, Brooklyn, New York

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

SFO Cinemacasts: MADAMA BUTTERFLY <序編>

2008-04-20 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
予告編から続く>


メトがライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)を成功させて以来、
今年は、イタリアのオペラハウス(スカラ座やフィレンツェ歌劇場などの共同企画)、
さらにはSFO(サンフランシスコ・オペラ)なども競って映画館でオペラの公演を上映する
企画を始めました。
やはり、メトのライブ・イン・HDを意識せざるを得ないようで、
それぞれ、各々の強み、カラーを打ち出そうと頑張っているようです。

前者については、上映ホールが自宅から歩いて行けるという距離なのにも関わらず、
なんと、デヴィーアが出演したスカラ座の『マリア・ストゥアルダ』を、
怒涛の鑑賞スケジュールにどっぷりつかっているうちに見逃すという、自分でも許せない過ちを犯してしまい
(ちなみに、それはそれは素晴らしい公演だったそうです、、)、
後者のSFOの『蝶々夫人』を見逃すようなことがあったら、蝶々夫人ではなく、
この私が切腹をせねばなるまい!ぐらいの覚悟で、事前に映画館のチケットも手配し、
道順までもプリントアウトして、準備万端。

しかし、知り合いの方から、NYCO(NYシティオペラ)で公演されている『キャンディード』が、
歌手陣の健闘のおかげで素晴らしいものになっているらしいこと、
そして、その最後の公演が、『蝶々夫人』を見る予定にしていた4/20(日)、
しかもどんぴしゃの時間帯に行われることを知り、悶絶するような苦しみを味わいました。
生舞台の『キャンディード』をとるか、仕事で平日の鑑賞は無理なため今日しかチャンスのない、
映画館で見るSFOの『蝶々夫人』をとるか、、。

そして、普段は生舞台と生でない媒体のものを比較すれば、まず必ず生の方をとる私が、
今日は『蝶々夫人』をとったのでした。
それもこれもパトリシア・ラセットの歌う蝶々さんを聴きたいから。
ここでカミング・アウトしてしまうと(いや、もうすでに微妙な形で何度もカミング・アウトしてきたのだが)、
私が今世界で最も敬愛してやまないソプラノが彼女。
彼女の出演する舞台を、見れば見るほど、聴けば聴くほど、彼女は本当にすごい!という感が
どんどん強くなってきて現在に至ります。
特にこの『蝶々夫人』に関しては、歴代の蝶々さんを当たり役にしてきた歌手たちよりも、
私は彼女の方が圧倒的に好き。

メトのライブ・イン・HDの『ピーター・グライムズ』でエレン役を歌った彼女ですが、
主役度、見せ所・聴かせどころの多さは圧倒的に蝶々さんの方が上で、
その彼女の晴れの舞台を見逃すわけにはいかない。
大体、一時は本気でサン・フランシスコにまで本公演を観に行こうか、と思ったくらいなのですから。

さて、チケットを手配するときにびっくりしたのは、我が家から一番近い上映場所が、
なんと、ブルックリンのプロスペクト・パークだったこと。
マンハッタンには大小おりまぜ山ほど映画館があるってのに、なんでまたブルックリンなんだろう?
やっぱりメトの牙城に食い込むにはSFO側の気が引けるのか、
それともゲルプ氏がマンハッタン中の映画館に札束をばらまいて、
SFOの企画にはのらないように!とのキャンペーンを打ったのか?

さて、このブルックリン、私の基準(注:ただしこの基準は相当狂っているという説もある。)では、
決してマンハッタン、特に私の住むエリアから近くなく、しかも、
地下鉄を乗り換えるときに猛烈に歩かされる。
だいたい、メトに行く際にも歩くのが嫌でキャブに乗るってのに、
映画館での上映を見るのになんでこんなに歩かにゃならんのだ!と歩いているうちに怒りがこみ上げてきた。

しかし、道順しらべをしているときにこんなこともあろうかと、今日は
山登りのような格好をして来たからノー・問題。
「メトに登山服のような服装で現れる輩には殺意を覚える」との主旨の発言(原文はこちら
をした張本人の私が、である。、、、すみません。

そして、地下鉄15th St Prospect Park駅の階段を登り、地上に出た途端、びっくり。
素敵な街だけど、どっちかというと、オペラを観るというよりも、うちのわんこを連れて来たい感じ。
それももっとも。なぜなら、駅の目の前に開けているプロスペクト・パークは、
規模でセントラル・パークと競うほどの、NYきっての大きな公園なのです。
夏のパーク・コンサートの会場の一つでもあります。

そして。大きなシネマ・コンプレックスで上映されるのを想像していた私は、
まさに”地元の映画館”しているPavilion Park Slopeの姿に愕然。
ち、小さい、、、。
しかも、正午の開演の30分前ですが、まだシャッターが半開き。

仕方がないので、開始前に腹ごしらえを!と、カフェっぽいものを探すが、
こんな公園前のベスト・ロケーションにもかかわらず、開いているカフェは一軒のみ。
なかなか評判のカフェなのか、それとも他にカフェがないからここにみんなが殺到するのか、
まるでブルックリンの住民全部が集まったような長蛇の列。
仕方がないので列の最後に並ぶと、むこうからオペラヘッド臭をぷんぷんさせたおばさまが
歩いてきて、私のうしろにつかれました。
おばさまも私のオペラヘッド臭に気付いてか、気付かずか、
”私、これからパヴィリオンで、オペラを見るの。”と私に話しかけてこられたので、
私もです、と告白。
おばさまは数日前に上映された同じくSFOの企画の『ドン・ジョバンニ』を見たのが
初オペラin映画館だそうなのですが、大変楽しまれたそうで、それが今日『蝶々夫人』を
見に来た理由だそうです。
このおばさまはメトの生公演を頻繁に観に行けるほどには経済面および時間面で余裕がないけど、
SFOのシネマキャストは、この内容で$20ちょっとという設定は安いわー、とおっしゃってました。

このおばさま自身の言葉どおり、見た感じからだけ判断すると、決して裕福な感じでいらっしゃらず、
この日のチケット代とカフェでの食事代のために財布から慎重にお札を出される様子を見ていると、
メトのライブ・ビューイングについて、日本の観客の一部の方から、(もちろん全員ではありませんが)
日本ではやや価格設定が高めとはいえ、”チケット代が高い!”という意見が
聞かれるというのとは、対照的だなあ、と思わざるを得ませんでした。

おばさまはこのSFOの企画がきっかけでメトがライブ・イン・HDを行っているのを知る、という、
通常とは逆ルートを走っておられて、SFOシネマキャストの『ドン・ジョバンニ』を観た後、
26日の『連隊の娘』のライブ・イン・HDをどうしても見たくなって、
マンハッタンの映画館のみならず、それこそ行けるロケーションの映画館はすべてあたったものの、
ソールド・アウトだそうです。
私がそのライブ・イン・HDを観に行くんです、という話をすると、本当に羨ましそうにされていました。

食糧をゲットし、映画館に戻り、窓口でチケットを引き取ろうとしたところ、
前に並んでいたそのおばさまが、”この間、ドン・ジョを見たときには、
キャスト表とあらすじが載ったプリント・アウトをくれたんだけど!”と
窓口にいるうら若い少女を攻撃。いやー、オペラヘッドは頼りになるなあ。
私も絶対、キャスト表がほしいもの。
それこそオペラなんかにはまーったく興味のなさそうなその少女は、
探すふりだけして、にべもなく、”そんなものありません”。
どこの国も、この年代の女の子ってやつは、、、。
”キャスト表がないだとーっ!!??”とオペラヘッド二人で頭から湯気を出しながら映画館に入ると、
あの少女よりはずっと感じ良さそうで仕事もできそうなもぎりのお兄ちゃんが、
”手元に一部しかないので、今コピーしてきますね。”と、
昨日土曜日の残りと思われるよれよれになったプリントアウトをかざす。
白黒コピーかよ、、、寒いなあ、全く。でも、ないよりましか。

そのお兄さんによれば、土曜は結構客が入ったらしいです。
とはいえ、上映室そのものが小さいので、入ったといっても数十人規模ですが。

カフェから食べ物やら飲み物やらを持ち込んでも全くおとがめなし。
なので、館内のベンチに座って食べ物にぱくついていたら、別のお兄さんが、
ご丁寧に"Miss"と言って、白黒コピーのパンフレットを持ってきてくださった。
最初の少女は別として、小さい映画館ならではの、今やマンハッタンでは決してお目にかかれない
パーソナルなサービスと従業員の感じよさで、私はなかなかこのさびれた映画館、気に入りました。

といっているうちにいよいよ開演時間も間近。
上映室に入ってさらに愕然。座っている人は、3名。
しかもこのまるで試写室のような小さな部屋は一体、、。
それからスクリーン。せいぜい、高校の授業でオーバーヘッド・プロジェクターの
ためによく使用されていたスクリーンくらいの大きさしかありません。

SFOのこの企画は、メトよりも最新のテクノロジーを駆使した画質と音質、のはずだったが、
大丈夫なんだろうか、、。

一足先に入室していたおばさまが、手をあげて、”来たわね!”。
座席が上手く設定されているので、仮に満席だったとしても、かなり快適に鑑賞できそうですが、
今日はそれに加えてがらがらなので、思いっきり好きな座席をえり好み。
真正面で鑑賞です。

結局観客は10人ほど。
ほとんどが年配の女性。全員一人でいらっしゃっている。
『蝶々夫人』を、日曜日に、女性一人で見に来る観客なんて、自分も含め、相当ヤパイです。
しかし、もっとやばいのは、2組のカップル。
いずれも白人男性とアジア人女性の取り合わせ。
”私のこと、もしかしてこんな風に見てたの?!”なんて、後で男性がつめられたりしないんだろうか、、。
しかも蝶々さんが自害して幕、、。
オペラを多くの人に普及させたい!と願う私ですら、デートには全くおすすめできない作品です。

さあ、いよいよ上映開始!!!

本前編に続く>

Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Brandon Jovanovich (Pinkerton)
Stephen Powell (Sharpless)
Zheng Cao (Suzuki)
Matthew O'Neill (Goro)
Eugene Chan (Yamadori)
Raymond Aceto (The Bonze)
Katharine Tier (Kate Pinkerton)
Dylan Hatch ("Trouble", Cio-cio-san's child)
Conductor: Donald Runnicles
Production: Ron Daniels
Performed at the War Memorial Opera House, San Francisco
Cinemacasts viewed at Pavilion Park Slope, Brooklyn, New York

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

SFO Cinamacasts: MADAMA BUTTERFLY <予告編>

2008-04-20 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
4/26の『連隊の娘』でライブ・イン・HD初体験の予定でしたが、それよりも早く、
サン・フランシスコ・オペラのシネマキャストで『蝶々夫人』を見てきました。

ライブ・イン・HDに遠慮するかのように(それともゲルプ氏の根回し?)、
ひっそりと、ブルックリンの小さな映画館Pavilion Park Slopeで行われた上映。
あらわれた観客は10名ほど。

メトよりも最新のシステム!という触れ込みの割には、画面も音のクラリティもいまいち、
画像編集にも難あり(ださいフラッシュバックは余分)、
試写室のようなわびしい上映室に映画館と思えぬ小さなスクリーン、、。

しかし、それをいつの間にか忘れさせるような公演そのもののパワー、
特にパトリシア・ラセットの蝶々夫人が言葉を絶するくらい素晴らしいです。
私が大感激した10/27のメトの公演と甲乙つけがたい出来。
オーバーでなく、ほとんど全ての観客からすすり泣きの声が聞こえ、終演後には拍手が。

上映は22日まで。アメリカにお住まいで、お時間のある方はぜひ!
この画面でzip codeを入れると最寄の映画館が表示されます。
抜粋の映像もありますが、こんな抜粋なんかでそのすごさがはかれる公演ではない!
実際の上映では英語の字幕つき。

http://sfopera.com/cinecast.asp

鑑賞レポもじき挙げます。
今はまだ一人で余韻に浸っているゆえ、、。

序編に続く>

Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Brandon Jovanovich (Pinkerton)
Stephen Powell (Sharpless)
Zheng Cao (Suzuki)
Matthew O'Neill (Goro)
Eugene Chan (Yamadori)
Raymond Aceto (The Bonze)
Katharine Tier (Kate Pinkerton)
Dylan Hatch ("Trouble", Cio-cio-san's child)
Conductor: Donald Runnicles
Production: Ron Daniels
Performed at the War Memorial Opera House, San Francisco
Cinemacasts viewed at Pavilion Park Slope, Brooklyn, New York

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***