Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

KIROV BALLET (Wed, Apr 9, 2008)

2008-04-09 | バレエ
4/3および4/6の二つの公演をもってしても、後者でのキャスト変更という思いがけない出来事で、
我がバレエの師匠のアイドル、コールプの御姿を一度も拝むことが叶わなかったので、
”コールプとは縁がないのかも、、”と、泣き言メールを師匠に送ったところ、
では、御姿が現われるまで通うのみ!とさらにおすすめの公演日を二つ挙げて頂きました。

今日はその一つ目。
全てが予定通りに運べば、いきなり一演目めの『海賊』のアリ役でコールプとご対面!となるはず、、。
しかし、実際に彼が舞台上に立っているのを、しかとこの目で見るまで、全く気が抜けません。

たまたま平土間よりもグランド・ティアーに比較的良い座席が残っていたので、
今日は舞台を上から見る形になりましたが、これが正解。
幸運なことに私の真後ろ数席は誰も座っていなかったため、持参したコートで即席座布団を作成。
ものすごく座高の高い人になって鑑賞できたので、ダンサーたちの足元までも良く見えました。
しかも、4/6に座った平土間の6列目よりも、ダンサーの顔の表情なんか、よく見えるくらい。
どういう構造になっているのか、NYシティ・センター、、つくづく謎のホールである。

今日は、プティパ/ワガノワ/ゴルスキーのミックス・プログラム。


 『海賊』より 生ける花園(第三幕)とパ・ド・ドゥ(第二幕)

この作品を全幕で見た事がないのはもちろんのこと、ガラ公演にも行ったことがないので、
この二つのシーン、しかも時系列からいうと逆になった組み合わせが一般的なのかはよく知らないが、
その全幕を知らない私のような人間にとっては全く気にならなかったし、
むしろ、この花園のシーンは、非常に華やかなのでオープニングにぴったり。
これはみんな、かつらなのだと思うが、そろいのピーチがかったプラチナブロンドのような
色の髪に、衣装も映えてとっても素敵。
しかし、このキーロフのNY公演も、二週間目に突入して、皆少し疲れが出ているのか、
コール・ドは今まで観た公演より、やや乱れがち。

しかし、そんな中現われたメドーラ役のロパートキナには溜め息もの。
この人は、私、あまりに両白鳥(『白鳥の湖』と『瀕死の白鳥』)のイメージが強いのか、
いつも悲しそうな表情をしている人、という勝手な思い込みがあったのですが、
今日のこのはじけぶりはどうでしょう!!
溢れんばかりの笑顔を湛え、そのうえにこの上ない気品が漂ってます。
この人は、みんなお人形さんのように可愛らしいコール・ドのメンバーに囲まれても、
なお頭一つも二つも別格に見える、すごい存在感の持ち主だとあらためて実感。



で、そんな風に表情ははじけているのだけれども、踊りは極めて丁寧で、
時には、私のようなとーしろのために、一つ一つの技をゆっくりめに踊ってくれているのではないか、と、
(まあ、ロパートキナが私のためにそんなことをする必要がないことは言うまでもないのだが、、)
錯覚するほどに、端々まで踊りに神経がこもっているのでした。

そして、いよいよ、コズロフ演じるコンラッドと、コールプ演じるアリの登場!!
ああ、生コールプ!!!!
これが実物なのね!!!!!

師匠は、”彼の中には緑の血が流れているに違いない(それほど怪しい魅力の持ち主)”、
そして、”もしかすると(そのあまりの個性に)気持ち悪い、と思うかもしれないけど、
それはそれで正直な感想を教えてね。”とおっしゃいましたが、どっこい、全く気持ち悪くなんかない。
いや、気持ち悪いどころか、端正なルックスと踊りだと思ったくらい。
初めて彼を見るのが他の役だったとしたら、また違った感想を持ったかもしれないですが、
私の場合、このアリ役での彼の踊りと演技が彼のデフォルトとなったので、
(というか、人生で、今のところ、これ一回きりのコールプ体験なのだから無理もない。)
彼の特徴としてよく言及される”怪しさ”とか”色気”よりも、
”純粋さ”とか”せつなさ”の印象が強かったです。

今日は少しバランスなんかでも苦労していて、もしかすると絶好調ではなかったのかもしれないですが、
私が気になったのは、その時に彼の演技がふっと技術の方に一瞬神経がとられるその点だけで、
むしろ、それを気にせず(といっても無理なんでしょうが、、)、がんがん突き通してくれれば、
それ以外の点で、たくさん美点があったパフォーマンスだったと思います。



特に、メドーラとコンラッドが絡む横で、すっとひざまづいてメドーラを見上げる様子からは、
(そして、その背中は、師匠が言うように、柔らかい、、)
まなざしはもちろん、体のすべての部分から、彼女を崇拝している気持ちが溢れていて、
その彼の気持ちを知ってか知らずか、あいかわらずはじけた表情で、
コンラッドと愛を交わすのが楽しくてたまらない様子で踊るロパートキナ=メドーラへの
届かない恋心が、本当にせつない、、。
男性ダンサーの踊りから、こんなやるせない片思いの苦しみが、
そして、それでもなお愛する女性を目で追わずにはいれない悲しみが感じられるというのは驚き。
コールプ、技術もあるのでしょうが、それよりもその役が表現しようとしていることは何なのかを考え、
そして、役が求める以上のことをしない、その清さと真摯さに、師匠同様、私も惚れましたです。

コンラッドを踊ったコズロフ。
コンラッドの衣装の一部である、頭に巻いたバンダナのような布切れに、
彼の田舎臭いヘアスタイルがはまって、まるで80年代から抜け出てきた人のよう、、。
コールプの垢抜け方とどえらい違いです。
まずは、そのダリル・ホール(*80年代を中心に活躍したデュオ、ホール&オーツの白人の方。)の
ような髪を、もうちょっと短く切るところからはじめましょう!
体がやや重たく見えてしまうのが難ですが、サポートは非常に丁寧だったと思います。
ただ、ロパートキナ、コールプという面子にはさまると、一番存在感が薄いのもまた事実。
他の二人に比べると、何も考えずに踊っているように見えてしまうのです。
まあ、ロパートキナとコールプの二人が凄すぎるので、気の毒ではあるのですが、、。

そのロパートキナについては何をかいわんや。
そのキラキラ度は本当にすごい。
もう、こんないい男二人に挟まれて踊った日には、キラキラにもなるというものでしょうが、
喜びを爆発させて、くるくると回りながら、舞台の上手奥から下手手前に向かって来た時は、
その回転の軸のぶれなさと、まるで定規で線を引いたような対角線を舞台上に描いた移動に、
観客から大きな拍手。

このパ・ド・ドゥ(プレイビルではパ・ド・ドゥになっていますが、三人で踊っているのにこれはいかに?)、
愛し合う二人(メドーラとコンラッド)と、その女性の方をそっと思い続けている男性(アリ)という、
私にとってはバレエで初めて見る、3人の心理模様を巧みに盛り込んだシーンで、
大いに楽しませてもらいました。これも、全幕でぜひ見てみたい作品。
そういえば、二ヶ月後に迫ったABTの公演で見れるのでした!楽しみ!!

 『ディアナとアクタイオン』

今日のこの公演にあたって、師匠が鑑賞のポイントをまとめたeメールを送って下さったのですが、
そのメールでも、そして私的にも、今日、最も期待値の低かったのがこの作品。
出演者もこの綺羅キャストの中では、一番アピール度が少ないし、
作品自体も今日の他の演目に比べると、やっぱり一番アピール度が少ないのである。

始まってすぐ、今までのキーロフの衣装からは異色に思える、どぎついオレンジ色の衣装に
身を包んだ女性たちにぎょっとする。
ディアナを踊ったオスモルキナは、ロパートキナの後に見ると顔のつくりもあってか、
なんだか、もっさりしている。
技術はきちんとしているのに、このもっさり感のせいでだいぶ損をしているように思います。

さて、女性たちの衣装の色なんかに驚いている場合ではありませんでした。
舞台に飛び出してきたアクタイオン、、、あれ?『ターザン』ですか、、?
ヒョウ柄と思しきふんどしを見につけて舞台をとびまわるロブーヒンに、
私の斜め後ろに座っている女性もいきなり吹き出してます。
このロブーヒンが見た目も少しお猿さんっぽい上に、この衣装のインパクトの強さですから、
観客が神話が題材などということを忘れて笑い出したとしても誰も責められまい。



しかし、段々とその笑っていたはずの観客の顔が真剣に、、。
なぜならば、このつながりそうな一文字眉の男、ロブーヒンが衣装のインパクトも超える
ジャンプを見せ始めたから。
体ががっちりしているので、下手をすると重く見えがちになるところですが、
今日は彼のコンディションが良いのか、動きに非常にきれがあって、
この体の大きいのがむしろ迫力となってプラス要素になっています。

むしろ、オスモルキナと一緒に踊る場面で、彼女の方が彼ほどのれていないために、
サイド・ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいるような、
ひきずるような重さが出てしまったのが残念。というわけで、二人一緒の場面が終わった後、
拍手がやや少ないまま、オスモルキナがはけて、ロブーヒンのソロが始まる個所。
ここで、彼がきっ!と観客を見据え、まるで、
”そうかい、拍手がそんなに少ないか?じゃ、俺のこれを観た後でも
そんなに拍手が少ないか、とくと見てみようじゃないか!”とでもいうような表情。
ちょっと!何、何?この人、観客に啖呵切った?!

では、見せてもらおうじゃないですか。というわけで始まったそのソロ。
それが、もう、すっばらしい出来だったのであります。
狭いNYシティ・センターの舞台で、それを感じさせない思い切ったジャンプの連続に、
まるで飛び出す本を見ているよう、、。
ジャンプしたまま、グランド・ティアーに飛び込んできそうな勢いでした。
曲が終わるか終わらないかのうちから、猛烈な拍手と口笛の嵐!
啖呵を切ったものの、これほどまでの出来になるとはちょっと本人も思っていなかったのか、
相当に嬉しそう。
全演目を終えて、オスモルキナと手をたずさえてカーテン・コールに現われたときも、
明らかに観客の拍手はロブーヒンに向けたもの。
本人も十分にそれを感じ取っていたような表情でした。
気品というものはほとんど欠落状態、実にヒョウ柄のパンツを履いた男にぴったり!な、
ダイナミックなパフォーマンス。しかし、この演目では、それが大いなる魅力になっていました。
一番弱いと思っていた演目での思わぬ拾い物。伏兵ロブーヒン、大活躍の巻なのでした。

 『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ

さて、『ディアナとアクタイオン』のところでふれた師匠のeメール。
その中で、こんなくだりが出てきて、私は思いっきり固まりました。

”扇子を持ってテリョ(テリョーシキナを表わす符牒)がソロで踊る場面があったら、
どっちのパターンか確認してね。
① 足をウンパッと開け閉め(エシャッペ)
② 片足を膝まで上げるのを交互に繰り返す (ルティレ)
②の場合、トゥでルティレした瞬間静止したらブラヴォーです。”

ひゃーっ!指令だーっ!!!これは責任重大ですう!!!
エシャッペ、ルティレといった言葉は説明してくださっているのでそれは全く問題ではない。
この私でも、膝が上がっているか、上がっていないかくらいはわかるのである。
それよりももっと深刻な問題が。
師匠!!私、この演目見た事がないんです。
音楽もどんなのか知らなければ、振りもどんなのか知らないし、
いつその確認する場面とやらが出てくるのか、まったく暗闇に手探り状態。
これはきっと、その場面がいつ来るか、いつ来るか、とずっと緊張状態で、
いや、それでその場面がいつか現われればまだいいとしても、
そのまま曲の最後まで来て、”えーっ!!!どこだったの?!”ということになるのではないか、
それが恐怖、、、どうしよう、、、。

『ドン・キ』が始まる前のインターミッション中、
プリントアウトし持参した師匠メールの、この部分を多分500万回くらい繰り返し読んだはずです。
で、一か八かでのぞんだその『ドン・キ』、テリョーシキナのキトリとコルサコフのバジルの組み合わせ。

ヴァリアシオンを踊るはずだったソーモアの姿が見えず、代わりに踊ったのは、
4/3の『パキータ』が印象的だったコンダウーロワ。
彼女はもしかすると、『バヤデール』のようなしっとりした作品より、
こういった明るさを感じさせる作品とか場面での方が断然映える気がします。
鮮やかな色づかいの衣装も、彼女の背の高さと調和されるのか、着負けせず、本当に素敵。
もう一歩つっこんだ細やかさが加わると、もっともっと良くなると思うのですが、
看板となっているダンサーたちと比べると、やはり少し粗い部分があるのかな、とは思わされます。
しかし、この彼女の踊りに備わったのびやかさは、他のダンサーたちとの差異化を図れる、
彼女の最大の資産。

さて、テリョーシキナの技術をしっかり見ること!という師匠のお言葉でしたが、
もう、今日のテリョーシキナは、本当に楽しそうに踊っていて、こちらまで気持ちが高揚してくるほど。
とにかく、その師匠の言葉どおり、ゆるぎない技術が次々とオンパレードで披露され、感動もの。
同じく4/3の『ライモンダ』より、私は全然こっちの彼女の方が好き。

で、そのゆるぎない技術をバックに、ものすごいお姉さん光線を発しているテリョーシキナの横で、
一生懸命踊っているコルサコフがいじらしい、、。
テリョーシキナの”お姉さんについてらっしゃい!!”の言葉に、
”はいっ!!”と必死になってついていっているコルサコフ、という図です。
コルサコフもきちんとした踊りをするダンサーだと思いますが、
テリョーシキナと比べてしまうと、まだまだ足のついていない感じがするほど。
コルサコフが駄目というよりは、それくらいテリョーシキナがすごい、ってことです。

しかし、このグランド・ティアで見ると、多分平土間からでは見ることの出来ない、
テリョーシキナをリフトするたび、彼女のチュチュのお皿の部分に顔が埋まって
苦しそうなアントン君の表情が堪能できます。



テリョーシキナのグラン・フェッテ、これがもう、言葉を失くすほど凄かった。
こんなに最後まで綺麗で、ぴしーっと芯の通ったグラン・フェッテを生で観たのは初めて。
昨シーズンのABTの『白鳥の湖』でのヴィシニョーワのそれも悪かったであろうわけはありませんが、
インパクトでいうと、断然今日のテリョーシキナの方が上。
当然のことながら、観客から猛烈な喝采の嵐。

舞台上を対角線上に回転して来たときも、どんどん最後に向かって高速スピンに。
女性でこれほどのスピード感をもって踊れる人がいるんだ、と、これまた感動もの。

コルサコフがグラン・ピルエットの最後で、バランスを大幅に崩したのは痛恨。
でもそのあとは、またがんばってテリョーシキナお姉さまについていってました。
彼はまだ踊っている間、気持ちの上での余裕が若干ないのか、特に大技の前後で
顔から全く笑顔が消えてしまう瞬間があるのですが、
この『ドン・キ』のような楽しい演目ではちょっとそれは痛い。
本人もそれをよく注意されているのか、突然思い出したように、”にかーっ”と笑うのがご愛嬌でした。

案ずるよりは産むが易し、で、心配だった”その場面”はすぐにわかりました。
そして、結果はエシャッペ。
ルティレ・バージョンも見たかったけれど、エシャッペのそれもテリョーシキナの手にかかると
異様に完成度が高くて大満足。
バレエ・ファンの方から彼女がなぜこれほどのリスペクトを得ているかが納得、の内容でした。
彼女の良さが100%出きった素晴らしいパフォーマンス。
作品そのものも楽しく、大好きになったので、これも全幕で観る日が楽しみです。

 『ラ・バヤデール』より”影の王国”

相変わらず、ややお疲れの雰囲気のコール・ド。
ミスやらがあるわけではないのですが、少しテンションが低め。
それでも、この7日の公演からの写真でも伺える、見事に調和のとれたポーズと、
全員が舞台に揃ってからの一糸乱れぬ動きは健在で、これは本当に何度見ても、
世界にそうは存在しない、ものすごく貴重なものを見せてもらっているようで、
崇高な気持ちにすらなります。



さて、ニキヤ役のダンサーが登場して、おや?
これは首がずれてるソーモワでは?

どうやら、ニキヤを踊るはずだったノーヴィコワが降板し、
もともとは、Shadesの一人で出演予定だったソーモワがカバーに入ったようです。
ドン・キのバリアシオンを彼女が踊らなかったのは、このニキヤを踊るためだったのか、、。
しかし、相変わらず空に浮かんだお月様のように顎を出しながら踊るソーモワ。
ここまで観客が気になる癖を持っているというのは、、、うーん、どうなんでしょう?
また、それ以外の点でも、彼女の踊りには連続性とか滑らかさといったものが欠けているように思います。
はい、これ、決まりました、はい、次はこれも決まりました、という風に、
動きが提示されている感じがして、ラジオ体操じゃないんだから、、と言いたくなる。
この連続性・滑らかさを獲得しない限り、本当の意味で踊りによって
ドラマを演じるということは、できないんではないでしょうか?
その時にこそ、彼女は顎の癖を直すよりももっと芸術家として大変な
壁にぶちあたってしまうような気がします。

しかし、ソーモワでがっくり来た私を救ってくれたのはソロル役のファジェーエフ。
いやー、この人は本当に素敵!たたずまいが王子様風でおっとりしていて、
男性の、いや人間の愚かさの一面をデフォルメ化したようなこのソロルという役に、
なんともいえぬリアリティを与えていました。
そして、何よりも素晴らしいのは、ソーモワをサポートしているときでも、
彼自身の動きにも一切無駄がなく、とにかくいつ何時も綺麗な体勢をとっていること。
やや羽毛を思わせる軽さが動きにあるので、向いている役、
そうでない役がはっきりしてしまうのかも知れませんが、私はコールプに続いて、
このファジェーエフにもやられてしまいました。
全然タイプが違うのに惹かれる、、、
あら?私もソロルのこと愚かだなんて言えた義理ではなかったです、はい。

(注:この作品で、ソロルはニキヤという心優しい相思相愛の恋人がいながら、ガムザッティという高慢ちきだが絶世の美少女になびいてしまうのである。)


Kirov Ballet & Orchestra Vaganova/Gorsky/Petipa Program

LE CORSAIRE / Le Jardin anime and Pas de Deux
Uliana Lopatkina (Medora)
Igor Kolb (Slave)
Ivan Kozlov (Conrade)
Svetlana Ivanova, Yana Selina, Nadezhda Gonchar (Odalisk Girls)

DIANA AND ACTEON / Pas de Deux
Ekaterina Osmolkina (Diana)
Mikhail Lobukhin (Acteon)

DON QUIXOTE / Grand Pas de Deux
Victoria Tereshkina (Kitri)
Anton Korsakov (Basilio)
Variation: Ekaterina Kondaurova replacing Alina Somova

LA BAYADERE / The Kingdom of Shadows
Alina Somova replacing Olesia Novikova (Nikiya)
Andrian Fadeev (Solor)
Shades: Elizaveta Cheprasova, Nadezhda Gonchar, Ekaterina Kondaurova replacing Alina Somova

Kirov Ballet with the Orchestra of the Mariinsky Theatre
Conductor: Mikhail Sinkevich

Grand Tier Center D Odd
New York City Center

***キーロフ・バレエ Kirov Ballet***



リングナッツ、暴れる!

2008-04-09 | お知らせ・その他
水曜日(4/9)に観たキーロフ・バレエの記事も早くアップしたいし(追記:あげました!)、
4/10現在、”内容を咀嚼中”などというもっともらしい言い訳のもとに放置されている
『賭博師』
のレポも完成させたいのですが、素通りできない記事がNYタイムズに
掲載されてしまったので、まずこちらを。

オペラハウスの運営サイド側も観客側にとっても永遠の難題であるチケットの発売方法。
”この座席とあの座席がなんで同じ金額やねん!”という比較の問題から、
”この座席にこの金額は高すぎる”という絶対額の問題を含む、
座席への金額の設定の仕方もそんな問題の一つでしょう。

2006-2007年シーズンからゲルプ氏が支配人になって、新しい層の観客を獲得するべく、
安い座席はより安くして今までオペラに興味がなかった人にもアクセスをしやすくし、
高い座席を購入する意志のある人間からはもっと搾り取る、というコンセプトのもと、
客席のブロックの分け方や各ブロックのチケット代の見直し、
さらには曜日別の料金スケールの導入、などが行われました。
グランド・ティアー好きの私には大打撃ですが、
ある意味、それまではグランド・ティアーの良さが過小評価されて代金に
反映されていたような気もし、痛いのは痛いですが、
現在の代金設定はかなり妥当な線なのではないかと私個人的には思っています。

さて、もう一つはチケット購入の優先度の問題。
ヴォルピ前支配人時代は現在のようにチケット購入も熾烈でなく、
はっきり言って、公演の直前でもまずはチケットが手に入ったので、
サブスクライバー(年間通しのチケットのセットを購入する人たち。他公演とのチケットの交換も
期限付きで可能だが、基本の公演の組み合わせはメトが組む。何パターンかのシリーズあり。)
としての特典があったのかなかったのか、
あったとしたらどんなものだったのか、あまり記憶にないのですが、
ゲルプ現支配人になってからというもの、チケットをめぐる争奪が激化し、
サブスクライバーに与えられる、チケット前売り購入権が年々無視できなくなってきました。

さて、このサブスクライバーの前売り購入権が今ちょっとした物議を醸しているのであります。

メトで数年ごとに行われるリング・サイクル(ワーグナー『ニーベルングの指環』四日分の公演を
まとまった日にちで順を追って演奏すること、またその四日セットの公演。)は、
やや年間の普通の公演よりも特殊な位置づけにあり、四日分の公演がセットで売り出されるため、
それ自体が一種のサブスクリプションのようになっていました。

これまでメトは非公式なルールとして、前回のリング・サイクルのチケットの購入者には
優先的に購入権を与えていたようで、それが結果として、
同じブロックなら、優先権のない購入者と比べて、割といい席にあたる、という
図式にもなっていたようです。

しかし、ゲルプ氏がちちんのぷい!とその状況をひっくり返してしまうのでした。
それも、これも、新しい層の観客獲得の名のもとに、、。

こちらがそのNYタイムズに掲載された原文ですが、それによると、
どうやら、2008-2009年シーズンの終わりに予定されているリング・サイクルでは、
過去のリング・サイクルのチケットの購入者かどうかは一切関係なし。
2008-2009年シーズンの通常公演のサブスクライバーになった人のみが、
リング・サイクルのチケット優先購入権を与えられているようです。

これに怒ったのがNYの、いや、メトのリングの常連であったすべてのワグネリアンたち。
どうやら、私は初めて知りましたが、リング(『ニーベルングの指環』)命!の方たちを、
リングヘッズ(これはオペラヘッズと同じ要領ですね)とかリングナッツ(nutとは気違いの意)と
呼ぶそうで、彼らがそれこそ蜂の巣をつついたような騒ぎぶりとなっているようです。

確かに、サブスクリプションでがちがちに日付を決められたチケットは取りにくい、
とか、サブスクリプションのようなまとまったお金が払えない、という人でも、
個別のチケット・ベースで大金をつぎこんでいるファンも多いわけで、
その人たちには少し気の毒ではありますが、
また逆にその年にお金を搾り取れそうな層からお金を取る、
そのため過去の記録は関係なし!という考え方は、
機会があるときにすぐに、出来る範囲で最大の利益を確保するという、資本主義の基本中の基本であり、
若い、または新しくオペラに興味を持った層が、”今までオペラに行っていない”という理由だけで、
チケットがとれなかったり、悪い席を割り当てられるのもどうかと思います。

しかし、NYのワーグナー協会(Wagner Society of New York)の
ギル氏の言葉が奮ってます。

”優先権が、大金を払った人のところにいってしまうわけですよ。
我々(ワーグナー協会の会員)は、教鞭をとっている人間、作家、音楽関係の人間であり、
その我々にかすや屑がまわってくるってことです。”

、、、って、その悪しきアカデミズムもどうかと思うなあ。
そういうアカデミックなフィールドにいない人間は、金を払っても、
ワーグナーなんか聴く権利はないということか?  っていうか、逆に、
教壇に立つ人間なら、もうちょっと基本的な資本主義のメカニズムくらい理解した方が、、と、
私が思うのは、この私がノン・アカデミックな人間ゆえのひがみか?
むしろ、きっと皆さん、理論ではわかっているのだけど、
感情面で許せない、ってことなんでしょうね。いや、そう思いたい。

確かに私は来シーズンのサブスクリプションも購入しているので、おかげさまで、
彼らが直面しているような事態に陥っていないということもあるのですが、
しかし、私がゲルプ氏だったとしても、同じ判断をしたでしょう。
でも、こんな意見がワグネリアンから巻き上がるということは、
リング・サイクルを見るほとんどの人が、通常公演のサブスクライバーにはなっていない、と
いうことで、そのあたりも、ああ、ワグネリアンなのです。
ワーグナー以外の音楽なんて聴けるか!ってか?

そもそもメトで質の高い公演を上演し続けられるのも、よそのオペラハウスに比べれば、
金銭的な面で余裕があるからで、この記事で触れられているワグネリアンたちの理論には
非常に自分勝手なものを感じてしまいます。

そんなワグネリアンの方の一人が思いついたアイディアとしてふれられていたのが、
90ドルという、一番安いサブスクリプションを購入して、優先権を手に入れてしまう手。
それでいいんですよ。いい公演を観るためなら、90ドルくらい払ってください。

ゲルプ氏、そんなオプションを残してくれているのですから、まだ優しいもんです。
私が支配人なら、サブスクリプションで購入したレベルと同じか以下の席種しか、
優先権を使ったチケット購入でも買えないことにします。
鬼支配人とでも何とでも呼ぶがいい。
しかし、間違いなく、リングナッツたちから袋叩きにあうことでしょう。

今回のことではゲルプ氏もいらだっているのか、リングナッツに吐いた言葉がこれまたおかしいのです。

”ワグネリアンはホント、感情的ですからね。
でも、メトの利益という大きな視野で私はものを見なければいけないんですよ。”

後半はもっとも、と思いますが、ワグネリアンをヒステリー呼ばわり、、。
ゲルプ氏、勇気あるわあ。
このNYタイムズの記事が傷口を広げることにならなければいいですが。
なにせ、ワグネリアンは、ナッツですから!